華麗なる獣の復讐も兼ねた傍観生活 | ナノ


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 白狼(はくろう)の縄張り。
 それは、学園内に広がる綺麗な緑の土地にある、白狼の白狼に寄る白狼のための住処。
 学園内にあるその緑の土地の、約半分を白狼が占め、生活する。高等部の寮側にあり、立ち入り制限されている中庭を含め、白狼の住まう場所には多くの制限がかかっている。
 それは希少且つ特異な「白狼」という種族、及びそれらと同種である「黒狼(こくろう)」を守るためであり、学園の象徴ともいえる彼らを神聖化するためでもある。
 普通、人間の言葉を理解し、言葉 ―――正しくは意思の疎通(・・・・・)を図ることのできる特異な狼の存在は、人間にとって理解しがたく脅威にあたる存在だ。そんな特異たる狼が排除されないのは、単にそれらが人間にとって有益であり、理解し合えば得になるからだ。
 とはいえ、特異な存在であるこの狼の存在が世間に知れ渡れば、ファンタジーに思いを馳せた邪な人間からの攻撃や、これらの存在を疎ましく思う者たちからの迫害があるかもしれない。
 希少であるために、白狼及び黒狼の存在は秘密主義扱いであり、学園の生徒はそれらの情報を外部に漏らさないことを、誓約書などを用いて約束している。
 ――― 実際、いま白狼である私も、生前の中等部に入学したころから毎年、4月に誓約書を学校側に提出していた。
 たかが狼と侮ることなかれ。大袈裟に言えば、空想の世界、ファンタジーの世界にしか存在しないだろうと思われていた、人間と意思の疎通を交わし合い共に生きる獣、が存在しているのだ。
 頭がイッてしまったひとたちからすると、白狼や黒狼などの狼は格好の餌だ。
 初めて白狼という存在に出会ったとき、私はいったい何の冗談だ、とも思った。けど、通常の狼よりも大きな存在に、どう足掻いてもイヌには見えない生き物に、ああ! と納得するしかなかった。
 学園生にとって白狼や黒狼という存在は、進化の過程においてイヌ科のオオカミより生きるのに適した存在、つまり人間と共存するために意志疎通を図る頭脳を持つ様に突然変異した、新種の狼だ。
 ひとの次に大きい脳を持つと言われるイルカは、他種族を思いやる感情や助けるという気持ちが芽生えている可能性が高いとされている。他にも、偶然か勘違いかは別として、人間や他種族を助けた動物の例は数えきれないほどある。
 人間というのは、何万年、いやそれよりもっと前を遡れば、考える力も適応能力も低く、群れで行動する獣とそう変わらなかった。その人間が今に至るまでに、多くの進化の過程を経ているのだから、狼から白狼・黒狼に進化する、という可能性は否定できない。
 と、長々と白狼を分析して何がしたかったのかというと。

『白狼の躰って、基本能力ほんと、高い』

 小腹がすいたので、自分で初めてのご飯を採ろう、と思い至りまして。
 近くにあった手ごろな、そう、他の木よりも低い木に生っていた果物に向かって、無謀と知りながらもジャンプしたのです。
 そしたらどうなったかというと。はい。採れました。

『うっわぁ、気づかないうちに私も立派な白狼のジャンプ力を身に着けていたのかー。なんていうか、白狼の躰ほんとうに凄い』

 てっきり木の幹に顔面直撃して終わりかなー、なんていつものパターンを想定していたわけだけど、その予想をはるかに超えた成果が得られた。
 私の目の前に転がっているのは、何の実か知らないけどたぶんなんかの果物の実が落ちていた。
 真っ赤で、美味しそうな実だ。さすが実りの秋なだけあってあちらこちらに実がなってるので、上を見上げれば食べ物がぶら下っている状態。
 今まではどう足掻いても採れなかったけど、今なら頑張れば好きな木の実を自分で採りに行けるかもしれない。
 それなら、おとうさんや譜(つぐ)兄さん、律(りつ)兄さんたちの手を煩わせることもない。それに、これからは一緒に狩りに行けるかもしれない。
 ああ、顔がにやける。大変だ。ゆるみが止まらない。
 とりあえず目の間にある木の実を口に含んで、ゆっくり食べる。あー、自分で採ると、特に初めて採ったものだと、いつもの何倍も美味しい!
 あとで兄さんやおとうさんたちに言おう。うん、そうしよう。
 あ、でもどうやって証明すれば……

