……そうなる前に、僕を殺して。
白菊は確かにそう言った。
「……」
「ほら、早く殺してよ。僕みたいな病人、腰の物で一発だ」
白菊はぐい、と着流しの胸元をはだけさせて、病的なまでに白い首筋を指してみせた。肌が汗で、薄闇に不気味に光っている。
「疾風隊の隊長さんなら、簡単でしょ? 人を殺すなんて」
「……、」
静香が何か言った。しかしそれは、聞き取れないほど小さな声だった。膝に置かれた拳が震える。
「早くしてよ。静香さんが殺してくれないなら、」
……自分でやる。
白菊の手が静香の脇差に伸びて、刀の柄を掴んだ。軽く鞘から抜かれた刃が鋭く光る。
「っ、ざけんな!」
静香の手が怒号と共に、白菊の頬を打ち据えた。ぱしん、と軽い音が部屋に響く。
白菊は一瞬何が起こったか分からずに、赤くなった頬を押さえ、目を丸くした。
「し、」
「何が独りぼっちよ! あんなに皆に心配してもらって、よく言うわ! しかも、最期まで他人の手を借りて死のうだなんて、図々しい! 死ぬなら勝手にすれば? ひとりで死んで!」
「……」
一気にそこまで言うと、静香は息を切らしている。それを呆気にとられて見ていた白菊が吹き出した。
「面白いね、静香さんて。桃が言っていた意味が、ようやく分かったよ」
「……で? 死ぬの、死なないの?」
静香がぎろりと睨むと、白菊は笑って首を横に振った。抜きかけていた脇差を鞘におさめ、肩をすくめた。
「うーん。なんかそういう気分じゃないから、いいや」
「……。何よ、それ…」
「うん。ちょっと、気になる人も出来たし」
怒りを通り越して、呆れる静香の方に顔を寄せると、素早く静香の額に口づけた。静香は暫く固まっていたが、何をされたかわかると、額を押さえて後ろに勢いよく下がった。薄闇にもわかるほど、赤くなっている。
「あはは、初心だなあ。可愛い」
「な、なななっ、殴られたいの!?」
「診察のお礼だよ」
悪戯っぽく片目を閉じる白菊に、静香は脱力した。流石は、太夫。飄々としている。
「……今度したら、ぶっ飛ばすわよ」
「もうしないってば」
「……一体、何をしないんですか?」
静香と白菊が声のした方を振り返ると、険悪な空気を纏った人物が玄関口に立っていた。傍らで、桃が腕を掴まれ呻いている。
「ちょ、痛え! 捻んな!」
「僕は貴方が一緒にいるというから、了承したんです。心配になって来てみれば、公家のおば様方といちゃついているとは一体どういうことか、説明して頂きたいもんですね」
「あん? 別に無事だったんだから、いいじゃねえか」
「……殺されたいのか、貴様」
「はいはい、桔梗。そこまでにしてー」
桔梗の声が低くなったところで静香が間に入った。部屋の奥で、白菊がクスクス笑っている。
「桔梗くん、舞台稽古は終わったの?」
「ええ、もちろん。……ところで、静香」
目の据わっている桔梗が静香の頬に触れた。静香は首を傾げる。
「? 何?」
「顔、赤いですよ」
「え」
静香が慌てて頬に触れると、確かに熱い。熱を持っている。
「……こ、これは別にな、」
「ははーん。白菊に何かされたなー、姐さん」
ここぞとばかりに、桃がちょっかいを出す。静香は桃を睨んだ。
「桃!」
「あ、図星? 姉さん、こう見えて初心だからなー、白菊にころっとや、」
「……白菊さん、ちょっとお話が」
「はい?」
桔梗が静かに切り出した。奥にいた白菊が何事かと、首を傾げている。明らかに雰囲気が物騒な桔梗に、桃が小声で静かに聞いた。
「前も思ったけど、相当な癪持ちか?」
「……。桔梗、分かってるとは思うけど、相手は病人よ」
「……分かってますよ」
続けて、桔梗が軽く舌打ちをする音が聞こえた。
「……」
やはり、静香に手を出すのはやめようと思った桃であった。
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