本当は、誰よりも優しいのだと私は知っている。





那智の許しを得た私は、任務に戻り、ことは手筈通りに進んだ。――かに見えた。


――土の匂い。ふと意識が浮上する。体が妙に重く、めまいがした。くらくらする頭を押さえて、私は何気なく声を発した。

「――き、霧里さん?」

「霧里なら隣にいるよ。お嬢ちゃん」

半分笑いながらそう言う男の声。寝惚けているように霞んでいた意識がはっきりとしてきた。ぎくりとして起き上ろうとするが、何故か体に力が入らない。


「!」

「見たことのない顔だが、あんたも霧里の仲間かい?」

視界に男の顔がよぎった。この男、取引のあった部屋にいた――


「仲間なんだろうね。目に焦りが見える」

「……」

「だんまりかい? 薬で体は動かないだろうが、口は利けるはずだよ」

確かに、体は全く動かないが、声は出せる。頬に当たる土の感触からいって、店の中という訳ではなさそうだ。


「……霧里さんは?」

「ここにいると言っただろう?」

男が何かを引きずって私の目の前に転がした。それは人だった。綺麗に結い上げられたはずの髪は乱れ、顔にかかっていて顔はよくわからない。着物を見ると、土で汚れてはいるが見たことのある柄だった。そう、この柄は確か、霧里の着物のものであったはずだ。


「――霧里さんに何をしたの?」

「別嬪だが、噂じゃ腕のたつ何とか隊っていうとこの隊長らしい。眠らせてもらったよ」

「……」

「残念だったね」

男は私の前に屈み、私の胸倉を掴んで起こした。欲を出した商人の取引相手で、貿易商だと名乗っていた異国者(よそ者)の男だ。肌は褐色で、髪は黒。見た目でぱっとはわからないが、明らかに言葉の発音の節々が違う。


「あんたたちは売られるんだ。遠い遠い俺の国でな。――ハッ! 取引を押さえるどころか、仲間まで失ってさぞ悔しがってくれるだろうな。あのいけ好かない傷の男は!」

「……」

――傷の男。狼総隊長のことを言っているのだろう。


(不味いのかも…いや、不味いんだ……)


非常に危険な状況だ。どれだけの間眠らされていたのか、定かではないが、店から連れ出されて狼達が気がついていないはずがない。ということは、よほど遠くまで連れてこられてしまったのだろうか。

このまま、売り飛ばされてしまうのか。流石に血の気が引いた。


「おや、顔色が悪いよ。御嬢さん。もしかして、今更怖くなっちゃった?」

「……」

「へー。可愛いねえ」

にやりと笑った男の手が頬を撫でる。ぞわりと肌が粟立った。逃れようにも、体は痺れていて自由が効かない。


――そして、思い出す。

あの地獄の日々が。笑われ、蔑まれたあの日々が。

いくら気丈に振る舞っても、傷つく己に嫌になったあの時を、私は思い出した。


「、っ! 触るな!」

思わず、叫んでいた。嫌悪感で吐きそうだった。ただ、恐ろしかった。――涙が、出た。




「――おい、」

低く唸るような声と共に、撃鉄を起こす無機質な音が響いた。


「そいつから離れろ。三秒以内に離れねえと、脳天ブチ抜く」


(この声……)


茶化すような口調がその後に続いた。

「素直に従った方が身のためだってな。このお兄さん、へたれだけど怒ると怖いぜ」

「……てめえ、殺すぞ」

「っ! なんで、ここがバ、」

焦ったように響く男の声を嘲笑うように、声が答えた。


「――僕が教えたんです」

「! お前っ!」

男は振り返って、息を呑んだ。そこには眠らせられていたはずの霧里、いや桔梗が首筋にクナイをあてがっていたからだ。


「ひっ!」

「動かないで下さい。今まで眠っていたフリをしていただけですよ」

「そんな……」

男が言葉を失って、地面に膝をついた。すっかり戦意を消失したらしい。数人の足音が私の前で止まり、私の顔を覗き込んだ。

心配そうな狼の顔が目に入った。


「――忍。立てるか?」

「いえ、まだ薬が効いてい、――うわっ!」

ぐらり、と突然、視界が揺れた。体が浮く感覚に体が強張った。どうも、誰かに抱え上げられているらしい。と思ったのとほぼ同時に、私を抱えている人物が誰であるかを知って固まった。


「! せ、」

「元潜入部門にいたくせに、一服盛られてんじゃねえ」

「……すいません」

――那智だった。普段、何もしていないような細腕のどこに力があるのか、軽々と私を抱え上げている。


「あの、先輩」

「……」

「すいませんでした」

「……大体、お前はな…、っ!」

不機嫌そうに続くかと思われた言葉は、那智の口から一向に出てくる気配がなかった。しかも、何故か目まで反らされている。


「?」

「……見てねえ」

「は?」

「俺は、何も見てねえからな」

私を俗にいうお姫様だっことやらにしていた那智は、器用にも私を肩に担ぐ状態にした。景色が反転する。


「……先輩、すいません。血が上るんですが」

「我慢しろ。表で駕籠が待機してる」

「気持ち悪くなってきたんですけど」

「黙れ」

うざったいほどの長髪が頬をくすぐる。その頬を何かが伝って落ちた。


(……ああ、そうか)


なんだ、と私は一人ごちる。――きっと、那智は私の涙を見たのだ。


「……何笑ってる」

「別に、笑ってませんよ」

不器用で、口が悪くて。

――そして。

やはり、誰よりも優しいのだ。






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