>> 氷と焔 06





紫に瞬いた空が、紺碧を湛えてそこにある。人影を飲み込んで一帯を黒く染めていた。人影はまるで溶け込もうとしているかのように、微動だりしなかった。




「…そこ、降りたら何があるか知ってる、新一?」
「…え、」
「何が言いたいんですか貴方は!もう日没時間が過ぎてしまったじゃないですか!」
「…何をそんなに慌ててるんだ。取引の時間が過ぎちまったからか?」




教会に響く司教様の声はヒステリックだ。それに対してコツリと静かに靴音を立てて教会に入ってきた快斗の声は落ち着き払っている。どうしてここに快斗がいる?この男は何をしに来たんだろう。またカツンと固いブーツの底が鳴った。




「…何を、おっしゃるんですか。ここの地下は、祭壇も兼ねた神聖な場所ですよ」
「…へぇ、まだ白を切るつもりなんだ?そんな陳腐な偽りで国を欺けるとでも思ってんの?」
「国…?」
「ああごめん、言ってなかったよね。オレ、国の監察官なんだ」




あっさりと何事も無いかのように快斗はそう言った。こちらを見る眼差しが柔らかで、それだけがかろうじてオレの知る快斗だった。こんなにも尖った空気を纏う男なんて知らないし、官服の洒落た着こなしが様になっている男なんて知らない。そもそもこんな辺境の村に国の支配など行き届いておろう筈もなく、ここに監察官がやって来る理由など無かったのだ。監察官の入った村は皆一様に廃れてゆくのだそうだ。そうであるとすれば、この村も例に漏れないのだろうか。




「…お国の忠実な下僕殿が何のご用でしょう。ここは神聖なる聖堂ですよ。皇帝陛下を神と崇めるような方のお入りになる所ではないでしょう?何でしたら改宗でもなさります?」
「…ベラベラとよく回る口だな。何なら舌切り落としてやってもいいんだぞ」
「それはそれは、恐ろしいお話ですね。陛下の唯駒様には人の生死をも左右するほどの権力がおありのようで」




冷たい空気が二人を隔てて嫌味の応酬が続く。快斗はとても冷徹な目をしていたし、司教様は顔を赤くして懸命に啖呵を切っていた。冷静な快斗がこの場を治めているのは火を見るより明らかであるが、状況の整理も儘ならないオレにはこの先の展開など到底予想出来るはずもなかった。快斗は一歩、また一歩とオレと司教様に近寄ってゆく。




「…まぁ、オレへの侮辱はこの際だから見逃してやるよ。でも人身売買は法律引っ掛かるし、ここ非認可教団だから、どうがんばってもアンタは十年は務所勤めだな」
「ッ!くそ…!国の狗め…!」
「何とでも言え。外にはもう、軍が来てる」




司教様はブルリと震えて顔を青くした。オレの手を振り払い扉へと走ってゆく。けれども司教様の手が伸びるよりも早く、その扉は開かれた。夜闇を照らす眩いライトが扉から溢れて司教様を覆う。やめろ!と司教様は大きな声で叫んだけれど、彼は軍服に身を包んだ人達に連れて行かれた。どこに行くのかは分からないけれど、快斗が言ったことが本当ならば、恐らく裁きにかけられるのだろう。オレは力が抜けてパタリと床に崩れ落ちた。快斗がじっとこちらを見る。オレは顔も上げられない。




「…何てことを…!」
「…オマエ、売られたかったわけ?」
「この村は司教様と神様が治めていらっしゃるんだ!その尊いお方を欠いてはこの村は…!」
「いい加減にしろ!新一、オレのような無神論者にとって神様ってのはな、偶像に過ぎねんだ。確かにソイツがいる、って思ってるヤツの中にはいるのかもしんねぇ。けどな、人の命を引き換えに何かを守ってやるようなヤツなら“神様”とは言えねぇだろ」
「それはオマエの主観的な意見に過ぎないだろう!この村には救いが必要なんだ!絶対的な神が!」
「…そういえば、村が豊かになったって言ったよな。それ、外交的な策略だったって考えは起きなかったのか?」
「…何を…!」




世迷い言を、と続けようとしたが、それを快斗の冷静な声が覆い紡ぐことは叶わなかった。




「ヤツらが物資を止めていたとは考えなかったのか、って話だ。オマエの話を聞いておかしいと思ったんだ。この国は冷害で10年前に不作が起きてる。けれどその後に不作の年があったという記録が無いんだよ。まぁこの村は見ての通り閉鎖的だから、他の街の情報なんて入りにくいだろう?けれどもその特異さ故に疫病なんかが流行しにくいという利点がある。だが、あの司教が疫病を持ち込んできてしまった。と言っても故意になんだがな。それで作物が見たこともない状態になってるもんだから、それが疫病であると誰も気付かない。他から物資を得ようとしても、流れを止められてて得られないから不作だと考える。後で司教が農薬を散布するか耐性を持つ作物を植えるかすりゃあ誰だって簡単に神様になれる。まぁ手の込んだ仮定でしかないがな」




快斗の長い科白にオレは二の句が継げない。それどころか圧巻の説得によってオレの手足は拘束されてしまってピクリとさえ動かない。快斗はじっとこちらを見ている。地下への突入は終わったのか、教会には日常のような静寂が姿を露にしていた。その沈黙が酷く恐ろしい。快斗の指先一つの動きですら魔王の一閃のようにオレを脅かす。




「…なぁ、もうこんなモン、いらねぇだろ」




快斗の、男にしては割かし細く長い足が伸びる。その足の先には、敬い慕った神様。やめろ、と掠れた声で叫んだけれど震えていたせいか大して音は広がらなかった。その代わりにガシャンと壊れた音がした。果たしてそれがオレの内部の音だったのか、現実に起こった音なのかは今となっても分からない。




「…なぁこれでオマエの縋るモノは無くなっただろ。独りで立てよ。独りで歩けよ。その為の足だろ」




破壊された像の破片を必死に掻き集めるオレを、快斗の手が制した。そして何事も無いかのように、神様は死んだのだと言う。視界も定まらぬ中着崩された官服を見上げる。ステンドグラスを通した月光を背にした快斗はまるで、神様のようだった。




 


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