「お!ナマエちゃん元気になったのか?」
夜久の声にわらわらと部員が集まりだす。ひっきりなしにかけられる声に、部活中なのにと思うが自分を心配しての行動だと分かる分何も言えない。実際ここ数日の記憶は全て飛んでいるし、夜中に病院に連れていかれるほどの熱が出ていたらしい。困り果てたナマエの様子を見かねた黒尾がサーブ練しましょーと声をかけることでやっと部員達が散らばった。
自分の方向に飛んできた誰かのスパイクを空いている右手でばちんと弾く。直に飛んできたわけではなく、一度研磨の指に触れたものだったが接触した手がヒリヒリする。選手達は毎回こんなボールに触れているのだと思うと素直に尊敬する。
「ナマエそろそろ休憩したほうが良いんじゃない?」
ボールを回収しにきた研磨の言葉に後少しで休憩だからと断ると納得していなそうな顔をしながらもコート内に戻る。
その姿を眺めながら私も働かないと、と横に置いていたゼッケンの入ったカゴを持つとふらりと体が傾き、視界が歪んだ。なにこれ。
なんとか姿勢を立て直すとすぐにその場にしゃがみ込み目頭を指で揉む。
熱中症かな。部員にも水分を取らせないと。目眩が治るまで座り込んだナマエはゼッケンより先に飲み物だったか、と反省した。
「聞いてるかミョウジ」
「はい!」
ミョウジが寝るなんて珍しいこともあるんだな、と先生に驚かれる。研磨のようにサボっていてもある程度勉強ができるというわけではないナマエが授業で寝たのは初めてだった。内心焦りながら黒板と自分のノートを見比べると随分と内容が進んでいた。急いで板書をしようとするが黒板のスペースが足りなかったらしく、書こうとした場所が消されてしまう。後でノート貸すよ、と隣の席の子が言ってくれたため素直に礼を言った。
「ナマエやっぱり今日疲れてない?」
休み時間はいつも寝ている研磨が席を立ったと思えば眉間に皺を寄せてナマエを見ている。
「ううううん、病み上がりだから疲れてるのかな・・・」
唸りながら答えると研磨は何か考え込み始める。放課後は部活を休むように言われるかもしれないと思ったナマエは慌てて弁解する。
「ほら、研磨の家でもいつの間にか寝てることあるでしょ!リラックスして寝ちゃったのかも!」
しかし研磨の眉間の皺は深くなるばかりでナマエに疑いの目を向けている。
「ナマエ今日弁当?」
「え、いや、今日はパン持ってきた」
「じゃあそれ俺にちょうだい。学食奢るから」
長年一緒にいて初めての理解不能な言動に首を傾げる。研磨が人の食べ物を欲しがることなんてなかったのに。今日ナマエが持ってきたメロンパンが好きだというわけでもないはずだし、強いて言うなら研磨が好きなのはアップルパイだ。彼の味覚に革命でも起きたのか、と疑う。今度おやつをメロンパンかアップルパイで選ばせてみよう。
「にしても研磨が人の多い学食で食べるなんて言い出すとはな。しかも俺まで誘って。」
いつもは目立ちたくないから来ないでって言うくせに、と口を尖らせる黒尾に静かにしてと声をかけるあたり目立ちたくないという意思が消えたわけではなさそうだ。
「クロ、これ買ってきてよ」
「え、俺もしかしてパシリ要員として呼ばれた?」
人混みが嫌いなのも克服したわけでもなく、先輩であるはずの黒尾をパシろうとしている。いつの間にか研磨が手に入れていた食券を覗いた黒尾は複雑そうな顔をする。
「お前ら・・・喧嘩でもしたのか?」
「え!?」
聞き捨てならない黒尾の言葉に驚きの声をあげる。
「してないから。早く行って」
そんな先輩にものを頼む態度だとは到底思えない様子の研磨にハイハイと適当な返事をしながらも食券とご飯を引き換えに行く黒尾は結局研磨に甘いのだと思う。
「・・・ていうか私のご飯なんだから私が引き換えに行ったのに」
「いや、もしかしたらナマエがあそこに行ったら大変なことになるかもしれないから」
「え!そんなに悲惨なメニューが学食にあった!?何で研磨はそれを私に!?」
「・・・」
なにも喋らない研磨に戦慄する。私は気付かないうちに研磨を怒らせるようなことをしたのだろうか。
「け、研磨。奥の方行かない?」
「・・・出入り口が近い方が良い」
研磨に本気で怒られた記憶がないからさらに怖い。怒っているようには見えないけど・・・。一緒にいる時に研磨が携帯をいじるなんてことは日常茶飯事なのにその行動にすら怒っているのではないかと疑ってしまうほど怯える。
「研磨・・・うぐっ」
何か怒っているのか、と尋ねようとしたときに鼻腔をついた臭いに吐き気がする。
「はい、ニンニクたっぷりラーメン。学校でこんな臭いのするもの女子に食わせようとするなんて鬼畜だな研磨。」
ぐるぐると胃の中をかき回されているような感覚。肺の中を満たす刺激的な臭い。血の気が引いていくのを感じる。
「おい!ちょっと、ナマエ!」
体をふらつかせながら食堂から飛び出す。背後からてつろうの声がした気がしたが、今は気にする余裕なんてものはない。臭いが完全にしないところまで逃げると体を曲げ口元を押さえる。
「やっぱり・・・」
丸めた背中を宥めるように撫でる手の持ち主に縋り付く。
「な、にあれ。む、むり」
胃からせり上がってくる酸っぱいものを必死に飲み込む。
「ごめん、俺のせいかも」
「どう、いうこと?」
口内はカラカラに乾いていて、声をだすのもやっとのことだった。
「俺がナマエの吸血症の症状を進めたかもしれない」
視線を合わせようとしない研磨にナマエの思考は停止した。