>> 幸せの味、恋の味 01





俺の好物は甘いものだ。何せコーヒーには大量に砂糖を入れるし、ミルクも入れるし、時折蜂蜜も混ぜたりする。周囲には散々それはコーヒーの楽しみ方としては間違っていると呆れられたが、苦いブラックコーヒーと俺好みのコーヒーは別物として扱っている。そもそもブラックコーヒーだって嫌いではないのだ。大量に砂糖を投入して甘くした黒い液体の方が好みという話であって。甘いもの好みの俺にとって最高に好きなのはケーキだ。あの味も何とも言えず甘美だし、その上あの意匠を凝らしたデザイン性が俺を惹きつけてやまない。この世が滅びるとしたら最後に何がしたい、なんて陳腐な問いが流行ったこともあるが、俺は迷いなく即答で満足するまでケーキを食べ尽くすと言うだろう。趣味はケーキを食べること、ケーキについて考えること。好きなタイプはケーキの話を延々と続けても嬉々として話を聞いてくれる人。好きなケーキはショートケーキ。僅差でチーズケーキ、タルト系、モンブラン、ガトーショコラ、…と延々続く。ショートケーキを選び出すのさえ一苦労なほど全てのケーキを愛している。最早結婚したいくらいだ。この趣味を語り出すと相当距離を置かれるのが分かっているので、高校までは理性で制御しながら、あの店のケーキは美味しいよね、と可もなく不可もなくといった風で喋っていた。内心、あの店のあのケーキは甘くて美味しいよね、でも俺はこの店のこのケーキが一番美味しいと思うんだよね…などと熱を込めて語りたかったわけだが涙ぐましい努力で押し留めていたのだ。それが今では環境が違う。激変したと言ってもいい。俺は、高校を卒業して、パティシエになるべく専門学校に通っている。つまり周囲は、ケーキの話を飽きるほどしたって問題ない連中ばかりなのだ。趣味を職業にしようとするための努力なら、俺は惜しまない。


「黒羽!次実習だろ!置いてくぞ」
「おう、今行く!」


製菓専門学校では二年間の授業のおよそ八割が実習となっている。習うより慣れろの典型的な形だ。講義は一般教養や衛生学、料理の歴史が主体で、高校の時のような面倒な学習は殆どない。専門学校に進学すると言った時には学校側からは考え直せと何度言われたか知れないが、俺はこの道を選んでよかったと思っている。趣味を追いかける形の勉強ならば懸命にやらぬわけがない。とても有意義な生活を送っていると、自分では思っている。


「今日何だっけ」
「えーっと、確かケーキじゃねえ?」
「うわ、黒羽、頼むから余計な手加えんなよ」
「わぁってるって、言われなくても!」


実習は数人のグループで行われる。皆で協力して作るものもあれば、一人で作って評価をしてもらう時もある。グループは一年間固定で、それ故にチームワークというものが必要になってくる。何も考えなくても必然的に共に行動をとるようになるわけだ。自分のグループの奴らはいい奴が多いことが救いだろうか。それでも長いことチームを組んでいると長所も見えるが短所も見えてくる。俺が繰り返し指摘されているのは「味覚」だ。先生は、お前は味覚を訓練しなおした方がいいんじゃないかとまで言うし、グループの人間に至っては、味わわなければ最高の作品だったとか観賞用としては傑作とか優しいんだか残酷なんだか分からないコメントを付けてくれるほどなのだ。自他共に認める甘党の俺は甘さをセーブできない。自分が思っているちょうど良い、美味い甘さと他人の思う美味い甘さとがかけ離れているわけだ。そして毎回懲りずにもう少し砂糖を加えようとするから、テイストの点数がクラス最低になる。少しだけ言い訳をさせてもらえば、手際の良さと見た目完成度はクラス屈指の点数を誇っている。これは決して、誇張などではなく、事実なのだ。最終的な完成度は味覚による大幅な減点によってかろうじて中の上くらいになるわけだが。


「…黒羽は仕上げ係なー。で、俺が分量責任持って量るから、お前スポンジやって」
「…責任持ってを強調しなくてもいいと思うんですが」
「まぁ黒羽君が量ったら破壊力抜群のケーキ出来ますからね?」
「結局足りないだろとか言ってレシピ通りに作んねーもんな」
「…集団で攻撃しないでください」


