華麗なる獣の復讐も兼ねた傍観生活 | ナノ


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「でもやっぱり、いづまでも標準語が喋れねのはめぐねど思う」

 私と律(りつ)兄さんを抱き上げて、藍場(あいば)先輩はそう小さく言った。
 ニュアンスとしては、いつまでも喋れないと駄目、って感じだと思うけど、急にどうしたんだろう。
 藍場先輩はちょっと苦笑いを浮かべて、だってと続けた。

「だって、いづかオレも成人して、標準語が主流さなる社会の中ば生きていく。なのに、方言はオレのアイデンティティさ等しいど訴え続つけるのは、社会人どして相応しぐね。方言は大事だ。オレの一部だ。でも、多ぐの人が使うのは標準語で、それば話して生きていかねど行かね。……未来的さある大企業への就職が決まっている今、標準語は必須だし、オレも話せるようになりたい」

 そう語る藍場先輩の目には、光があった。
 どこまでも遠い未来を見つめる、確かな輝き。まるで夢を語る少年の様であり、いつか辿り着く天国に思いを馳せる老人の様に。
 先輩は、前を見据えている。
 方言というアイデンティティを確立して行こうと強く決意しながら、自身の将来のために何をすればいいのかを考えている。
 そこには、『自分は周りに制限されている』と悲観に暮れる、黒ずんだ青年の姿はなかった。

「世の中には、方言に対して否定的の人が、否定的なひとがいる。もちろん、中には方言ば好きだど、あー、方言が好きだという人も多くいるけど、オレが出会ってきた人間の多ぐは前者で、オレが言葉ぁ発するたびさ、えぇ、たびに眉ば顰めた。でもオレは方言ば愛してるし、誇りに思っている。それば、それを飲み込んで標準語を話すのは、社会人どして働ぐ上で、オレには必要な事だと思う。……それに、まったぐ方言ば、んん、まったく方言を使わないわけじゃない。親しい人には話すし、日常でも方言を使っていく。流石に方言封印はキツイ」

 方言を標準語に直しながら、先輩は小さく笑った。
 今までと違って、格段に柔らかくなった口調で微笑みながら、私と律兄さんの毛並みを撫でた。
 藍場先輩は、妄想を押し付けるなと言った。それは私が想像するに、好きな芸能人の私生活を妄想し、押し付けるのと似たような行為なんじゃないだろうか。
 いま私と律兄さんの毛並みを撫でる藍場先輩は、360度どこを見ても見惚れる程のイケメンだ。加えて方言を隠すために無口気味だったから、彼の本当の口調や性格を知る生徒は少なかっただろう。
 というか、いたのかさえ分からない。
 そんな中で、藍場先輩に密かに憧れる人は、彼の口調や性格を勝手に想像していたのかもしれない。
 それを何らかの形で押し付けられていていた、言うなら『○○はこんな喋り方だ』みたいな感じで。
 藍場先輩はそのことに対して、ストレスをためていたのかもしれない、と思った。
 少なくともさっきまでの藍場先輩には、ストレス感じてますって感じのオーラびんびんだったし、ちょっとやつれた顔からは疲れが見えている。
 ……イケメンって、大変なんだなぁ。憧れているひとにとっては、テレビのなかの芸能人と同じなんだ。

「『もうわんつかオレになる』って言ったのは、嘘じゃない。オレはオレなりに努力していく。標準語は、まだうまく発音できないのもあるけど、これからもっと頑張る。方言は、たぶん時々出てくるかもしれんけど、公の場ではできるだけ標準語を話す。……目標は友達作りだ」

 気恥ずかしそうに言う藍場先輩は、希望に満ちていた。



******


『あのサ、詞葉(しば)。聞きたいことあるんだけど、イイ?』

 藍場先輩の横で、しばらくの間無言だった律兄さんがゆっくりと身体を起こした。
 さっきまで少し頬が赤かった先輩は、うん? と言いながら律兄さんに視線を移した。
 私は芝生の上をゴロゴロしながら、律兄さんのちょっと真剣な声に耳を傾ける。なんかいつも以上に真剣みを帯びたその声が、気になって仕方ない。

