>> 氷と焔 07





紫色の空が再び夕闇に染まるのにそう時間はかからなかった。以前と同じ様子で闇は一帯を黒く覆っている。普段と変わらない、何事も無かったかの様に、夜の帳が降りていた。




司教様が軍の人間に連れて行かれる際の騒ぎで村の人は皆教会に集まっていた。当然だ。あの方は村を導き、尊い神様とオレ達を結ぶ人間だったのだから。軍人に野次を飛ばす者もいれば、泣き出す者もいた。オレはといえば快斗と共に教会の中でその様子をぼんやりと見ていて、あまりに唐突な普遍の崩壊に頭が付いて行かなかった。




「新一、地下から出よう。もうじきここも邪魔になるから」
「…快斗、どうしてこんなに、崩れるのは呆気無いんだ。今までオレ達が築いてきたものは一体何だったんだ」




無気力という言葉が似合いのオレの姿を快斗はどう思ったのだろうか。有無を言わさぬ強い力でオレの手を引いた彼は、速い歩調で地下へと向かった。オレには最早抵抗するような気力は無く、ただ静寂を纏う快斗の広い背を見詰めることしか出来なかった。トントントンとリズミカルに刻まれる靴底の音だけが響いて、冷たい床にペタリと鳴らす裸足の音は欠片も聞こえない。まるで快斗しかいない様だった。オレはもしかしたらもう、死んでいるのかもしれない。




「…新一、これからオマエはどうするんだ」
「…さぁ、どうするんだろうな。もう何か、どうでもいいんじゃないかと思うんだ。生死はもう、オレのものではないような気がして」




快斗はちょっと、と言ってオレの手を離した。歩みも若干速くなる。何か気に食わないことでも言っただろうか。ここに独り置き去りにされては困るので慌てて追うと、快斗は急に立ち止まった。壁に手を当て何かを探るようにゆっくりと動かしている。ああ、と快斗が口を開いた。




「新一、ここから風が出ているのが分かるか?」
「…ああ、本当だ。風が流れて来てるな」
「そう。それで、ここをゆっくり押すと、」
「…!回った!」
「あの司教は贄を捧げると偽って、ここで人身売買をしていたわけだ。大々的に外の人間が教会に入って行けば不審がられるだろう?外部の買い手をここに招くにはこの通路がうってつけなわけだ」




快斗が壁を押すとくるりとその石造りの壁は回った。その先には暗い通路が続いている。どうやら彼は夜目が効くようで淀み無く踏み出される一歩にオレはまた慌てて付いて行くしかない。それに気付いた快斗はオレの手を取り再び沈黙し、ライターの頼りない火を光源に長い一本道を進んだ。永遠に続く深い闇を孕んでいるのではないかと思われたその道は予想外にも呆気無く途切れ、階段を昇り蓋をしている覆いを押し上げればそこに広がるのは原始の自然。




「ここは、」
「そう、オマエがいた泉の近くだよ。オレ、これでも部下が幾らかいてさ、オレの発信がこの辺で途切れたのに気付いた優秀な部下がこの地下通路を発見した、ってわけ。見張らせてたら司教がここから出てきたから吃驚!」
「…全然知らなかった」




オレは昔から頻繁にこの泉に来ていたというのに、一度たりとも人の姿を見たことがなかった。ここから、友人達はどこかへ連れられて行ったのだろうか。どこかへ、どこへ?




「…他の贄になった人間は、」
「…多分ある程度の情報は司教の所や一緒に捕縛された買い手が記録しているだろうから、非合法とはいえ見付かる者はいるだろうと思う。転々としていると発見は難しくなるがな」
「…そう、か」
「それに、オレがこの村に来たのは、贄となった女の人が売られた先から国の施設に逃げてきたからなんだ。人身売買は非合法だからな、国としては一網打尽に出来れば得だってんで次の贄が捧げられるのを待ってたんだよ」
「…じゃあオレは、利用されただけ?」




我ながら女々しいことを言っているのは嫌になるほど理解している。当然だろう、快斗は国のお偉いさんだ。諜報も兼ねてオレを見張り、用が無くなったらさようなら。切り捨てられる使い捨ての道具に過ぎないのだ。利用しなければ彼にとって自分の価値など無いに等しい。寧ろ皆無だ。今までの、昨日までの生活は何だった?半年の生活は幻だったのだろうか。夢か、それとも仮初めの愛情を与える偽りを演じていたのだろうか。湧いた感情は、オレだけのもの?




「…違う、と言ってもオマエは信じないだろうな、新一」
「……」
「オレだって初めはそうだった。利用出来るものは何でも使うのがオレ達監察官だ。仕事は優先、人間なんて所詮物だと主張する者だっている。けどオレは、半年の間にオレは、変わってしまったんだ。オレはオマエを多分、切り捨てられないよ」




快斗は真剣な目で言った。オレはその目を見ていられず、快斗の背に広がる自然をただじっと見詰めている。快斗は沈黙した。そして、静かに言った。




「…新一、オレと一緒に来ないか」




え、と聞き返すと快斗は再び同じ言葉を言った。オマエの親父さんの許可を取らないと何とも言えないが、と頭を掻いた快斗はちらりとこちらを窺うように見ている。オレはどうしようと悩んでみたが、オレはもう、この村で生活出来る身ではない。冷静に考えてみればそうだ。贄として捧げられるはずであった男が、外者の男に救われているのだ。どう考えたとてほとぼりの冷めぬ内は、共謀してこの村を貶めたと責められかねない。オレにはもう、それに耐えられるほどの精神など持ち合わせてはいなかった。




「…オマエはいいのか、こんな色気も無い男捕まえて」
「さぁね、色気が無いかはオレがこの後十分に検分させてもらうから…?」
「黙れ変態」




人を笑わせ楽しませる技術に、快斗は長けているのだと思う。つい前まで真面目だった空気は一変して緩いものになっている。真摯な言葉を信じる気にさせてしまう。全く、変わったやつだ。暗い空から覗く月なんてきっと、教会で必死に変化を嘆いている人は知らないのだろう。オレだけの月。身を委ねれば温もりを分けてくれることなど、誰も知らない。誰も、誰も。




 


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