――正直、変なやつだとは思う。
「――きゃあっ!」
「――おわっ! あ……」
渡り廊下の突き当りで、何の前触れもなく声をかけられた那智は飛び上がった。落とすまいと腕に抱えていた大量の書物が、呆気なく床に落ちる。――しかも、何やらほかほかと湯気の立つこぼれた液体の上に。
「ご、ごめんなさい…」
「……」
那智の額に浮き上がった青筋を見て、お盆を手にした咲がおろおろと謝った。慌てて、濡れた書物を掴もうとする手が何故か素早く引込められた。
「あつ…!」
「……」
――鈍くさい。ため息をついて、濡れた書物を摘みあげた。そして、きょとんとする咲に向かって言った。
「布巾」
「え、はい…すいません…」
しょんぼりと肩を落として、だが廊下を勢いよくパタパタと駆けていく。廊下に置きっぱなしにしてある盆を見やって、視界に映った茶碗に目を止めた。
――どこかに茶でも運んでいくところだったのだろうか。
この先にあるのは、今や使っておらず物置と化した、離れ数室と那智の自室があるだけだ。そこまで考え、はたと気づいて、那智は首筋を掻いた。
「……。余計なことを、」
「――おい」
「!」
ぎくりとして振り返ると、そこには自分より若いが同じ隊長格の男が立っていた。
「――鈴鳴か。なんだ、何か用か?」
「そこでつっ立って何してる?」
「一々うっせえな。どっかの誰かさんが盛大に茶をばらまいてくれたからな、片付け待ちだ」
「? それは、」
「――本当にごめんなさい! 今、拭きますから!」
「、っ!」
皮肉たっぷりに那智がそう返していると、背後で半ば泣きそうな声が盛大に謝ってくる。那智は首をギシギシ言わせながら、後ろを見やった。――案の定、屈んで書物を拾い上げながら、咲が丁寧に床を拭いている。
「よい、しょ」
「……」
「き、気にすんな。その、怒ってねえから!」
「? ぶつかったのは私が悪いですから」
咲が首を傾げて、再び「ごめんなさい」と謝った。いや、いいんだと那智が冷や汗を流しながら慌てて咲を遮った。
何故なら、咲の声を聞いた瞬間、目の前に立つ鈴鳴の気配が殺気だったからだ。
「その辺でいい。ほんといいから」
「え、でも」
「俺も前を見てなかった。こちらこそ、悪かった」
那智は早口でそう言うと、濡れた書物を拾い上げ、抱えてそそくさと退場しようとした。――が。
「那智さん…」
「あ?」
「あの…、後でいいんですけど」
口ごもる咲を前に那智は足を止めた。鬼と化している鈴鳴の手前、ないがしろにも出来ない。――しかし、嫌な予感しかしないのは確かだ。
「ご相談があるんです」
「……他の奴に頼め。俺は忙し、」
「な、那智さんじゃなきゃダメなんです!」
「――は?」
(……お、俺じゃなきゃ駄目ってなんだ?)
「あ、あああ後でお部屋に伺いますから! お願いします!」
「お、おい!」
那智が混乱しているのをいいことに、咲は手早く床を拭きとると、固まっている那智と鈴鳴をよそにさっと踵を返し、行ってしまった。
「……」
「……」
「あ、あいつ! 茶を溢した上に俺に一体、何のよ、」
「――那智」
「……あ、ああ?」
鈴鳴が目が据わった状態で、那智の肩を掴んだ。
「話がある」
「……。俺はない。というか遠慮させてもらう。――おい。ろくでもないこと考えてんじゃねえぞ、このへたれ野郎」
「……問答無用だ」
※後半へ続く
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