『詞葉はサ、派手な色の髪のオンナ、知ってるゥ?』
「派手な色の髪の女? ……いいや、オレは知らない、といいたいんだけど、いつも美術室さいるから、よくわからない」
『んとネー、1年生の転校生らしいんだけド、派手な色の髪がうっとおしくて、顔が気持ち悪いくらい整ってるオンナでェー、無駄に高い声しててェー、五月蠅くてェー、取り合えず気持ち悪いヨ!!』
「なんか、悪意が籠ってるな、律。1年生の転校生か、なら尚更わからない。オレは3年生だし、1日の半数を美術室で過ごしてるから余計に。……ああ、でも一人だけ、1年生の転校生だという女子生徒を知ってる」

 二人、1匹と1人の会話は、真剣なようで真剣ではなかった。
 だって、律兄さんの言ってる派手な色の髪の女って、どう聞いても姫島(ひめじま)さんの事だ。この学園で派手な色の髪の転校生だなんて、姫島さん以外いない。
 というか、転校生じゃなくてもいない。だって、この学園の女子生徒の大半は落ち着いた髪の色だし、ちょっときらめかしい髪をしている子もいるけど地毛だし、そんなに派手じゃない子ばっかり。
 特に理由がない限り、学園で髪の毛を染めることは禁止されている。進学校なだけあって、そこらへんの校則は厳しいんだ。
 だからこそ派手な髪の女子なんて姫島さんくらいで、というか姫島さんを見るたびに思うんだけどナニあの髪の色。
 どう見ても人口色、というかふわふわしてそうに見えてパサパサだったから、たぶん染めたものだと思う。そうじゃなかったら、よっぽどのことが無い限りパサパサにはならないだろう。
 手入れをしていなければ自然とパサパサになっていくだろうけど、おしゃれに人一倍気を付けている姫島さんが、男を魅了するかっこ笑いかっことじ髪の手入れを忘れるわけがない。
 じゃあなんでパサパサになるか。そこはやっぱり、染めたことによる副作用だと思う。
 まあ、髪を染めたって確定すると、なんで学園側はそれを許可してるのかって話になるけど、うん。

 肉球をむにむにされながら、藍場先輩が茶髪の女子生徒を挙げる。
 肩までのボブカット。綺麗な茶髪。丁寧な物腰。今年の夏に転入してきた1年生。
 ……間違いなく優子(ゆうこ)さんですねわかります。

「1度しか会ったことないけど、派手ではなかったし、気持ち悪くなったな。耳触りのイイ声だったし、五月蠅いというよりむしろ静かで大人しかった」
『ナニソレ、ちょぉイイ子ジャン! ってゆーか、それ妹ちゃんのパートナーじゃネ? ほら、妹ちゃんのパートナーって夏に来た子でショ?』
『はい! 恐らくパートナーの優子さんかと』
『ゆうこって名前だってェー』
「ゆうこ? ……名前までは聞いてないな」

 聞いておけばよかった、と言う藍場先輩は、なんでか幸せそうな顔をしてる。
 詞葉ってば愛犬家なんだよネー、なんて律兄さんが付け加える。……なるほど愛犬家かぁ。燈下(とうした)先輩がパッと思い浮かんだんだけど、たぶん触り方が似てるからかな!
 イヌの触り方をわかってるっていうか、イイポイントを知ってるっていうか。触り方ちょっとねっとり、みたいな!
 私と律兄さんをゴロゴロ転がす藍場先輩。遠い目をしている私とは逆に、間抜けにもゴロゴロー、と転がっている律兄さんはいつまでも真剣な顔をしていた。本当に珍しい。

 あ、そういえば譜(つぐ)兄さん、どこ?




 藍場先輩は、芸術特待生だ。
 学校に居るときはもちろん、寮にいるときも絵を描き続けていると言っていた。
 先輩の専攻は油絵で、同じ学年に水彩画専攻の先輩もいるらしい。いつか就く大企業には、デザイン部の社員として迎えられるのだと嬉しそうに言う。
 獲物を口に咥えた譜兄さんが、感心したように息を吐いた。……え、いつ帰ってきた?

