long dream | ナノ



師の心弟子知らず



昼時を過ぎた閻魔殿の食堂は、人の数もまばらで、普段より遥かに広く感じられる。
テレビはついていないが、当たり前のようにその真正面のテーブル席に向かった彼に続いてそこに座り、
私はうどんを、向こうは天丼を口に運んでいた。


「こう、普段転んだりとかして、しょっちゅう怪我する人って、案外大きな怪我とかしないじゃないですか」

「そうですねぇ。あと、滅多に風邪ひかない人に限って、病気で入院するとかありますよね」

「ああ、確かに。あとは……」

「柚季さん」

「はい」

彼、閻魔大王の第一補佐官、鬼灯が箸をとめて私の目をじっと見つめてきた。

「何があったんです?」

「…………」


責めているような口調ではなかったが、確実に答えさせようとしているのが分かる。
その切れ長の目から視線を逸らせないでいると、いつもはあまり似ていると思わないのに、見慣れた顔が重なって見えた。
ついさっきの、怒った上司の顔だ。




薬の調合で、ミスをした。
それも、ちょっと洒落にならないぐらいのミスだ。


「すみませんでした」

「あのさあ、僕はこの赤いラベルの瓶の生薬をすり潰して鍋に入れてって言ったよね」

「はい」

「君が入れたこの紫のラベルの生薬、これは猛毒だから本来は解毒処理をしないといけない。
 今回は僕が途中で気付いたから良かったけど、もし気付かなかったら大変なことになってたよ?」


もし白澤が気付かなかったら、これを飲んだ客は毒に侵されていた。
そうなれば当然、この店もやっていけなくなっていただろう。

腕を組み、私に鋭い視線を向ける上司の顔に、いつも周囲に振りまいている笑顔の欠片もない。
相当に機嫌が悪いご様子である。


「しかもあの鍋の中身、3日間発酵させたものだったんだけど」

この短時間に何度目か分からない溜息をついて彼が言う。

「明日お客さんに届ける予定だったのに、これじゃ今から調合し直しても間に合わない」

「……はい」

「今から謝りに行ってくるけど、この店への信用は無くしただろうね。君の失敗のせいで」

「…………」


「白澤様、もういいじゃないですか」

横でおろおろと様子を見ていた桃太郎が口を挟んだ。
だが、白澤の顔は厳しいまま少しも変わらない。

「桃タロー君は黙ってて」

「でも……」

「白澤様」

声が震えないように、わざと強めの口調で言う。

「本当に申し訳ありませんでした。今すぐ私をクビにして頂いて構いません」

私の言葉に彼は少し驚いたように目を見開く。
そしてすぐに呆れた顔で腕を組み直した。

「あのね、今はそういうことを言ってるんじゃ……」

「そういうことにして下さい。もう分かりましたから」

「ちょっと柚季ちゃん……」

「とにかく!この配達だけ終わらせてきます」


説教をされる直前、ちょうど閻魔殿に配達へ行くところだったのだ。
このままだと永遠に続きそうな小言を強引に制止し、手に持ったままだった包みを抱えて薬局を飛び出した。




「なるほど。今日は少し様子が違うと思っていたら……そういうことでしたか」


こちらがまだ半分も食べ終えていないというのに、鬼灯は既に天丼を平らげていた。
湯呑を手にしてお茶を一口飲む。

私が配達へ来ると、彼はよく昼食に誘ってくれる。
そこで、いつもならあの神獣についての愚痴を散々言い合ったりするのだが、
今日は全く上司の名を出さない私に、やはり何かを感づいていたようだ。


「しかし貴女がミスをするとはまた珍しい。何か理由でも?」

「……いえ、特には」


考え事をしていた。具合が悪かった。
そんな理由で許されるはずはないが、そういった言い訳の材料になりそうなものは何も無かった。
ただの、ミスだ。
それが偶然、とんでもない大きなミスだったのだ。
こんなことになるなら、普段から小さいミスを繰り返しておいた方が良かったのだろうか。
この前褒められたばかりだから尚更自分が情けない。


「いや、でもそれはあの神獣が悪い」


予想外の鬼灯の言葉に、俯いていた顔を上げる。

「え?」

「そもそも、危険な薬なら瓶に表記すべきです。失敗されて困るような作業を部下に頼むのもどうかと思いますし。
 だらだらと説教をするのも鬱陶しい」

眉間にしわを寄せながら、遠慮なしに非難していく。
いくら彼が白澤のことを嫌っているとはいえ、今回の件に関してそういう風に言うとは意外だった。
てっきり、私が悪い、と叱られると思っていたから。

