「……」
静香は呆気にとられ、ただ呆然とそれを見上げた。
目の前にそびえるように建つ巨大な建物。噂には聞いていた、赤煉瓦の屋敷、寺門家の邸宅である。
ここでは珍しい洋風な建物の巨大な姿を前に、静香は言葉を無くしていた。
「……静香様?」
「!」
声をかけられ、静香ははっと我に返った。声のした方を振り返ると、そこにはついこの間見かけた寺門家の使用人を名乗った男、日下部が立っていた。
「これは随分とお早いお着きで。葵様がお喜びになることでしょう」
「……。話は早くつけた方がいいと思っただけよ」
「左様ですか。では、ご案内致します」
ぶっきらぼうな物言いの静香に嫌な顔ひとつ見せず、にこりと日下部は微笑んだ。そして、思い出したようにこう付け加える。
「こちらの屋敷には寺門家一門全員が暮らしております。故に、」と日下部は一旦言葉を切り、静香のつま先から頭のてっぺんまで一通り眺めた。
静香は居心地が悪そうに身をすくめ、一歩、日下部から後退する。
「な、何よ?」
「これは失礼。しかし、そのお召し物では少々…、いかがなものかと思いまして」
「は?」
どうも、日下部は静香のこの隊服のことを言っているらしい。確かに、この屋敷では静香の和装は明らかに浮いている。
まずったかな、と思いながら、静香は苦笑した。
「話が済んだらさっさと帰るから、べ、」
「……さて、どうしたものか…」
「ちょっと、」
日下部は一瞬、思案顔になると、指を鳴らした。乾いた音が響いてすぐ、数人の人影が現れた。もちろん、この人影全員が小奇麗な洋装をしている。
「……お呼びですか?」
「静香様に正装をお願いできますか? 陽一郎様に文句の一つもつけられないような立派なレディに仕上げて下さい」
「れっ!?」
「承知致しました」
雲行きが怪しくなってきた。そう悟った静香が逃げ出そうとするのを、使用人がぐるりと静香の周りを囲んだ。皆こぞって、愛想のよい笑みを浮かべている。
「さあ、参りましょう。静香様」
「いや、あの、」
「「どうぞ、私どもにお任せください」」
「わ、私、急用が…」
静香の必死の言葉にも全く耳を貸すことなく、使用人と日下部はがっちり静香の両腕を支えて、門の向こうへと促した。
「せっかく、ここまで来られたんですから」
「……わかったわよ」
有無を言わせない日下部に、半ば諦めて、静香は寺門家の屋敷に足を踏み入れた。
………………………………………………………………………………………………………
「よくお似合いです」
「……」
さらりと言ってのけた日下部の言葉は、明らかなお世辞だ。静香はやれやれとため息をつく。
着なれぬ、この洋装(ドレスというものらしい)は、静香の目から見ても高価なものであることは分かった。
純白の、ひらひらとした薄手の生地に、胸元と腰回りに百合の花を模した飾りがついた、それはそれは豪華なものだ。そのような服が衣装箪笥の中にたくさんあったことからして、どれだけ寺門家に財力があるか見せつけられたような気分だ。
正装用に髪を結い、綺麗に整えると、静香は日下部に向き直った。
「これで文句はないはずよ。……葵に会わせてくれる?」
「文句など滅相もございません」
日下部は一礼すると、ここで暫しお待ちをと言い置いて出て行った。静香は部屋を見渡して、近くにあった天蓋付きの何かに腰を掛けた。ふわりと体が深く沈む。
手に触れる生地もまた上等なもので、静香は思わず呟いた。
「……どこもかしこも、これぞお金持ち!って感じね」
「そう思う?」
「!」
不意に背後から声がして、振り返るといつの間に部屋にいたのか、葵が立っていた。彼もまた、静香と同じように洋装をしている。
葵は肩をすくめて近づくと、静香の隣に腰を掛けた。
「……久しぶりだね、姉さん」
「ついこの間、あったばかりでしょ」
「俺の気持ちの中じゃ、久しぶりなの」
「そう」
静香の声が強張っているのを感じてからか、葵は苦笑いを浮かべた。
「でも、嬉しいな。姉さんがこんなに早く来てくれるなんて思わなかったし」
「……早い方がいいに決まってるわ。白菊さんのために」
太夫である白菊の体はそろそろ限界だ。しかし、なるべく、早めに療養させた方がいいのにも関わらず、白菊屋の楼主がなにかというとはぐらかしてしまうので、なかなか前に進まない。桃も孝太も、そして桔梗も静香も大分じれていた。
静香は葵に向き直り、切り出した。
「……私たちとしては、白菊さんを一刻も早く療養させたいの」
「つまり…、交渉成立ってこと?」
「違うわ」
静香は首を振り、意外なことを言った。葵の言う、身請けをしようという話を断ったのである。
これには飄々としていた葵も剣呑な目つきになる。声が若干、威圧的な調子になる。
「……一体、どういう意味?」
「形だけの身請けだとしても、白菊さんを売りたくないの」
まるで、人形だと彼らは言う。辛そうに、半ば諦めたように、自分自身を嘲笑う、誇り高き彼ら。
……だからこそ、白菊という人間を物のように売りたくない。
葵はふん、と鼻で笑った。
「ただでさえ、白菊太夫の引退を渋っている楼主にそれが通じるとも思えないけど?」
「……だから、お願いに来たの」
「?」
静香は姿勢を正し、葵としっかり向き直った。そして、"ある提案"を口にした。
[*prev] [next#]
[目次]