「オレには、芸術家になる夢さある。けれど俺は、ただただ絵を描くだけなのは、嫌だ。もっと他に、芸術家として活動しながら人の役に立てることをしたい。だから、今回の話は本当に嬉しかった」

 どこから取り出したのか、フルーツミックスジュースのパックにストローを突き刺すと、ジュルジュルとジュースを飲み始める。
 おサボり用に用意していたジュースのようだ。近くに白いコンビニ袋が置いてある。アレは、学園内にある購買、通称「コンビニ」の袋だ。
 忙しい時に大活躍する栄養飲料や、栄養補助食品の品ぞろえの良さで話題のコンビニだが、もちろん普通のお菓子やレトルト食品、ジュースも置いてある。
 藍場先輩が飲んでいるフルーツミックスジュースは、コンビニの人気商品トップ10に入るもので、毎日品切れの危機に陥っている、とかないとか噂になっているほど。
 ちなみに燈下印のドッグフードも売っているようで、今どこから取り出したのか白いドッグプレートに茶色いドッグフードがゴロゴロ入っている。……アレ? 本当にどこから出した?

「律、妹と分けて食え。……大丈夫、燈下印のドッグフード、栄養価最高仕立てだ」

 わお凄い。

『コレお高いんじゃないのォ?』
「うん? 大丈夫、稼ぎはある」
『エ、でも校則では「アルバイト」は禁止デショ? イイの?』

 ドッグフードを2,3個食べて、譜兄さんが持ってきた果物を食べる。
 奏宮学園の校則ではアルバイトは禁止とされていて、することは許されていない。というか、近場にアルバイトに行けそうなところはないし、外出不許可なのでそもそも行くことはできない。
 アルバイトをしていたことがバレた場合、最悪退学を宣告されるので、やろうと思う生徒はいない。
 譜兄さんがゴロンと横たわるすぐ側で、食べかけの果物を転がした。あっ、ちょっ、遊んでごめんなさい嘘です食べますー!

「【アルバイト】はしてない。【仕事】だ」
『なにその理屈ゥ!! アルバイトも仕事も似たようなもんジャーン!!』
「いいや、学校は【アルバイト】を禁止してるけど【仕事】は禁止してない」
『ちょっ、いやいやいや!!』
『とんでもない考えの持ち主だなァ、バカ律のパートナーは』

 最後の一口を噛み砕いて藍場先輩を覗き見る。
 しれっとした顔で焼きそばパンを食べている姿は、廊下でたまに見かける『無口クールな藍場先輩』だ。
 律兄さんがジタバタしている横で、新しいパンの袋を開けている。ちらりと譜兄さんを見て、ドッグフード食べるか? と問いかけていたけど、譜兄さんは人口食品というか人間が作る食べ物やドッグフードは食べないんですよねー。
 ケッと言いながらそっぽを向く譜兄さんが、ある一点を見つめて「面倒くせェ」と呟く。声は聞こえてないはずだけど、なんか藍場先輩が寂しそうだ。
 本当にすみません。

『もう、もう!! 校則違反しちゃだっめジャーン!』
『サボりは校則違反になんねェの?』
『シッ、それ言っちゃ駄目ですよ、譜兄さん』
「学校側から許可もらってるからいいんだ。むしろ宣伝になるから、もっとやれって言われた」
『学校ゆっるーい!! この学校ってサ、こんなにユルかったっけェ!?』

 大きな図体を立て、前足で藍場先輩を叩く律兄さん。
 傍から見たら飼い主にじゃれているようだ。

「だから、別にお金の心配はいらないんだ。オレは大切なパートナーに、健康でいてほしい。ここを卒業したら、二度と会えなくなるとしても」

 ガサガサッ、と落ち葉を踏み鳴らす音が響く。
 毛並をかき混ぜる風の向こう側に、優子さんが立っていた。

「あ、ちがッ! ……えと、盗み聞き、してたわけじゃ、なくて。そのっ」

 なんで誰も気づかねェのか、って譜兄さんが息を吐く。
 困った風に、ちょっと青褪めた優子さんが俯いた。隣にいた藍場先輩を見ると、ジッと優子さんを見つめた後、私のパートナーだという結論に至ったのか、『ああ』と静かにうなずいた。

