おはよう、と言いかけて、狼はかちんと固まった。たまたま後に続いていた神城が狼の背に鼻の頭をぶつけて、悲鳴を上げた。
「っだあ! 狼!」
「……」
耳元で抗議の声を上げたのにも関わらず、狼は前を向いたまま全く反応しない。
「どうし、」
「なあ、神城くん。これは一体、何の騒ぎなんだ?」
ひょいと神城が狼の影から覗くと、ある光景に呆気にとられた。
「な、なんだ、これ!」
疾風隊本部の玄関口に山のように置かれた品物の数々。数人の疾風隊平隊士らが目を丸くしている。……朝の巡回の為に玄関に来てみると、既にこの状態だったらしい。
狼は品物の山に近づき、酒樽らしき物の上に乗せられた小さな包みを手に取った。包みを開けてみると、狼の目で見ても明らかに上質な反物が入っていた。
「……おいおい、俺の一年分の給金でも買えないぞ。これ…」
「見ろよ! こっちの漆の箱はべっ甲の簪、櫛に髪油! うへー、紅まであるし!」
神城は手にするのも怖いという風に元の場所に戻した。そして、何やら思惑顔になる。
「……ざっと見て、女物が多くねえ?」
「確かに、そうだな」
狼がとりあえず元の場所に戻そうと反物の包みを縛り直そうと紐に手をかけると、ふわりと反物の間から紙が落ちた。
「ん?」
神城が屈んで、それを拾い上げた。微かに良い香りがする。……どうも、香を焚きしめた、文のようだ。
「うっわー。一二行しか書いてねえくせに、随分金かけてんなあ。この送り主、相当な金持ちだぜ」
「どれ」
狼が神城から文を受け取り、目を通した。
「些細ながら、我が愛するひとに。……葵?」
「あん? 誰だ、それ?」
「おはようござい、」
「おは、……何事だ?」
暖簾を潜って、桔梗と鈴鳴が姿を現した。二人とも、疾風隊の半纏を羽織り、巡回の準備万端といったところだ。
桔梗はぱちぱちと瞬きを繰り返して、天井高く積み見上げた品物を見上げた。
「一体何なんですか、これは?」
「んなこと、こっちが聞きてえよ」
「それにしても、凄い量だな。誰宛だ?」
鈴鳴が狼に聞くと、狼はひらひらと手にした文を振った。
「誰宛かは不明だが、差出人は"葵"っていうやつらしい」
「あ、葵ですって!?」
桔梗は耳を疑い、思わず声を裏返らせた。そして、狼が握っている文を奪い取った。
「! お、おい、桔、」
「なんだなんだァ?」
「知り合いか?」
「ちょっと、黙ってて下さい!」
血相を変えた桔梗に、狼、神城、鈴鳴は口を閉じ、押し黙った。深くつっこむと、桔梗の逆鱗に触れてしまいそうだ。
桔梗はぶつぶつと何やら呟いた。
「いかにも成金らしい品物…、公家…、気取った文句…、十中八九、あいつか…」
「……おーい、桔梗くーん?」
何を一人で、と狼が気が立っているらしい桔梗を落ち着かせようと、呑気に切り出したが、桔梗はますます顔を険しくさせた。
「何をぼやっとしているんですか。片付けますよ」
「か、片付けるって、」
神城がぐるりと辺りを見回した。空いていたはずの部屋はすでに資料置場と化していて、どこも満杯だ。この品物を置いておける場所は、この玄関口以外にない。
「いちいち移動させんのも面倒だしさあ、ちょっと邪魔だけど、別にここに置いてても、」
「……神城。本気で言ってるんですか?」
「え?」
桔梗が凄味のある笑みを浮かべた。
「誰が取っておくなんていいました? 僕は、片付けるっていったんですよ?」
「は? 片付けるって、」
「……こんなもの、捨ててしまいましょう」
「、すっ!?」
この発言に、桔梗のキレっぷりに馴れている三人も度肝を抜かれた。
……流石に捨てるのは不味い。
「き、桔梗…。それはちょっと…」
「……いくらなんでも、それはまずい」
「一先ず、落ち着け! だっ、誰宛かもわかんないんだぜ? お前、この品物、どんだけ高いと思っ、」
「高い安いなんて価値は、人によって違います。……まだ間に合う。手伝ってください」
「いやいや! そうじゃなくて!」
「おはよう、って何してんのよ?」
神城の必死の制止も徒労に終わるかと思ったその時、救いの主が現れた。
「……ちょっと、朝っぱらから何の騒ぎ?」
腕組みをした状態の静香が呆れ顔で立っていた。
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