『食べるんじゃなかった』

 証拠品はもうお腹の中である。ヤバい。何故食べたんだ私。とりあえず口に含んでって、巻き戻したい時間!

『うぅ、もう一回、取りに行こうか、なッブ、ファウッ、ンテッ!?』
『なっぶふぁうんて? なんだそれは。というか、相変わらず良い毛並みしてるな。あとイイ匂いしてるし。あぁ、耳朶柔らかい。お尻も柔らかい。全部柔らかい。噛んだら切れそうだ。噛んだら駄目だな。いやまて、手加減すれば甘噛みくらい許されるか? うむぅ、しかし甘噛みしたらしたで、一度やったらやめられそうにないな。調(しらべ)にはあまり会いに行くな、とか言われてるし、これで離れられなくなったら叱られる確率が……。いやいや、叱られるからやらないのもなんだかプライドが許さん。親父殿も、好いた雌に好いた雄がいるから告白をしないのは理由にならんわ意気地なしめ! とか言ってたしな。ここは思い切って甘噛みを実行し、離れられなくなったらなったで縄張りに持ち帰るか? 白狼の長の娘だから、ごたごたがあるかもしれないが、まあ先のリスクを気にしているより目先の幸福を優先したい。もふもふ。このもふもふをとりあえず堪能したい。尻尾を伸ばすとくるんとなる感覚を楽しみたい。腹の下に隠して暖かさを感じたい。どの部位でもいいからとりあえず甘噛みを実行す、ん? あれ、いま、なんか意思の疎通できてなかったか?』

 遅い! 気付くの遅い!!
 私の身体中遍くもふもふするこの希少且つ特異な狼。真っ黒でつややかな毛並みに、金色の目がひときわ目立つ黒狼。
 金城(かなしろ)調(しらべ)風紀委員長のパートナーであり、武道優秀者を選ぶ黒狼、唱(しょう)。
 そう、会うたび会うたびに私を追いかけ回し、必死の抵抗も喜ばれるなど、私が何をしてもどう足掻いても襲い掛かってくる唱さんだ。
 ここ最近、私が意志の疎通を可能にしてからは一回も来なかったから、すっかり油断していた。
 そうだ。この黒狼(ヒト)が一気に大人しくなるなんて、ありえないことだった。来なくなったら、興味なくなったんだなー、とか思ってたのに。
 意志疎通できるようになったのかー、よかったなー、なんて言いながらも私への甘噛みを止めない唱さん。やめて! 本当にやめて唱さん!!
 私の乙女ライフはゼロよ!!

『や、やめてくださいー』
『むぅ、可愛い声。甘すぎず、かといって味が無い訳でもなく、滑らかで耳に馴染む声だな。なんというか、人間でいうならくりあぼいす? というヤツだな。可愛い』
『ちょ、やめ、ほんとやめっ』
『やっぱり、意思疎通ができるようになると便利だなぁ。いつもの鳴き声もそれはそれは可愛かったが、こうして言葉にして意思を交わし合うのは、信じられないくらい愛おしい時間だな。うん』
『交わしてない! 意志疎通できてない! ちょっ、本当に、本当にやめてください!』
『ん、それくらいの声の大きさが好きだな。ずっと、聞いていたい。可愛い』
『あれ? 唱さん、わざとですか? わざと聞いてないんですか? ちょ、』
『あー、可愛い』

 駄目だこの黒狼(ヒト)!!
 おとうさーん! にいさーん!! 助けて−!!