「転校生の、ゆうこ、さん? 別に、気にしていね、気にしていない。うたを、迎えにきたの? なら、こっちに居るから」

 優子さんは、自分の名前を知っていたことに驚いていたようで、パチパチと瞬きをして、恐る恐るこっちに近づいてきた。
 校則基準のスカートを揺らしながら、その手に何か紙を握っていた。

「あの、あなたは……」
「オレは3年の藍場。前に、美術室で会ったと思うけど……」
「アッ、あの時のッ! えっと、藍場、先輩。その節は、すみません。ありがとうございました」
「うん」

 トントン、と人差し指で地面を叩く。叩かれた先は、藍場先輩の隣だ。
 優子さんは戸惑いながらも、藍場先輩が示した場所より少し離れところに座った。藍場先輩の意外な一面を知った私や譜兄さん、律兄さんはともかく、何も知らない優子さんからすれば、無口クールな藍場先輩のままなのだ。
 標準語を意識しているのか、ちょっとゆっくりでちょっと硬めの声になっている。……緊張、してる?

「あの、名前、えっと」
「あー、ん。律、ああ、オレのパートナーが教えてくれた。律ってのは、この仔で、うたの、兄にあたる」
「そうでしたか! あの、藍場先輩、その。さっきの、立ち聞きしてたわけじゃなくて。うたが見えたから、迎えにと思って。だから! 本当に、えっと!!」
「大丈夫。……だいじょうぶ」

 少し困った様に、藍場先輩が肩を竦めた。
 藍場先輩や、私からしたら聞かれて困るような話ではない。そう、卒業したら(・・・・・)二度と(・・・)会えなくなる(・・・・・・) という話は。

「本当なんですか?」

 優子さんの声は、震えていた。

「うん。……奏宮の卒業生として、この学園さ来ることはあっても、白狼の縄張りである中庭や、森に立ち入ることはできなくなる。それは白狼の情報や、白狼を守るためにある。彼らの安全な暮らしを維持するため、オレたちは受け入れなくちゃいけない。だから、ココを卒業したら、二度と会えない」

 ――― 世界特別変異動物保護機関及び環境保護条例に基づく条約第1条
 【World special variation animal protection organization】、通称WSVAPOと呼ばれる世界特別変異動物保護機関が、世界中に散る希少な存在である白狼と黒狼を保護するために定められた条約のうちの一つに、学園などの閉鎖的な場所で暮らす白狼又は黒狼と深い関係性のあるものは、その場所を卒業するなどして出たあと、二度と会うことは認められていない。
 それは、白狼や黒狼といった特別変異動物を保護するためであり、私たちが人間に依存しすぎないようにするためでもある。
 これによって、ある特殊な一例(・・・・・・・)以外は、学園などの閉鎖的な場所から卒業などをしたあと、二度と会うことは無いのだ。そう、二度と。

 優子さんの目に、涙が溜まっている。
 今にも溢れ出しそうな、その潤みは私に罪悪感を抱かせる。

「な、泣かないで! その、確かに二度と会えなくなる。でもそれは仕方がないんだ。彼らを守るために、オレたちが守るべきことで、ええとだな。それに、その、あることをすれば、卒業後も一緒にいられる、と言えばいられるけど、それは最難関すぎるし、この学園で一生を暮らすことと同意義だし……」
「卒業も一緒にいられる? ほ、本当ですかっ!?」
「ぅ、ああー、うん。ちょ、ちょっと、落ち着いて」

 ……あ、優子さん、ちょっと落ち着いて!! 藍場先輩が軽く引いてるよ!
 私の毛並みに顔を埋めた優子さんが、片手で流れ出しそうな涙を拭った。藍場先輩は、あまり人と話し慣れていないのか、目をあちらこちらに泳がせている。

『ちょォ、詞葉ー! ナニおどおどしてるのサ!! 情けないヨー!!』
「うっ、うるさいっ」
「す、すみません!」
「えあっ!? いやいやいや、ゆうこさんにじゃなくて! お、オレのパートナーに言っただけで! ……あの、後で『条例ブック』を貸すよ。そこに、白狼とか黒狼に関する、重要な条約とかが入ってるから。今回はとりあえず、一緒にいられる方法っていうの、教える」

