政府の官僚といえば、超の字がつく名門出のエリートしかいないというのが慣例であったらしい。税金の金食い虫どもの集まるごみだめに、ましてや民間の、しかも女がいるなんて異例中の異例。お偉いさん方が血迷ったとしか思えないというのが、政府から支給された高級軍服に身を包んだ私を見た、周りの見解である。
――そして、私の上司にあたる彼の見解だ。
「――今回ばかりは馬鹿どもに賛成だな。何かの間違いに決まってる」
「……。そうであってほしいのは私も山々なんですが、事実です」
あからさまに嫌な顔をしている上司に私は淡々と述べる。私が今、彼に提出したのは自分の履歴書だ。機械的に判子を押す作業に没頭していた彼は判子を押そうという体勢のまま、眉間に皺を寄せて固まっている。
「これからよろしくお願いします」
「……確認してこい」
彼は判子をドン!と勢いよく紙面に叩きつけ、私に履歴書を突っ返した。
「あの、」
「お前みたいなやつがコネなしにこの部署に入れるわけがない。手違いか…、とりあえず何かの間違いだ。確認してこい」
「……自分でして下さい」
――相変わらずの暴君ぶりだ。恐れ入る。
実のところ、彼とは初対面ではない。最初にここで顔を合わせた時の彼の腰の低さから見て全く気が付いていないのだろうが、官僚候補生時にたびたび彼と遭遇しているし、護身術のクラスでは組手の相手をしたこともある。
ギロリと凄い勢いで睨まれたが、無視することにして、私は履歴書を再び彼の前へと突き出した。
「とにかく、今日からお世話になります。神崎忍です」
「……」
相手をするのも面倒になったのか、軽い舌打ちをして、彼は渋々私の履歴書を受け取った。そして、見もせずに机の引き出しに乱暴にしまい、判子を押した紙を苛々と神経質にそろえ始めた。
「相変わらず、細かい…」
「あん?」
私の呟きが聞こえたのか、彼は訝しげに視線を上げた。そして、つかつか私の前に歩み寄ると腕を組んで見下ろす。
「――どこかで会ったか?」
「ええ、まあ。どうでもいいですけど、物騒な物から手を離してもらえますか?」
「……」
彼、那智は無意識に持っていっていた手をホルスターから離した。眼鏡の奥にある目が隠そうともしていない不審感一杯で、やれやれと私は首を振った。
「官僚候補生の同期だったってだけですよ」
「……俺に女の同期なんていねえ」
「候補生時は髪もばっさり切ってましたし、先輩と違って目立つ方じゃなかったので無理もないかと」
――どう見ても、男にしか見えない。官僚候補生時に耳ダコになるほど言われた言葉だ。
華奢といえば聞こえはいいが、痩せっぽちで、胸は絶壁。髪も短く、着る服と言えば女のそれではなく、支給された色気のくそもない軍服。
「――ちょっと待て」
「はい?」
那智は眉間の皺を深くして、私を見下ろした。
「先輩?」
「ただの言葉の綾と言いますか。私、先輩と同い年ですけど、諸事情で一年ほど休学してたので」
「上司を先輩呼ばわ、――まあ、いい。で、初勤務がここってわけか」
勝手にしろとでも言いたげに自分の椅子に踏ん反り返って、那智は欠伸交じりにそう尋ねた。私は首を振る。那智の欠伸が中途半端なところで止まった。
「は…?」
「異動命令は、ここでちょうど記念すべき十回目を迎えます」
「十っ…!?」
那智は開いた口が塞がらないとでもいうように、口をパクパクさせた。そして、何かに合点がいったのか、ようやく口を閉じる。
「ははーん。もしかしてお前、たらい回しにされてんのか」
「もしかしなくてもそうでしょう。たらい回されてるんです」
私は皮肉っぽくそういって、大きくため息をついた。
候補生時の髪形を改めて、腰まで伸ばし、支給された高級軍服も女物にした。これは私の意向というよりは政府の意向だ。そもそも民間出身で女の私を官僚へと取り立てたのも、お家柄関係なく、男女平等何たらを実行しているという看板に私を仕立て上げたかったのだろう。
そんな下心丸出しの政府だから、そもそも期待はしていなかったが、ろくな官僚はいないことを私は思い知った。私を含む、数名の女官僚に浴びせられた、女なんかに官僚が務まるかという偏見と、俗に言うセクハラだ。
それに耐えかねて、次々に辞めていき、残ったのは私一人という何ともお粗末な結果を迎えていた。
「盛りのついた雄猫じゃあるまいし、本当情けないですよ」
私が近くにあったソファに腰をかけると、那智の持っていた紙が音を起てる。
つい先日も、どこの悪代官だっていう台詞を吐きながら擦り寄って来た変態野郎(昨日までの上司)を一蹴してきたばかりである。妙に耐性がついてきた自分に苦笑が漏れた。
那智は紙を机上に投げ出すと、身体を起こして口を開く。
「間違っても、俺とあの馬鹿どもを一緒のくくりにするな。――辞めようとは思わないのか?」
「辞める?」
――官僚試験に合格して、ひとつだけ決めたことがある。笑っても、泣いても、どんなに嫌になっても、
意地でも辞めてやらないって。
「私を選んだことを後悔させ、あ、間違った、ここまで来たらぎゃふんとさせてやりたいですし。私、負けず嫌いなんで」
ソファから勢いよく立ち上がって、私は背筋を正し、敬礼した。
「この度、この部署に配属となりました神崎忍です。これからよろしくお願いします」
「……」
那智は無言で椅子から立ち上がると、敬礼していた私の額を容赦なく小突いた。いわゆる、デコピンだ。
「いっ、つ…! 何す、」
「――早速、仕事だ。新入り」
――どさどさっ。反射的に両手を出した良かったものの、もしも出していなかったら無残に床に散らばっていたであろう紙の山に私は目を白黒させた。かなりの量で前は見えないし、腕に食い込むほどずっしり重い。
「――地下一階会議室」
「はい? なんですか、いきなり」
「後五分で、会議始まるぞ」
手首につけられた腕時計を指して、那智はこともなげに言った。――まさか、届けろと?
「遅れたら、どうなるかわかってんだろうな?」
「んな横暴な、」
「行け」
にっこりと那智が微笑んだ。目が全く笑っていない。腕に食い込む紙類を抱えながら、私は歩き出した。ところで、誰しもが認める方向音痴の私は、五分で行けるだろうか。
――まあ、とりあえず、ここにおいてもらえるらしいのでよしとしておこう。
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