「……新入り。ここは託児所か?」

「いえ、第三会議室です」

深くなる眉間の皺を見やって、私は目の前の出来事を見守ることにした。――彼は全く自覚していないのだろうが、物凄く面倒見がいいのだ。







政府の要人の何人かが集まって会議をするということで、私と先輩、那智は会場の下調べに来ていた。政府の要人とはいっても、中堅クラス。ガードも少人数でいいし、会議場所もこじんまりとした、そこそこ内装のセンスが良ければ文句はない。

……はず、だったのだが。


「その第三会議室とやらは、いつから託児所になったんだ?」

「知りませんよ。場所は間違いないと思いますけど」

私は視線を前に向けたまま、しらっとして応えた。目の前の出来事は本当に専門外であるし、意味不明だ。


――長机の上にちょこんと乗せられているそれは、子ども、いや赤ん坊だ。はいはい出来るか、否かというくらいの頼りない感じで、目を真ん丸にして私達を交互に見比べている。

「……おい、受付に行って確認してこい」

「赤ちゃんから目を離すどころか、置きざりにする親なんかいます?」

「知るか。とにかく、か、――!」

那智が目を見開いたかと思うと、物凄い勢いで私の目の前で地面に倒れ込んだ。机や椅子を派手に倒しながらも、何かを腕にはっしと抱えて屈みこんでいる。

那智の腕の中には、あの赤ん坊がいた。小さな手を握り、真ん丸の目を更に丸くして固まっている。


「あああああ危ねえ…!」

「先輩、ナイスキャッチ。反射神経いいですね」

「呑気に言ってる場合か」

那智は赤ん坊をひょいっと抱き上げると、あっさり自分の胸にかかえ直した。赤ん坊はというと、泣きもせずに落ち着いた様子で指をくわえている。机から落ちたにも関わらず、泣きもしない赤ん坊もさることながら、那智の動作がやけに手慣れている。私は首を傾げて口を開いた。


「あの、先輩」

「……おむつ」

「おむ、……はい?」

一瞬にして顔をこわばらせた那智が机の上に赤ん坊を乗せ、買ってこいと私に命じてきた。……うわあ、機嫌悪い。


「あ。もしかして、やっちゃってます?」

「……いいから買ってこい。三十秒」

「先輩、机の下にありますよ。おむつ」

「ああ?」

那智は机の下からおむつを引っ張り出すと手慣れた風に広げだした。いくらなんでも手慣れすぎやしないか。……ますます謎だ。

てきぱきと準備しながら、那智は低く唸っている。


「ほったらかした上に、俺にガキの下の世話までさせやがって…。誰だか知らねえが、――ぶっ殺す」

「せんぱーい。悪人面、凄まじいですよ」

私は軽口を叩きながら、赤ん坊を見やった。大層腹を立てているらしい那智に対して、先程よりもご機嫌で足と腕をばたつかせている。にも関わらず、やりずらいと愚痴ることもなく、いとも簡単にオムツを替えている那智は本当に何者だ。官僚候補生時代も器用な人間だとは思ったが、ここまでとは思わなかった。いい母…、いや、いい父親になるだろう。

おしめを替えた那智が手を消毒しながら、私に不審そうな目を向けた。


「? 何ブツブツ言ってんだ?」

「いえ、なんでもありません。まあ、会議は明日ですから、ここで問題ないと思いますけど」

「明日はどうでもいい。慣例通りになるに決まってるし、官僚同士でおべっか使うだけだからな。――ハッ! 薄ら寒ィこった」

「それ、その馬鹿どもに言ってやって下さい。というか、」


――あんたも同じようなもんでしょうが。


どかりと会議室の椅子に腰を落ち着けた那智に私は小声でツッコんだ。

官僚同士のおべっか使いが薄ら寒いと毒づく那智もまた、そんな官僚の仲間入りをしようとしていることを私は知っている。


この、表面上は女のような顔の整った、長髪三つ編み、明らかに文系の優男。だが実態は、暴君の彼は上官の賄賂、接待のために上官とともに花街通いに励む最低男なのだ。上官への賄賂なんて常。懐には黄金色の菓子が何たら。

次なる昇進のためか。那智の軽蔑する、官僚同士のおべっか使いなど可愛いもんだ。いや、より質が悪いといっていい。

――なんだか、無性に腹が立ってきた。


「……この、クズ男…」

「ク、――何だって?」

那智が椅子を大きく揺らして立ち上がった。目を見開いて、額に青筋を浮かべている。


「おい、今、何て言った?」

「いや、あの、えっと……、こ、ここここの、破廉恥!」

「はあっ!?」

少し迷ったが、開き直って私は指を突きつけた。那智が身を少し引く。


「知ってるんですよ、私。昨日も第四支部の馬鹿部長と花街に繰り出したこと。先輩だって同じようなものでしょう」

「それなんで、知、――おい」

一瞬動揺した那智の目が狂暴に光った。


「なんで、それが破廉恥になるんだ?」

「な、なんで? それ、聞いちゃいますか?」

私は呆れて、拳を握りしめた。腹に一発、いや、三発。


「……歯ァ食い縛れ!」

「さっきから何言ってんだ、おま、」

「――失礼しま、…す?」

ぽかんと口を開けた、見慣れた官服に身を包んだ私の同期が立っていた。






「――いやあ、すみません。この子、預かっていた子なんですけど、僕の方が迷子になっちゃって」

「……死ね」

「え?」

「ウチの先輩は、気にしないくていいから」

「あ、うん…。ところで、何してたの? はれんちがどうとか聞こ、」

「気にしないで」

「え、でも、」

「気にしなくていいから」





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