俺の所属する班は珍しく男子三人女子一人という残念な班で、紅一点の女子に助けてくれと視線を送ってもお上品に笑っているだけだ。それがまた彼女の魅力なのだがそれはさておき、さっさと始めようぜと腕を捲ると、他の班員もそれに続く。二時間連続の実習は俺にとってのオアシスだ。俺以外の三人を見ていて勉強になることもあるし、新しいアイディアが生まれることもある。一人で作る時よりもこうして数人で作る方が有意義だと俺は思っている。菓子を作るというのは適当ではいけない。ちゃんと分量を量って、足りないなと思えばその都度分量を量って少しずつ加えていく。俺達実習生は教官と比べて圧倒的に経験が不足しているから、自分の感覚で、などと容易に手を加えるべきではないのだ。それでも俺は毎度分量を疑って少しずつ増やしているのだが。学習能力が無いと言ってしまえばそれまでだが、俺にとってはその分量では全然甘さが足りないのだ。


「…そういえばさぁ、知ってるか?黒羽と正反対の生徒がいるって」
「ああ、あの味も手際も完璧なのにデコレーションが最早芸術的ってやつだろ」
「そうそう。黒羽、知ってた?」
「え?誰それ。このクラスじゃねぇだろ、多分」
「おー。確か三組って聞いたかな」
「隣じゃん。一回お目にかかりたいもんだよな。美人だって噂だし」
「噂になってんの?俺全然知らなかったんだけど」


知らねぇの!という叫ぶような声と共に三対の目がこちらを向く。計量とスポンジ、クリームの過程に全く参加させてもらえず手持無沙汰にデコレーションの案を考えていた俺は更なる疎外感に晒された。三人とも手を止め、計量係だった彼は仕事を終えていたため作業台の向こうからこちらに身を乗り出すようにしているし、残り二人も肝心な作業の手を止めている。教官に煩いぞと注意されるも彼らは気にも留めない。ただ俺を信じられないという目で見つめている。噂を知らないだけでこんなにまで責められるものだろうか。これは高校生の時にバレンタイン?何それ?と言った時と同じような反応だ。バレンタインに至っては俺自身ですら何で知らなかったんだろうと思えるほどに町中がアピールしていたが、「俺と正反対で、味も手際も完璧なのにデコレーションが残念で、隣の三組に所属している美人」の噂はそこまで大々的に流れていないような気がする。バレンタインを知らないことよりは噂を知らない方がまだあり得るのではないだろうか。それでも彼らは噂を知っていることは当然だろうと言いたげだ。


「…美人の噂くらいは知ってるだろ。三組の工藤って言ったら学校一の美人だぞ」
「……申し訳ないが俺はその人を知らない」
「ありえねぇ!あんな美人知らねぇとかお前、人生損しすぎだろ!」
「そこまで言うの?え、そんな有名人?」
「有名人だよ!」


お前馬鹿だろ!と散々罵った後、計量係の彼は延々と「三組の工藤」という有名人の特徴を詳しく語り、その人の伝説を語った。生年月日や好きな菓子に始まり何故か身長体重スリーサイズとどこから漏れているのか分からない情報まで教えてくれた。正直どうでもいい話だ。それを聞いての感想はと言えば細いなということと胸がないなということ位だ。中々青子も馬鹿に出来ないレベルだった。寧ろ幼児体型だと馬鹿にして悪かったと思ってしまうほどだ。それから、案外俺と好きな菓子が似通っていること。そこには多大に興味がわいた。一度会って話をしてみたいと思ってしまうくらいには。この日から俺は「三組の工藤」に興味を持った。だが興味を持ったからと言って接触があるわけでもない。授業が一緒になるわけでもなし、そもそも俺は「三組の工藤」の顔を知らない。擦れ違ったくらいでは気付かないだろうし、多分その人が名前で呼ばれない限りは「三組の工藤」だと分からないだろう。わざわざこの俺のオアシスである実習の授業を抜けてまで隣の実習クラスに行くほどのことでもない。興味を持ったとはいえ、俺はとうに「三組の工藤」との接触を諦めていた。