「クビになんてされる必要はないですよ。あんな奴の所なんて、早く辞めてしまえばいい……」

「あの、鬼灯さん!」

思わず、大きい声を出してしまった。
人が少ないからか、食堂の中は声がよく響いた。

「今回のミスは、完全に私の不注意です。白澤様は悪くありません。どうか責めないで下さい。
 どうしようもないような人ですけど、漢方医として彼は正しいことを言っていました」

鬼灯の言ったことも一理あるかもしれない。
それでも、あの上司のせいにすることは私には出来ない。

「……私は、もうあそこで働くべきではないと思います。明日にでも辞め……!」

ペシッ

突然、デコピンを食らった。
鈍い音と同時に額に痛みが走る。
彼は手加減をしたのかもしれないが、かなりヒリヒリする。

「奴は良い部下に恵まれているようですね」

額を押さえたまま呆然としている私に構わず、無表情の顔は言葉を続ける。

「奴にとって貴女はなくてはならない存在です。辞めたりなんてしたら、かなり困るでしょうね」

「で、でも、私はあの人に迷惑を……」

「ミスなんて誰にでもありますよ」

気のせいかもしれないが、いつも厳しい顔のその瞳が今はどこか穏やかに見える。

「まァ、あいつのことだから、今頃はケロッとして柚季さんの帰りを待っていると思いますよ。
 安心して下さい。万が一、奴にクビにされるようなことになったら、私は喜んで貴女を獄卒として雇いますので」

無いと思いますけどね、と付け加えると、鬼灯は膳を持って立ち上がった。
何だかんだで随分と話し込んでしまったらしい。食堂にはもう私達しかいなかった。
その場で鬼灯と別れ、仕事場に戻る彼の背中を暫く眺める。
自分の上司の後ろ姿が、脳裏をよぎった。



親と喧嘩して家出をした子供の気持ちが分かるような気もする。
結局、天国に戻ったものの仕事場に帰る一歩はなかなか踏み出せず、
外で仙桃の手入れをしていたのですっかり日が暮れてしまった。

流石にもう逃げられない。
薬局の入り口の前で深呼吸をして、戸口に手をかける、と。

ガラッ

「!」

「あれっ」


向こう側から戸口を開け、現れたのは白澤だった。
身体がこわばる。
まだ怒っているだろうか。
何か言わなければ。でも、うまく口が動かない。


「ちょっと聞いてよ柚季ちゃん!」

私がただ立ち尽くしていると、いつもの声のトーンで彼が言った。

「桃タロー君が、もう二日酔いの介抱してくれないって言うんだよ?今から衆合地獄に行こうとしてるのに!」

「毎回アンタの世話してる俺の身にもなって下さいよ!飲みすぎるなって言ってんですよ!」

「厳しいなあ〜 じゃ、今度から柚季ちゃんに介抱してもらうよ」

「は?嫌ですよ」

「えー?もう、僕の部下ってなんでこんなに冷たいんだろう?」


お前の日頃の行いのせいだよ、と心の中でツッコんで我に返る。
いつも通りに戻っている。
白澤が怒っている様子も全く無い。

なんだ。よかった。

張っていた気を緩め大きく息をついていると彼が、留守番よろしくね、と桃太郎に言っているのが聞こえた。
飲みに行くのをやめるつもりはないらしい。


「あ、柚季ちゃん」

思い出したように彼が振り向く。

「何ですか」

「明日の午後は漢方薬学研究会の会議があるから、店のほうはよろしくね。配達も3件入ってるから」

頼んだよ、と言い残して出かけて行った。

わざわざ今言うことではない。
桃太郎に伝言だってできるのに。

もしかして。
これを私に言うために彼は遊びに行くのを待っていたのだろうか。

明日からも、ここで働いていいということだろうか。



「いやーでも柚季さん帰ってきてくれてよかったです。白澤様、心配してる感じでしたよ?」

そう言って桃太郎が横で笑った。

「桃太郎君」

「はい?」

「明日、私早く来て黄連湯とついでに朝ご飯作るから。桃太郎君ゆっくりしてていいよ」

「え、いいんですか?珍しいスね。柚季さんからそう言うのって」

「まあ、今回はね」


今回だけは、特別。






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