long dream | ナノ
薬剤師の顔
「柚季さんっていつ頃からここで働いてるんですか?」
「え」
作業台で薬の調合をしていると、ふいに桃太郎に質問を投げかけられた。
どうやら前々から気になっていたことらしい。
ぐつぐつと煮立った鍋をかき混ぜる手を一旦止めて記憶を辿る。
「んー、桃太郎君がここに来る2、3年ぐらい前……だったかな」
「えっそうなんですか。なんか意外だな」
「どうして?」
「いや、だって俺が初めて来た時、柚季さんって既にかなりの知識を身に着けてたじゃないですか。
てっきり昔から白澤様の下で働いているんだと思ってました」
あの日、閻魔庁の補佐官に連れられて来て、緊張からか強張った彼の顔が脳裏に浮かぶ。
以前はいろいろと厄介な性格だったらしいが、今ではそんなものは一切感じさせない穏やかな主夫の顔をしている。
「働いてる年数は桃太郎君とそんなに変わらないよ。だから私に敬語じゃなくていいのに」
「いやいや、それでもやっぱり柚季さんは先輩ですから!それに……」
「怖いんでしょ。桃タロー君」
庭の畑の様子を見に行っていた上司が、いつの間に戻ってきたのか、私達の会話に口を挟んだ。
「違いますよ!俺は別に……」
「うん、分かるよー。柚季ちゃんって、なんか逆らえないオーラ放ってるもんね」
へらへらと笑って、桃太郎の肩を叩く。
違いますからね!?と必死で弁解しようとしているが、おそらく図星なのだろう。
もちろん、そんなオーラを出している自覚など無い。
「……さっさと仕事しろ」
放っておけばしばらく話が続きそうな2人に向かって呟くと、部下のほうは青い顔をして配達へと出掛けて行った。
上司はというと、そういうところが怖いんだってばー、と笑いかけてきたが無視することにする。
鍋を再びかき混ぜる。
湯気で顔が火照って熱い。額の汗を拭う。
「そろそろいい感じだね」
白澤が鍋の様子を見て言った。
「ええ。次はどうすれば?」
「次はね、この薬草とこれの根の部分を……」
説明を聞きながらすぐにメモをとる。
漢方について語り始めるとこの人は、途端に薬剤師の顔になる。
いつもまるで女の人のことしか考えていないような、その脳の裏に秘められた膨大な知識。
それが垣間見えるだけで、普段と全く違う雰囲気を漂わせるのだから呆れたものである。
そういえば、こんな奴だけど私の師匠なんだっけ。
横顔をちらりと見ながら、毎回思う。
「……で、これらを鍋に入れてもう1時間煮込む」
「了解です」
一通りメモを終え、作業再開だ。
三角巾を結び直して、再び湯気と戦いながら鍋をかき混ぜる。
「初めて来たときから君は飲み込みが早かったもんね」
向かい側の椅子に座って、のんびりとこちらを眺めていた白澤が言った。
「何の話ですか」
「桃タロー君が言ってたじゃん。柚季ちゃんはベテランなんだと思ってたーって」
どうやらこの男、かなり最初の方から私達の会話を聞いていたらしい。
「今よりもっと口数も少なくてさ。でも僕が薬のことを教えてあげるとさっきみたいにメモをとって、
すぐに覚えていったよね。ホント、びっくりするぐらい次々と」
必死だった。
ずっとやりたいと思っていた漢方の勉強ができることが嬉しくて。
知識だけは確かな上司の言葉を一言も聞き漏らすまいと、とにかくペンを走らせた。
「よく頑張ってると思うよ。柚季ちゃん」
そう言ってにっこりと微笑む。薬剤師の顔だ。
もしかして、上司として私を褒めている、のだろうか。
「……なんか腹立つ。上から目線で言わないで下さい」
「上司なんだから上から言うの当たり前でしょ!?……口数が増えたかと思ったらこれだからなー」
私の淡々とした言葉に大げさに溜息をつく。
仕事して下さい、と言うと彼はのろのろと立ち上がり自分の作業に取り掛かった。
よく頑張ってると思うよ。
頭の中で繰り返されるさっきの言葉。
イライラする。
少しでも嬉しいと思ってしまった自分を、蹴り倒してやりたい。
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