『おい、そこの野蛮な黒。覚悟はできているんだろうな?』





******


『ほぅら、林檎だぞ? 美味しいぞ?』
『知らない黒狼(ヒト)からもらったものは食べません』
『符(ふつ)サンからもらったものは食べたのに? それに、知らない仲でもないだろ? なのになぜ、俺のを受け取らない』

 少し不貞腐れたように、私の首筋にグッグッと鼻を押し付けてくる唱さん。
 って、あれ? なんで私が符さんからナニカをもらったって知ってるの? あれ? あれ?

 何故こうなった。

『さっきから走り回っているから、お腹も空いてるだろ。ほら』
『お腹が空いてるのも、さっきから走り回ってるのも、全ては唱さんの所為ですからね! いきなり走り出したりなんかして』
『仕方ないだろ? あの、俺の全身を燃やし尽くしてしまいそうなくらい鋭い視線を向けられれば、さすがの俺も恐怖で逃げる』
『じゃあ1匹で逃げればいいのでは!?』

 何故、なぜ私を連れていくのか!!
 鋭い視線って、多分おとうさん達だと思うけど、それが怖かったなら、私を急かして走らせずに唱さんだけ逃げればよかったのに。
 ぬくい、なんて言いながら、私の前にひと齧りした林檎を置いて急かす。林檎の齧った場所から滲む、その甘い匂いが私の鼻腔を伝う。ヤバい、おいしそう。

『あー、本当に可愛いな。目の前にある林檎を食べまいと、自分を律してるところも可愛い。というか、この目の前の林檎からワザとらしく香る甘さを感じ取り、さらに吸い込もうとしている鼻の動きが最高に愛らしい。もう、可愛いはうたのためにできたみたいな、なんだかそんな感じがしてくる』
『ヤバいこの黒狼(ヒト)はやくなんとかしないと』

 私の白い毛並みにふがふがする唱さん。なんだかとっても、その、ヘンタイです。
 いやー、私が言うのもなんだけど、おとうさん譲りの白色におかあさん譲りのくるんとした内巻きの毛並みは確かにふわっふわ。日頃から譜兄さんの毛並みに対して、もふもふしたいー! とか、擦り寄りたーい!! とかやってるだけに、私にも唱さんの行動は理解できる。
 あの気持ちのイイ内巻きの毛並みを持つ譜兄さんと、まったく同じというわけでもないけど限りなく近い毛並みを持つ私にもふもふするのは、すっごく楽しいだろう。
 わかる。わかるんだけど、ね!
 なんか楽しいとか、気持ちいいとか、それを越した何か、こう、なんとも言えないヘンタイ染みた執念というか、言葉にはできないナニカを感じる。
 ふがふがと鼻を摺り寄せてくるの、できればやめてほしい。本当、人間だったら間違いなくセクシャルハラスメントの部類に入るよ、うん。少なくとも私だったら、即風紀委員へ対応を願い出てた。

『ほんと、もう、勘弁してください』
『んん、可愛い。可愛すぎて、帰したくないな』
『いやもう、本当にもう土下座、いや土下寝でもしますので、帰してください本当にごめんなさい』
『……ん』

 耳の裏をベロンベロンに舐められた。
 その部分の毛並みだけぺたんとなっているのが、見えていないのにわかるくらいのしつこさ。背中を押さえつけられている状態で、惜しいとでも言いたげに少し唸る唱さんがゆっくりと動く。
 帰ろう、と悲しそうな、そんな感じの声で言われる。
 ……あー、もう、なんだろう。まるで私が唱さんを苛めているみたいだ。
 こんなに悲しそうな声で、帰ろう、なんて言われる。さっきまではっきりとしていた唱さんの後ろ姿が、どうしようもないくらいぼやけて見える。ぐっと伸びたしなやかな身体が、不安げに丸まって揺れているようだ。

『帰ろうか。うたの親父殿はカンカンだろうが、その時はほんのちょっとでいいから、俺を弁護してくれよ』

 茶化すような気軽さを織り交ぜて唱さんは言う。
 行こうか、帰ろうか、なんども言っては、足を止めて。私が3回目の行きましょうを言う頃、やっと歩き始めた唱さんは、やっぱり悲しそうだった。