 やっぱり人と話し慣れてないみたいで、藍場先輩の目線が魚のように泳ぐ。隣では律兄さんや譜兄さんが呆れた目線を寄越していたけど、でもわかるなー。
 しばらく人と話してないと、そうなっちゃうよね! 現に声がちょっと上擦ってるし、困惑と緊張と焦りが滲み出てる。
 でも意を決したのか、下を向きつつも囁くように言葉を発した。
 本人は言い切った! って顔だけど、優子さんはなにを言われたのかさっぱりわからない、と言う顔をしている。
 そりゃそうだ。条約ブックを貸す、と言われても、意味が解るわけがない。

 藍場先輩の言う【条約ブック】とは、WSVAPOが定めた条約が簡単且つ細部まで書かれた本のことで、特別変異動物に対する扱いや、遭遇した場合の対応方法も載っているすぐれもの。
 奏宮生ならば、内部生は中等部の入学式時に、外部生なら高等部の入学式時に、誓約書と共に渡されるものだ。
 優子さんは8月と言う時期に来たから、担当の先生が渡しそびれたのかもしれない。
 でもそこで不思議に思うのは、優子さんが私とパートナーになっている時点で渡されるべきなのでは、ということ。
 だって、白狼及び黒狼は世界で10種類ほど認定されている特別変異動物の頂点に立つ、もっとも希少な動物の1つだよ? そのパートナーになるということは、優子さんは学園に【パートナー誓約書】を提出しているはず。
 その時に渡しておくべきものを、優子さんは持っていない。それって、ちょっと、いやかなり可笑しくない?
 考えられることはいくつかある。1つ目は、本当に渡しそびれたか、もしくは在庫がなかったか。でも、この場合は図書館にいる司書・笠木(かさぎ)さんに依頼をすれば、1週間以内に本が届く。
 2つ目は、ワザと渡さなかったか。なんでワザと渡さなかったのか、という疑問に、不思議と真っ先に思い浮かぶのは彼女(・・)だった。私が死んだのも、優子さんが大変なのも、学園の空気がピリピリしてるのも、だいたい彼女が関わっているからだ。いや私のことに関しては全部彼女の所為かな!!
 若しくは、別の誰かが、ナニカをたくらんでやった、とか? やだアメリカン映画みたい。
 あ。

「茶宮(さみや)先生って、知ってる?」
「はい。担任の先生なんです」
「ああ、ゆうこさんはAクラス? その茶宮先生は、この学園の卒業生で、学園(・・)から外(・)に出ないまま教師になった。それが、卒業後も白狼と一緒にいる方法」
「……学園(・・)から外(・)に出ない、まま?」

 ある1つの可能性にたどり着く。
 藍場先輩から方法を教えられている優子さんを横目に、ありえそうなその可能性に、私は頭を抱えた。
 いやまあ、前足届いてないけど!
 でも、その可能性が正しいなら、私は一言、そう一言だけ、言ってやりたい。
 その場合あとが辛いから!!

「この学園には大学部もある。けど、それは首都に置いてあって、ここにはない。普通の教師を目指すなら、そこか、他の大学へ進学すればいいんだ。でも、パートナー持ちの奏宮生が奏宮学園の教師になるには、付属の大学でも、どこぞの名門大学でも、無理だ」
「っそれじゃあ、どうやって……」
「だから、さっき言った通りだよ。学園から外に出ないまま、教師になる。学園の外にある付属の大学にも、名門大学にも行かずに、学園の東校舎最上階で、教師教育を受けるんだ。4年制大学と同じ期間だけ在籍し、大学部生扱いになる。そこから奏宮の厳しい試練を乗り越えて、奏宮学園の教師になるんだよ。さっきオレが言った、学園から外に出ないままって言うのは、文字通り、中等部から全寮制の奏宮から今後1歩も出ないことを指してるんだ」

