「……桔梗。ついてこないで」
「それで、どういった症状なんですか?」
静香の鋭い視線を物ともせず、桔梗は傍らを歩く少年に話を振った。何やら機嫌の悪い静香と桔梗の間に挟まれて居心地が悪いのか、使いの少年は身を縮めている。
流石に、大人げないと思い直した静香が咳払いをした。
「えっと…、風邪みたいな症状だとは聞いてるけど、どうなの?」
「せ、咳が少しと、熱が結構あって…」
静香の口調の穏やかさが戻ったことにほっとしたのか、少年はぽつりぽつりと話しだした。
「皆、多少熱が合っても大丈夫だってきかないから、酷くなっちゃうし…。お抱えの東心(とうしん)先生にまでうつっちゃって…」
「なるほどね。まあ、詳しくは診察してみないと分からないけど」
「……ねえ、先生」
少年が足を止めて、静香を見上げた。桔梗も足を止め、何事かと耳を澄ましている。
「うん?なあに?」
「皆を診る前に、先に診てほしい人がいるんだけど」
「……診てほしい人?」
桔梗が首を傾げた。
「重症な方でもおられるんですか?」
「そ、」
「止めとけ、孝太」
少年が口を開くか開かない内に、誰かの声が遮った。どうも、屋根から降って来たらしい誰かの声に静香と桔梗は目線を上げた。
二階の屋根の影の下からにゅっと色白のすらりとした手が伸びている。両手首のいかにも高価そうな洒落た飾りだけが揺れ、その人物は顔さえ出さず、淡々と三人の頭上に声のみを降り注いだ。
「何度も言ってんだろうが。あいつはもう駄目だ」
「そんなの、まだ分からないじゃないか!」
「ヤブ医者共にいくら診せたっておんなじさ」
少年(どうも、孝太というらしい)が伸びた腕を睨み付け、怒鳴ったが、声は鼻で笑うだけで相手をする気はない様だった。
そして、大きなため息を吐き出した。
「ったく、あいつのこととなると、どいつもこいつもうっせえな…」
「当たり前だろ! 桃ちゃんと違って、白菊兄ちゃんは優し、」
「も、」
……桃ちゃん? 呆気にとられていた静香と桔梗がその疑問を口にする前に、大きな影が土埃と共に落ちてきた。地面が割れるかのような大きな音がついで、響いた。
「だァれが、桃ちゃんだ!!」
ガツン! 孝太の頭に拳が振り下ろされた。鮮やかな赤色の上等な着物を纏った、何やら派手な偉丈夫が目を怒らせて立っていた。
「いったあああ!!」
「俺はな! なよっちい白菊とは違って、男らしさを売りにしてんだよ!」
「そんな乱暴者だから、桃ちゃんはいつまでたっても太夫になれないんだ!」
「るっせえ!! 使用人の分際でこの俺に楯突こうってか!?」
涙目で抗議する孝太にさらに殴りかかろうとする男の前に桔梗が立ちふさがった。
「まあまあ、その辺で。大人げないですよ」
「ああん?」
男は涼しげな目を不機嫌そうに眇めて、舌打ちをした。
「新入りかよ…。けっ! せいぜい、おば様方に可、」
「違うわよ」
桔梗が何か言いたげなのを制して、静香は口を開いた。
「私達、東心先生の要請で来たの」
「へえ。まあ、言われてみりゃあ、女だって勘違いするのもわかるな。こーんなアブナイとこに、いくら助手でも女なんか連れてくるもんじゃねえぜ? 別嬪さんよ」
ぽん、と気安く桔梗の肩を叩く桃ちゃん(仮)に静香はため息をついた。どうやら、勘違いをしているらしい。
「……桔梗はただの付き添いよ」
「?」
「あたしが、医者よ。……桃ちゃん」
目を丸くする桃ちゃん(仮)に、静香は精一杯の皮肉を込めてやった。
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