『うた。俺は知ってる。なんでも知ってる。脳筋だと言われようとも、武道バカの黒狼だとしても、俺も立派な異常(・・)だから。知ってる。君を知ってる。解ってる』
『唱さん?』
『なんだその呼び方かわいいな。ではなくて。……俺は知ってる、解ってる』
『だから何を―――』

 唱さんがぐっと身体を前に伸ばした。そのサラサラとした、真っ黒な毛並みが風に揺れる。
 金色の双璧が私を射抜く。私を囲む。私を慈しむ。

『夢だ、これは夢だ。俺の浅はかな願いがもたらした、奇跡的な偶然の特別で異常な夢だ。朝陽が昇るころ、俺の夢は醒める、弾ける。そして極めて気まぐれで、極めて偶発的な確率で、また君に出会うだろう。この、歪でどうしようもない、夢のなかで。俺は知ってる、何でも知ってる、そしてわかってる。うた、その存在も、意味も。解ってる』

 それは私たちの歩く芝生の、体温を奪うような冷たさなんかじゃなかった。
 濡れた耳の裏を乾かし、固まらせる冷たさなんかでもない、不思議で不自然冷たさだった。
 唱さんは、おそらく私たち家族の縄張りへと続くだろう道へと、黙って歩きを進めた。その背中は、哀しみに溢れ、尾はだらりと地面に沿っている。
 その背中を慌てて追いかけた。おいて行かれないように、見失わないように。



******


 森の中を歩いていた。
 唱さんは、私の後ろにいる。
 さっきまで前にいたのに、森の中に入ってからは後ろに下がって、私が歩くのを静かに見ていた。
 いきなりどうしたんだって聞きたかったけど、今はそんな雰囲気じゃないなって思って黙っていた。だってなんだか、さっきまでの唱さんとはちょっとだけ、違っていたから。

『唱さん、森の中は草の匂いが凄いですよね』
『そうだな』

 その声は、私の3歩後ろから。

『唱さん、上を見てくださいよ。太陽、まんまるですよ』
『ああ、そうだな』

 その声は、私の6歩後ろから。

『唱さん、あれ、あの木の上、見てください。鳥の巣ですかね』
『……ん、そうだな―――』

 その声は、私の遙か後方から。

『唱さん、もうすぐで着きます。……唱さん?』

 返事はなかった。ただ、私の後方から押し寄せてくる、不自然な風だけを感じる。
 くるりと一回転して、後ろを振り返った。そこにあるのは、私が来た方向から広がる、煤けた色の赤色と緑色。
 そこに、あの真っ黒で艶やかな唱さんの姿は、ない。

『唱さん?』

 ――― 俺のこの夢が醒めたら。きっと、きっと

『え?』

 そういえば、なんて急に思考を巡らせる。そういえば、そういえば。
 唱さんの声は、なんだか馴染みがありすぎるというか、聞き覚えがありすぎるというか。初めて聞いたはずの唱さんの声は、私の耳によく馴染んでいた気がする。
 その声にまったく疑問を持たず、普通に話していたけれど。そういえば、ここまで声に対して感想のない黒狼(ヒト)は初めてだ。いつもだったら、なんだか低いなー、とかイイ声だなぁ、とか思うのに。
 不思議と、なんの疑問も持たなかった。昔から聞いてるみたいに、当たり前に受け取っていた。
 唱さんの姿がなくなって、こうして改めて考えると不思議な事ばかりで。唱さんがいきなり消えたのも、あの言葉も、何か意味があるんじゃないかって、裏が、隠された何かがある気がしてならない。
 何かを隠しているんだろうか、とまで考えて、そういえば、ともう一度思考を巡らせる。私はそこまで唱さんと親しくないな、とやっぱり今更過ぎることを思い出した。
 だって、唱さんは私を気に入ってくれてるみたいだけど、私が唱さんと会ったのなんて、片手で数えきれるくらいだ。本当に、なんでここまで私を気に入ってくれているんだろうとか、考え出すとキリがないくらい、疑問があふれ出す。
 そういえば。なんて、何度目の言葉だろう。そうだ。唱さんは会った時から、不思議しかなかった。
 急にあらわれて、急に気に入られて。金城(かなしろ)委員長のパートナーってことと、黒狼だってこと以外なんにも知らなくて。私、唱さんのこと何も知らない。
 唱さんがいただろう場所を見つめたまま、私はじっとしていた。何故か、まだこのままでいたほうがいいと思った。