 可能性を思い浮かべてうんうん唸っていると、藍場先輩の話は進んでいた。
 そうだ。この奏宮の教師になるということは、一般の教師になるのとは話が違う。
 いろんな分野のスペシャリストを教師として迎え入れる奏宮は、生徒のための教師選びに厳しく、奏宮学園出身だからと言って、楽になれるようなものではない。
 藍場先輩が言ったように、奏宮学園出身の教師たちは、今後教師を辞めるまで、若しくは移動を願い出るまで、この学園から1歩も動けない。
 更に、コレは奏宮出身の教師に関わらず、全ての教師が移動するときに該当するけど、何枚にも及ぶ誓約書を用いてセキュリティを守っているのだ。
 入るのも出るのも、難関の学校。特に、白狼のパートナーを持つ奏宮生にとってはどの試練よりも難しいだろう。
 ここで、奏宮学園の出身なんだから逆に入りやすいんじゃないか、っていうのも考えるけど、奏宮出身だからこそ、難しくなっているんだ。この学園の出身者で教師を目指す人の9割は、パートナー持ちなのだから。

「白狼や黒狼が人間に依存しないように、パートナー持ちには高いハードルと、制約、責任が課せられる、らしい」
「それじゃあ、茶宮先生って……」
「奏宮学園の教師学部に所属し、4年間研修を重ね、最難関である採用試験に合格した、ってこと」

 茶宮先生は、チャラいだの、ホストだの、タカティンだの呼ばれてるけど、その本質は鋭く、広い視野を持った先生だと思う。
 見た目こそ羽目を外しているように見えるだろうけど、先生の授業はすごく解りやすいし、何より楽しい。
 大体の生徒が退屈だと思う現社の授業を、あそこまでエンターテイメント性を高めた教師はなかなかいないと思う。
 理解することもそうだけど、知って、覚えて、応用する、その快感を知ることができる。もっと勉強したくなる、そんな授業。
 さすが名門奏宮の授業、と呼べるほどハイスペースなのに、一切疲れを感じないのだ。
 だから茶宮先生は凄い先生だと思う。この学園の卒業生であり、さらに教師になったという話を聞くとさらに。
 優子さんの髪の毛が風に遊ばれている、その姿を眺めながら息を吐いた。

「……先輩は、どうするんですか」

 優子さんの声は震えていた。

「オレは、本当は律ともっと、一緒にいたい。けど、それは律のためにも、オレのためにもならない。オレは、外にでるよ。……ゆうこさんは?」
「――― わからないんです。わたし、うたと一緒にいたい。でも、わたしにそれができるのかって。それに、この学園を出れない、って言うのは、わたし、約束してることがあるから」
「約束?」

 優子さんはコクリと頷く。
 俯いた優子さんの旋毛を眺める、藍場先輩の呼吸音が聞こえた。

「わたし、あるひとと約束してて。この学園を出たら、真っ先に会いに行くって。だから」

 ちりん、と音がした。
 不自然な暑さが身を焦がしてくる。まるで、雨すら降らない灼熱の乾燥地帯。真夏のそこの、中心。
 私が、うたが産まれたのは初夏だ。身を焦がす真夏ではない。けど不思議と、懐かしが込みあがってきた。
 がり、と引っ掻く音がする。
 ガラス花瓶をギリギリと引っ掻いたかのような、ソレが耳元で戯れる。
 一線だけできた罅から、水が一滴だけしたたり落ちた。

「まだ、時間はあると思う」
「……はい」

 ――― いいと思うの。それでいいんだわ。だって、人それぞれがあるじゃない? 優子さんだってそうするべきよ。ワタシは平気だわ。だって、一匹ぼっちじゃないんだもの。そうでしょう? ねぇ、  ?