「…あーあ、実習室にケータイ忘れるとか大概俺も馬鹿だよなぁ…」


がりがりと頭を掻きながら実習室へ向かう廊下を歩く。本来実習室にはケータイ持込み禁止なのだが、実習前に人と通話していたためそのまま持ち込んでしまったわけだ。そして作業台のそばにカモフラージュのためのタオルと一緒に置いて、見事に忘れてしまった。友人からはちゃんと忘れる生き物だったんだな、と妙なところで感心され、そして爆笑され、こうして一人で実習を受けるわけでもないのに実習室へ向かうという馬鹿なことをしている。


「…あれ、授業時間外に実習室使うのって禁止じゃなかったっけ?」


三連になっている実習室の一つの前を通りかかると電気が点いていて、人影が見えた。管理体制の関係で実習時間外の教室の使用は許可がないとできない仕組みになっている。俺だって使用したいのは山々だが正当な理由が見当たらないので泣く泣く使用を諦めている。それが、もう誰も授業なんてないだろうに電気が点いているってことは誰かが作業しているってことだ。まだ卒業シーズンではないので卒業制作、というわけではないだろう。ということは、教官の使用か、使用許可を得た一般の生徒の居残りか。どちらだろうと教室を覗けば、華奢な背と黒い髪が見えた。どうやら一般の生徒が一人で何か制作しているようだ。


「…ね、何作ってんの」
「わ!誰だ!」
「…あー、ごめん。誰だってびっくりするよね、いきなり声かけたら」
「いや、悪い、人が来るとは思ってなかったから余計俺もびっくりしたんだ。過剰な反応して悪かった」
「おー、もしかしてケーキ?完成したら俺も食っていい?」
「…完成したら、な」


完成したら、を強調した男はまたスポンジ生地を作り出す。俺はそれを近くの椅子を引き摺ってきて傍観することにした。もちろん、口は出さない。多分この段階で口を出せばこの人も俺の甘党具合に呆れるだろう。それに、この男は手際がよかった。作り慣れている分もあるのだろうが、流れるように作業が進んでいく。口を出している暇も無い位だった。生地をオーブンに入れると暫く時間に余裕ができる。作業が終わると男も椅子を持ってきて俺の隣に座った。


「ねぇねぇ、何で実習室使えるの?許可ないと使えないでしょ」
「ちゃんと許可を貰ったんだよ。練習がしたいんです、って真面目に言ったら材料は自分持ちでなって言って貸してくれた」
「ええ、いいな!俺も使いたいくらいなのに!」
「じゃあ頼んでみたらいい」
「無理だよ、無理無理。俺教官に目ぇつけられてるもん。二組担当の教官は怒りっぽいから不真面目な俺が大嫌いなんだ」
「二組なんだ。道理で会ったことねぇなと思った」


男は俺の話を可笑しそうに笑いながら聞いている。三組の教官は優しいから、真面目な俺にはよくしてくれてるよ、と嫌味のように付け加えながら余程面白いのか暫く経ってからも方が僅かに震えていた。今更教官に嫌われていると話して笑われても、どうということはない。こうして初対面の人間でも笑うならいっそ笑い話として話して回ってもいい位だ。さすがにここまで笑い続けるやつもそういないだろうが。男は一頻り笑った後、そういえば名前を聞いていなかったな、と今更のように言った。


「俺は二組の黒羽快斗。好きなケーキは強いてあげるならショートケーキです」
「…二組の黒羽っていったら、あの味覚が残念な…」
「残念って言わないで、今日は散々友人にそのネタで苛められたの…」
「あ、悪い。デリカシーがなかったな」
「…いや、俺も過剰に反応し過ぎたから」


とても申し訳なさそうに謝るので俺もどうにも居心地が悪い。言われ慣れてはいるが見ず知らずの人間に「味覚が残念な男」として認識されていたというのは中々精神的にダメージを受ける。だが頭を掻きながら謝罪を遮ったところでこれといって俺に続ける言葉があるわけでもない。それが分かったのか男はああ、と思いついたように口を開いた。


「俺は三組の工藤新一。好きな菓子はレモンパイです」


鮮やかに笑う、工藤新一という男。俺は目を細める。あまりの眩さに、眩暈がした。




 


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