がる空
37

その日、黒の教団アジア支部は、いつになく騒がしかった。廊下をどたばたと走り回る音や、「確認を急げ!」と叫ぶ声やらが部屋の中にまで聴こえてきて、バク・チャンは首をかしげた。本部から届いた書類を確認している途中だったのだが、あまりの騒がしさに先程から全く作業が進んでいない。耳をすませば歓声までもが聴こえてきて、休憩がてら様子を見に行こう、と思いたった時。

ウィン、と音をたてて開かれたドアから、大柄な老人が駆け込んできた。支部長であるバクの補佐役、サモ・ハン・ウォンである。余程急いで来たのか、ゼーハーと息を切らしている。

「どうした、ウォン。というか、今日は何でこんなに騒がしいんだ?」

「バク様……サッ…チャーが…戻りました…!命…からがら、生還したそうで…」

「何だと…?今何処に居る!」

「入口の、ホールに…」

「行くぞ、ウォン!」

ウォンが言い終わる前に、バクは歩き出した。頭は、驚愕と喜びで一杯だ。
アジア支部科学班所属、シン・サッチャー。自らのチャームポイントとやらを公言する様なおちゃらけた奴ではあるが、その頭脳はなかなかに優秀で、バクが気に入っている一人でもある。アジア支部にはエクソシストは居ない。戦場に向かわなければならない時も、非戦闘員が動く他に手立ては無い。そんな中、先日彼はその逃げ足の速さを買われ、探索部隊(ファインダー)の一人と共に戦場へ結界装置を届けに行ったっきり、消息を絶っていた。念のため数人の探索部隊に確認に行かせたが、生存者は居らず、破壊痕が痛々しく残っていただけ。そこに居た全員の遺体を確認する事は出来なかったが、生存は絶望的。
そんな彼が、戻ってきたのだ。


「あっ、バク支部長ぉ。こっちッスよ、こっち!」

ホールにたどり着けば、決して小さくはない人垣。その中心から、科学班見習いとして配属されたばかりの李佳が手を振ってきた。その隣には同期の蝋花と、歳が同じせいか最近仲良くなったらしい新人のシィフが居る。

「よく帰ってきたな!」

「無事で何よりだよ!」

次々と喜びと労いの言葉をかけられ、頭を撫で回され、照れた様に笑っているシン。顔から手足に至るまで見るからに傷だらけで、左腕は大怪我をしたのだろう、簡易的な止血処理が施されていた。こんなになってまでも、死なずに帰ってきてくれた。バクは思わず唇を噛み締めた。

「し、支部長…」

バクの姿を捉えて、次々と皆が道を開いた。そのままウォンと共に歩みを進め、シンの目の前に立つ。

「…し…ぶちょ、う」

まるでその呼び名を確かめるかの様に、シンはバクの顔を見て呟く。バクが思わず目尻が熱くなりそうになるのを堪えて口角を上げると、シンの顔が悲しげに歪んだ。

「支部長、申し訳ありません…!私が行った時にはもう手遅れで…!命…からがら…っ」

助けられなかった悔しさと仲間を失った悲しみのせいだろう、シンの肩が震える。あの場に居た探索部隊の中には、シンと同期の親しい奴が居たはずだ。シンの心中を察したバクは、彼の両肩に手を置いた。そこでふと何か違和感を感じたが、原因が分からない。気のせいだと思う事にした。

「もういい。お前のせいじゃないんだ。…よく戻ってきてくれたな、シン」


「ええ。……舞い戻って来ましたよ、」



―――輪廻の果てより…

なんて、ね。




小さく紡がれた戯言は、喧騒に呑まれた。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -