葵が通されたのは、日中よく、桔梗が使っている部屋だった。綺麗好きの桔梗らしく、きちんと整理整頓されている。

座布団とお茶を手際よく、人数分用意すると、桔梗は口を開いた。

「……それで、用というのは?」

「藍屋の太夫と知り合いなんだろ? ついでに、あのクソ生意気な桃とかいう男娼とも随分親しいらしい」

「? ……それが何か?」

全く話が読めず、桔梗は眉間に皺を寄せた。


「白菊太夫を身請けしたいんだよ。秘密裏にね」

「た、太夫を身請けしたいですって?」

葵が何故、陰間茶屋の一帯にいたのか気になっていたが、まさか白菊が目当てだったとは。

言葉を失う桔梗を無視して、葵はわざとらしく慌てたように静香に釘を刺した。

「別に、俺にそっちの趣味はないからね! これにはわけがあって、」

「わけ?」

静香が首を傾げると、葵は声を小さくした。


「……母さんの為さ」

「!」

……葵の母親のため。

確かに、葵はそう言った。かつて、静香の義理の母であった人のためだ、と。

「……あの人、の…た、め?」

「そ。母さんは姉さんと別れた後、寺門家の当主に見初められてね、寺門家第四夫人になったんだ」

葵はまるで他人事のように淡々と語り始めた。……静香の声の微かな震えに気づかぬふりをして。


「第四夫人とはいっても、当主との子供もいなかった母さんは、当主が亡くなった今じゃ完全によそ者扱い。俺と違って、人に取り入るのも下手だから、余計に現当主の兄さんにうっとおしがられてる」

俺は兄さんとはうまくやってるけどね、と葵は冷たい笑みを浮かべた。利用し、利用されることを悟っているような笑みだった。


「その母さんが公家の後添い達に誘われて陰間茶屋に出入りしてるって聞いた時の兄さんの顔、見せたかったよ。あれほど怒った兄さんの顔は見たことなかったし」

「……」

面白がっているような口ぶりに、悪趣味な、と桔梗は腹の内で吐き捨てた。葵は喉の奥で笑うと、続ける。

「汚らわしいだとか、寺門家の恥さらしだとかなんとか言って、母さんに直々に注意しても効果なし。一日と空けずに屋敷を抜け出す。で、痺れを切らした兄さんが調べさせてみれば、なんと相手はかの有名な太夫様、ってわけ」

「……白菊さんはもう客をとれるような体じゃないわ」

静香はお茶に口をつけ、静かに言った。葵は瞬きを数回繰り返し、聞き返した。

「姉さん、それってどういう意味?」

「白菊さんは心の臓を病んでいるの。そんな状態で身請けだなんて、無理よ」

「へえ、あの男がね…」

考え深げに呟き、葵はにっこりと笑った。


「……まあ、大した問題じゃないや」

「?」

「要は、白菊を手に入れられればいいんだから」

「! まさか、」

静香が目を見開く。


「病気の白菊さんを無理矢理、身請けするつもり!?」

「ああ、そういう手段もあるか」

「、っ! ふざけないで!」

静香は立ち上がり、葵の胸倉を掴んだ。

「彼が私の患者である限り、そんなことさせないわ! やっと、」


……解放されるのに。

諦めたような、それでいて傷ついたようなあの笑顔が、記憶の彼方の彼と重なった。脳裏で、霞んでは消える。


『……僕のことは放っておいて下さい』

『あんたじゃ、俺を救えない…!』


葵は無邪気な笑みを浮かべて、とぼけた。胸倉を掴んだ静香の手をゆっくりと剥がし、笑う。

「んー? 俺はしないけど、兄さんならどうかなあ?」

「、っ! 葵!」

憤って手を振り払おうとした静香の手を、葵は離そうとはしない。

「……ようやく、俺の名前呼んでくれたー。嬉しいな」

「っ、ふざけ、」

「ちょっと待って下さい」

葵の手首を掴み、強引に静香の手から引き離してから、桔梗は口を開いた。


「お兄さんが白菊さんを囲うことを歓迎するとは思えない。むしろ、嫌がるでしょうね」

「あ、ばれたか」

「……愉しいですか?」

桔梗はじっと葵を見つめた。葵は先程と同じ作り笑いを浮かべたまま、肩をすくめる。

「兄さんも、……いや、母さんもこの身請けのことは知らないし、はっきりいって望んでない」

「それは…、どういうことですか? 貴方の母親が白菊さんを身請けしたいから、貴方の兄に悟られないよう、手筈を整えるのを手伝ってほしい、というのならわかりますが」

「俺もね、大分迷惑してたんだ。母さんの茶屋通いにはね。……ああ、もしかしたら、身請けっていうのには語弊があるかもしれないな」

ふむふむと頷いて、葵は訂正した。

「俺は、白菊を母さんの目の届かない場所にやりたいんだ。白菊屋にあれがいる限り、母さんの茶屋通いは止まないだろうから」

「……どうして…、あの人はそこまで白菊さんに固執するの?」

葵が静香に目を向けると、静香の顔色は紙のように白くなっていた。かつて、義理の母であったあの人の話になると、静香は明らかに動揺しうろたえている。桔梗は倒れそうな静香の両肩をそっと支えてやった。

葵は目を細め、にこりと静香に笑みを向ける。


「好きだから、だよ。……だからこそ、母さんは自分のところに置いておけないんだ。どんなに金があっても、白菊を身請けすることがどうしても出来なかった。でも、だからといって諦めることも出来ない」

「それは、どういう意味ですか?」

「……失ってしまったから」

一度ならず、二度までも失ってしまったから。……大事な人を。

「それって、」

「……さて、そろそろおいとまさせてもらおうかな」

葵は、桔梗の言葉を聞かずに立ち上がった。そして、二人に背を向ける。

「それじゃ、今度、俺が来る時までに考えておいてよ。よろしく」

「ちょ、あ、」


葵は手をひらり、と一つ振って、さっさと出て行った。桔梗と静香はただ呆然と葵を見送っていた。










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