>> 矛盾に満ちた世界は





好き、嫌い、好き。素直になれないのは、しょうがないものでしょう?




街中で名探偵を見かけた。比較的近い所に住んでいるとはいえ、人口密度の高い都会では中々会う機会もない。時間を潰す先は溢れかえるほどあるし、事件で駆け回っている可能性だってあるのだ。別段会いたいというわけでもないし、偶然会ったとしても声を掛けられるような立場ではない。そんな彼は、友人と話をしているらしい。終始彼は笑っていた。自分に向けるような鋭い瞳ではなく、柔らかい光を湛えていた。それがとても嫌だった。嫌いだと思った。俺の知っている彼ではない。俺の知らない彼がいる。それが気に食わないと思った。そもそもそれは自分勝手な思考だ。彼が俺と親しくする義理は無いし、赤の他人に愛想を振りまく必要もない。本性が知れている相手になら尚更だ。それでも、足りないと思う。全てを知っていたいと思う。それと同時に自分は相当な阿呆だなと思う。そんなことを思考するくらいならば、もっと効率的で生産的なことを頭に描いていた方がよほど有意義だろうに。理性で制御できないほどに衝動的に考えていたわけだからもう始末に負えない。




「…名探偵」
「…何だよ、そのしけた面は。綺麗に盗んでいきやがった癖に」
「…うん」
「…まじで何なんだよ。変なもんでも食ったか」


名探偵は距離を保ったまま訝しげに眼を細める。昼間に見た時のような優しい細め方ではなく、鋭く観察するような目だ。それでも警戒しているというよりは心配している色が強いのか、眉の寄り方が心持ち緩い。そういうところが愛おしいと思う。それでも昼間の顔とは違う。そこが嫌いだ。とはいえ彼はこれが仕事だと思っているのだから、違っていたとしても取り立てておかしいことはない。ただ俺が勝手にそう思っているだけだ。もしかしたら俺は、昼間の感傷を無意識の内に引き摺っているのだろうか。仕事と私情の区切りは付けているつもりだ。それでも完全ではない。どちらにしろ俺であることに変わりはないのだ。そもそも完全に別の個体として考えられるのならこんな仕事はしていないだろう。どんなに取り繕った所で目的は完全に復讐でしかない。それこそ私情を挟み過ぎている。



「…ねぇ、名探偵、ゲームをしない?」
「…は?」
「俺が追いかける役で、名探偵が逃げる役ね。捕まったらゲームオーバー。終了だ」
「…待てよ。ゲーム云々は置いておくとして、何でお前が追いかけてくるんだよ。逆だろう、逆」
「だってそれじゃあ面白くないでしょう。たまには俺も追いかけたいし」


お前は馬鹿かと名探偵は唸った。そうでもないだろうと笑うのだが、彼はきっと信じてはくれないだろう。天に向けて手を伸ばす。それだけで彼は動きを止める。俺が何かすると思っているのだろう。訝しげな視線を寄越す。俺は笑う。外界から切り離されたように辺りを沈黙が支配していた。


「…ほら、逃げないと。手元が狂って殺してしまうかもしれない」
「…っ気でも狂ったか!そんなことしてお前の得になることなんてないだろう!」
「…得?そうだなぁ、無いこともないんだけど。強いて言うなら俺の楽しみかな」


懐から抜いたトランプ銃で足元を狙う。彼は明らかに動揺した。それがとてもおかしい。今度は右足すれすれにカードを撃ち込む。僅かに足を引いて彼は何のつもりだと唸った。青い瞳がこちらを見ている。鋭い瞳が意図を探して揺れている。それに酷く満足した。仄暗い欲望が満たされていくような気がした。


「…ほら、逃げてよ。名探偵」
「…キッド!」


泣きそうな顔をしていた。必死な声で俺を呼ぶ声。そんな顔をさせたいわけではなかったのに。時折するりと隙間から顔を出す狂気を俺は腹の底に抱えている。激しい衝動と共に溢れ出て、零れ落ちていく。嫌いだ。醜いとさえ思う。自分の中に巣食う衝動を殺せないなど愚かしい。このまま指先を伸ばせば、彼を殺してしまうかもしれない。本当に手元が狂って、懐に隠したナイフが彼の胸に刺さってしまうかもしれない。そう思うと、手を伸ばすことさえ恐怖だ。笑える冗談で済んだらいい。笑えない現実になる日が来るんじゃないかと、俺は気が気ではない。恐怖を飲み込んでじっと彼を見る。二人して何を必死になっているんだか分からなかったが、訳もなく必死だった。必死にならなければならないような気がしていた。