 ハッ、とした。
 気づいたら譜兄さんに凭れかかって、その毛並みに華を埋めていた。
 ひんやりする。いまは冷ややかな季節。
 藍場先輩が律兄さんをひと撫でして、律兄さんの瞳の、瞼の上から1度だけ、キスをした。

『律兄さん、寂しくないですか?』
『ぅン? そりゃあ、寂しいにきまってるデショ』

 つい口からこぼれ堕ちた、その言葉を飲む込む余裕は微塵もなかった。
 あっけらかんと答えた律兄さんの表情は見えなかったけど、あまりにも簡単に言うから、拍子抜けしてしまう。
 横目に私たちを覗く譜兄さんが、ハンッと鼻で笑う。軽く酷い、なんて思いながら、その尻尾を見て頬を緩ませた。
 忙しなく揺らぐ尻尾の落ち着きのなさに、譜兄さんの隠された感情を知る。
 なんだかんだ言ったって、私たちは兄妹なんだ。誰も興味を持たないことも、どうでもいいなんて思うことも、私たちにはない。
 最初はね、私にはよくわからなかった。兄妹って、文字だけを頭に入れてた。
 けど、今は違う。解るんだ。兄妹の誰一人とて、誰かがどうなってもいいなんて本気で思ってる白狼(ひと)は、いないんだよ。

「律、帰ろうか。白狼の縄張りだって言っても、5度目の鐘がなるころには、警備員の見廻りが始まる。本拠点の方に、帰ろう」
『オッケー! 妹ちゃん、譜にーちゃん、いこォ!』
「ゆうこさん、君もうたを連れて、一緒に戻ろう」
「はっ、ハイ!」

 時が遮断されるというか、話をぶった切るというか。
 気まずさもあるのかもしれないけど、目を泳がせる藍場先輩が立ち上がった。
 なんかボソッと、「都会に来てから、じょ、女子と長時間話したの、は、初めてだっ」と呟いていたことは、もちろん優子さんには内緒です。




「うた」
『なぁに、優子さん』
「わたしね、うたとずっと一緒にいたいな。ずっと。でも、いつか離れなきゃいけない」
『うん』
「うた。わたし、たくさん考えるよ」

 空を仰いでみた。
 もう、暗闇がすぐそこにある。

「うた。おやすみなさい。きっときっと、いい夢を」
『優子さん、おやすみなさい。きっと、きっとずっと、いい夢を』

 どうか、神様。
 私のことは、この際嫌いでも構いません。
 ただ、どうか願わくば。
 優子さんが報われますように。この学園にきて、私や他の白狼、学園長や御子紫(みこしば)くん、宇緑(うろく)先輩たち、高橋さん、副委員長、たくさんの人と出逢えたことを、不幸だと思わないでほしい。
 せめて楽しかったって。笑ってこの学園の外に、出れますように。
 この学園が好きだ、本当の本当に良かった、その一言さえ、最後に聞ければ。
 あの時あの瞬間の、私の死は無駄じゃないんだって、うたとして、珠城(たまき)唄(うた)の人生に無駄がなかったって、思えるから。
 生まれ変わったことに意味を見つけられる。
 復讐と題打った、この気持ちに正直になれる。前に進める。もうちょっと、覚悟をつけられる。
 我儘かな? どうなんだろう。
 不安? あるに決まってる。考えてみてほしい、私、あの時16歳と5日だよ? 華の女子高生だよ。
 後悔してないとか、未練無いとか、塗りたくった嘘に決まってる。ずっと。
 けど。けどけど神様。
 私、神様に感謝してることがあるんです。この躰、うたという存在に生まれ変わらせてくれたこと。優子さんに、こんなにあったかい家族に巡り合わせてくれたこと。
 ただただそれを。感謝してます、神様。

『バカイモウト、いつまでボーッとしてんだァ?』
「すみません譜兄さん。いま、いきます」

 御子紫くん、宇緑先輩、燈下先輩、金城先輩、藍場先輩、茶宮先生、優子さんを取り巻く男たち。
 私が願った。彼女を取り巻く美形な彼らが、優子さんについたら彼女は悔しがるだろう。満足するだろう、私の復讐心。
 その中から優子さんを本当に好きなる人いたら、いいなぁなんて、軽く考えた。いまも、たぶん。
 ごめんなさいって、心の中でつぶやいた回数は数えない。キリがない。
 優子さん、ありがとう。私と出逢ってくれて、ありがとう。

 自分の、真っ白な腕に頬を摺り寄せた。
 何故か無性に、叫びたい気分だ。


 

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