……大したことでは驚かない。それは流石、疾風隊をまとめあげる総隊長というに相応しい。
しかし、そんな彼でも面食らうことはある。
「……朝の開口一番にこういうのもなんだが、」
おはようと言いかけたのを飲み込んで、狼はパチパチと瞬きを繰り返した。
「一体、昨夜は何があったんだ?」
「……。別に、何もなかったわよ」
明らかに何もなかったような顔をしていない静香の顔を改めて眺めてから、狼は静香の傍らに寄り添うようにして眠っている桔梗を見やった。暫く起きそうもない彼の横顔は安心しきっていて、幼子のように邪気がない。
狼は頭をかいた。
「別にとやかく言う気はないんだが、本部でそういうのはあんまり…、うん、控えて頂けると、疾風隊の隊長さんとしては大いに助かるんだが」
「……なんか勘違いしてない?」
どうも、邪推をしているらしい狼を、静香はギロリと睨んだ。狼が慌てて、なんでもないと首を振る。
珍しく時間通りに出勤した狼が静香の部屋を訪れると、早起きなはずの静香の蒲団が敷きっぱなしになっており、異様に掛け蒲団が盛り上がっていた。それを不審に思った狼が、恐る恐る捲ってみると、何故か桔梗と静香が一緒の蒲団の中にいた、というわけだ。……しかも、何故か、静香は見慣れぬ洋装をしており、髪型は少々崩れていたものの、やけにめかし込んでいる。
何故、めかし込んだ恰好のまま、しかも、何故、桔梗が静香と同じ蒲団で寝ているのか、しっかり詰問したいところだが、狼が口を開こうとする度に静香の目が鬼のように吊りあがる。仕方なく、狼は諦めた。
静香は冷静に口を開いた。
「桔梗が離してくれなかっただけだから」
「ふ、ふーん。さいですか…」
「……だから! 離してくれなかっただけって言ってんでしょ!」
静香の腰の辺りに巻きついている桔梗の手を剥がそうと躍起になっている静香に晴れぬ疑惑の目を向けつつ、狼はほうほうの体で退散した。
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「……いやー、誰がどう見たって怪しいよなあ、うん」
「はよーっす」
独りごちていると、奥から神城がやって来た。欠伸をし、眠そうな上に、盛大に寝癖がついたままなところを見ると、寝起きらしい。寝過ごして、慌てて出勤してきたというところか。
「おはよう、神城。その寝癖、何とかしろ。みっともないぞ」
「へいへい。で、何が怪しいって?」
どうやら、狼の独り言を聞いていたらしい。全くどうでもいいところで、耳聡い。
狼は苦笑した。
「……その…、ちょっと、な」
「ちょっとってなんだよ? 気になるじゃんか」
神城が寝癖を引っ張りながら、唇を尖らせた。狼は困ったように、首を傾げた。
「まあ、なんだ。ちょっとしたー、その、事件があってだな。目下、捜査中」
「事件? ああ、もう! はっきりしろって! ……あ! 分かった!」
神城が寝惚け眼を見開いて、嬉々として声を上げた。問題の、向こうの部屋に聞こえたのではないかと、狼は内心、ひやりとする。
「……神城くーん、お静かに」
「桔梗と静香に何かあったんだろ! 何、ついに燃え上がっちゃった? なっ? そうなんだろ? なあなあなあ!」
「……」
全く神城は声の調子を抑えるつもりはないようだ。昨日の酒が残っていて、まだ酔いが抜けないのかもしれない。
狼はやれやれ、とため息をついた。もちろん、酔った時の自分のことは棚に上げて、これだから、酔っ払いは…と呆れている。
キラキラと目を輝かせ、野次馬根性剥き出しの神城は、大げさに辺りを見回して見せた。
「で? で? 問題のお二人さんはどこどこ?」
「あー…、今は静香の部屋にい、」
「よおし!」
気合いをひとつ入れて、意気揚々と神城が勢いよく駆け出していく。それを見送り、狼はそそくさと玄関に向かった。
酔っ払いというのはある意味、誰よりも勇敢であり、誰よりも無謀だ。
……この後、何が起きるか、簡単に検討がつく。逃げるが勝ちだ。
さっさと退散を決め込んだ狼は、玄関でばったり鈴鳴と出くわした。ぎこちなく、片手を上げる。
「おはよう! 鈴鳴くん! 今日は本当に素晴らしい朝だ! お天道様もこの素晴らしい朝を歓迎してくれているようだね!」
「? 今日は一日中、曇り空だぞ」
天気のことを言ったのかと、鈴鳴が首を傾げる。狼は笑って誤魔化すと、鈴鳴の横を通り過ぎて玄関口に掛かった暖簾に手をかけた。
「そ、そういうことで、後はよろし、」
「……おい、ちょっと待て」
鈴鳴が狼の肩を掴む。
「今日は非番じゃないだろ」
「……。いやあ、そのですね…、これにはちょっと事情がな!」
「事情?」
鈴鳴が眉間に皺を寄せ、口を開こうとしたその時、奥が何やら猛烈に騒がしくなってきた。鈴鳴が口を閉じ、本部の奥を振り返る。
「一体、なんの騒、」
「口は災いの元。人の恋路には口を挟むな。神城にはいい薬だな、うんうん」
「……だから、何の騒ぎなんだ?」
逃げるのを諦めた狼が神妙な顔で奥に向かって手を合わせる。それを鈴鳴が面食らったような顔で、本部の奥と狼の顔を見比べていた。
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