「…冗談だよ。俺には人を殺さないってポリシーがあるしね」
「…本気の目だったくせに」
「…やだなぁ、本気にした?いい演技だったでしょ。映画スターになれるかも」
「は、それこそ冗談。映画スターになる前に刑務所勤めだ、バーロ」


そう言って笑う。明らかにほっとした表情だった。俺の判断は間違っていなかったのだと俺も知らず詰めていた息を吐く。ここは呆れて帰ってもおかしくない場面だ。馬鹿だろと罵って背中を向けて帰ってもよかった場面だ。それでも彼はこちらを見ている。青い双眸は俺を捉えている。綺麗だと思った。ずっと見ていたいと思った。その瞳を宝石箱に詰めておけたらいいのに。きっと宝石箱に劣らぬほどの輝きを放つだろう。その瞳に見つめられるだけでぞくぞくするのだ。大切にしまいこんでおけたらどんなに幸せだろう。そう言ったら、貴方は怒るのでしょうか。


「…名探偵」
「…何だよ、まだ何かあんのか」
「…ううん、何でもない」
「…そうかよ」


口を開けて彼を呼んだけれど、何と続けていいか分からなくて再び閉じた。彼はそれに文句も言わない。ごめんと謝らなければならない気がした。それでも唇は動かなかった。素直に言えればいいのだろうが、どうにもうまいこと行かないのだ。どうでもいいことはするりと許す癖に、本当に言いたいことは唇が伝えることを許してくれない。言葉が足りないのだと、心が足りないのだと、目まぐるしく回転する頭に返却してくるのだ。心をもっと沢山溜め込んで大きくなるまで出してもらえない。まるで牢獄のように一つの心にぎゅっと言葉を詰め込んで、それでも破裂する寸前、底辺に積み重なった最初の言葉が唇から出て行く。熟成された言葉が相手の心を撃ち抜いていく。もしも今すぐに言ってしまえば、伝えたい言葉は軽すぎてふわふわと漂って消えてしまうから口を離れたとしても伝わらずに昇華してしまうだろう。言葉というのは咀嚼して、消化してもらえなければ意味はない。伝えたい心が伝わらない。人はきっと、勇気がないと、弱さだと言うのだろう。それは自分でも理解している。それでも渡すには心が足りないから唇は渋っているのだとそう信じている。


「…何か、こういう無駄な時間を過ごすのも悪くないかなって思うんだよね」
「…俺はお前ほど暇じゃないんだけどな」
「そういって律儀に付き合ってくれるじゃん」
「…今度から来なくてもいいか」
「え、待って、それはだめだよ。俺がちゃんと盗み出せてる内は名探偵に拒否権はないよ」
「何だよそれ。お前が何で決めてんだよ。時間の使い方は俺の自由だろ」
「俺の華麗な犯罪を阻止してから言いな」
「んだと、コソ泥の癖して」
「その泥棒にしてやられてる探偵さんはどこの誰でしょう」
「言わせておけば…!次覚えとけよ!絶対とっ捕まえてその面全国放送で晒してやるからな」
「せいぜい俺を楽しませてくれよ。その名が伊達にならないようにな、名探偵さん」


軽口の応酬に切り替わればもう安心だ。あの激しい衝動は顔を出さない。ループ、ループ、無限ループ。いっそ世界が二人だけであったなら俺はもう一人の自分を殺せたのに。視界の端を白い影がちらつく。例えそう思っていても自分を殺せはしないだろうと嘲笑っているような気がした。嫌いだ。白い衣装を纏う自分が嫌いだ。殺してしまいたいくらいに、嫌いだ。それでもこれが父親の残した意志だと思えば嫌いになれない。彼の守ろうとした世界の秩序さえ守らなければならないと思ってしまう。けれども俺は、そんな矛盾が嫌いではないのだ。




好き、嫌い、好き。感情の振れ幅の矛盾が人間らしいと思う。全部抱えて歩いていけたら、どんなに幸せだろう。一つ一つ零さぬように両手で抱きしめれば、この世界を好きになれるだろうか。




 


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