「な…、なんで、お前、ここに」

「……さて、どなたでしょうか」

「……。てめえ、殺すぞ」


うん、なんていうか、――こっちが聞きたい。







「――先輩。資料です。明日までに目を通してほしいそうで」

「……」

「あの、聞いてます?」

私は紙面から顔を上げない那智を前に、ため息をついた。

この間の件から、那智の機嫌がすこぶる悪い。元々目つきがいい方ではないが、目は険を帯びて鋭いし、私が何を言っても返事すらしないのだ。ただ、目が少し動いて、ちらりと私の方に一瞬向くので、聞こえてはいるらしい。那智を軸として成り立っている私の部署は言わずもがな男ばかりな上に、那智の他に私の相手をしようなどという物好きはいない。

いつものことと言えばそうなのだが、周りの好奇な目にプラスして、こうも毎日敵意こもった陰険な目を向けられるといくらなんでも気が滅入る。

ため息をついて、私は姿勢を正し、そして、深々とお辞儀をした。


「……昨日のことは大人気なかったと思います。申し訳ありませんでした」

「……」

「あの、聞いてます?」

資料を捲る手を止めて目を上げた那智の目が更に険しくなった。もうむしろ、殺意に等しい。あ、まずい。逆効果だったかなと思いつつ、我に返る。

いやいや、そうじゃなくって。


「先輩。一応、私、謝ってるんですけど」

「……うるせえ」

那智は低く唸ると、椅子から勢いよく立ち上がり、私のすぐ横を通り過ぎた。今日は珍しく下ろしていた、うっとおしいくらい長い、薄い色素の髪が揺れる。

近くにいた同僚に「所用で出る」と声をかけたのが見えた。少し腹に力を入れて、那智の背に向かって声をぶつけた。


「あの、お出かけですか?」

「……」

今度こそ、完全に無視だ。そのまま、革靴を鳴らし、去っていく。私たちのやり取りを静観していた同僚が鼻で笑う。


「何したのか知らんが、ありゃあもう駄目だわな」

「まあ、もった方じゃね?」

那智さん、好き嫌い激しいし、と私より一つ二つ年上の軽い男が笑う。そばかすの散った鼻先を掻いて、机の端を蹴った。


「いい機会じゃん。さっさと辞めちまえばァ?」

「――お気遣いなく」

私は同僚の悪意ある戯言をかわしながら、席につく。机の上に山になっている本を揃えながら、心の奥が少しばかし痛くなるのを感じた。


(――何を今更、揺れてんだろ…)


憂鬱で頭が霞み始めたところで、両肩に急にずしりと重みがかかった。驚いて思わず、振り払うと、にこにこと人好きのする笑みを浮かべた男が背後に立っていた。


「! ろ、狼総隊長!」

「お。元気?」

垂れ目がちな目に、精悍に整った顔。右頬の大きな切り傷さえなければ、役者かと勘繰るほどの美形だが、彼は違う。東の一帯の治安を任されている疾風隊の総指揮を任された男だ。

突然現れた彼に、同僚は顔を伏せて素知らぬふりを決め込んでいる。


「相変わらず、お堅いねー。ここは」

官服は首が締まると狼は笑ってみせた。中央の建物に入るには正装は欠かせない為に、彼は慣れぬ官服姿だ。しかし、よく似合っている。


「中央機関にいるなんて、珍しいですね。岩崎様から呼び出しでもあったんですか?」

「まあ、そんなとこかな」

「――狼総隊長!」

談笑していると向こうから息を切らして、官服を着た男が駆けてくる。狼は舌を出した。


「見つかったか」

「見つかったかじゃありません!」

「知り合いが見えたから、ついね。悪かった」

「知り合い? ……ああ」

男は私に目をやって、鼻で笑った。私は会釈する。


「――さ、参りましょう」

「ちょっと待って」

怪訝そうに目を細めた後、狼は私の耳に口を寄せた。


「――頼みたいことがある。仕事が終わったらで構わないから、疾風隊本部に顔を出してくれないか」

「え?」


(――私に、頼みたいこと?)


私が首を傾げている間に、狼は踵を返して手をひらりと振った。よろしく、と振り返った口元がそう告げる。私は了承の合図に、軽く会釈を返した。






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