『……そろそろ、行かなきゃ』

 この季節にはない、眩い太陽の花が見え始めた瞬間から、私は帰るタイミングを知る。
 何故だかわからないけど、その花弁がひらひらと舞う姿を見続けてはいけないと、本能的な何かが訴えてきているような気がした。
 こんなにわからないことが、気がするばかりな日があるなんて、初めてだけど、けどだけど、こんな日もありだと思う。わからなくていい。気がするばかりでもいい。不思議な流れに身を任せるのも、悪くないんだ、たぶん。

『よし』

 行こう。駆けよう。
 たぶん、みんな待ってるから。
 唱さんの姿が、声がちらつくけど。その姿が声が、私の背中を押している気がする。
 みんな、怒るかな。唱さんに急かされたからとはいえ、おとうさんや兄さんたちの引き留める声を無視して駆けてしまったのは事実だ。
 怒られるかもしれない。なんでだって、どうしてって。そうしたら、どうしよう。
 でも、別にいいかなって思う。いつもならビクビクして、悩んでしまうのに、今日はなんだかいい気分になっている。不思議と、怒られても怖くなくて、大丈夫な気がする。
 なにいってるんだろう、って、自分でも思ってるけど。
 ……今日の私は、なんだかヘンだ。




『グレッ、トブリッデンっ!?』
『正しい発音はGreat Britain、だバカイモウトが今までどこにいやがった? ア?』
『うっわぁ凄いイイ発音っ、ってぅあ、あう、ご、ごめっ、ごめんなさっ!!』

 訂正。
 やっぱり怒られるのは怖いです。調子に乗ってすみませんでした許してください!!



『んもう、妹ちゃんってば、ほんと心配したんだからネ! 妹ちゃんの匂いたどってったらなんか脳筋臭いのにたどり着いちゃってサ、マジで混乱したんだからァー。あとでとーさんに謝っておくんだヨー』
『あー、んと、本当にごめんなさい。ちゃんと謝ります』
『ん、よろしいデス! ……それじゃあ妹ちゃん、さっそくレッツゴー!』
『へ?』

 ちょっとだけ毛並みを立たせた律兄さんが、器用にウインクをする。
 うわあ凄いウインクとかどうやってやるんだろう、なんて考えはもちろんスルーで。さっきまでギラリと牙を見せていた律兄さんは、とーさんは黒いのを殲滅しに行ったよー、なんてさらりと言って、私と顔をペロリとひと舐めした。
 ちょっ、おとうさん待ってさすがに殲滅はやばいです駄目ですって!! ヤバい、唱さんが、唱さん含めた黒狼の皆様が危ない……ッ!
 お茶目に言ったけれど、全然笑えないですからね律兄さん!
 それに、レッツゴーってどこに行くつもりですか!?
 譜兄さんは黙ってるし、ちょぉ、律兄さーん!!

『り、律にいさんっ』
『わァお妹ちゃんが律兄さん呼びとかナニソレかわいい。っと、ごぉっふぉん! ええとですネ、これから僕のパートナーに会いに行きマス! 丁度今の時間は中庭に来てる時間だし、妹ちゃんは会ったこと無いデショ? いい機会だから、僕のパートナーとも交流持ってもらおーと思ってサ!!』
『律兄さんのパートナーですか? 確かに、私は会ったことないです。譜兄さんは、お会いになったことがあるのですか?』
『んあ? ……俺は、まあ一回だけ? あの無口なのがお前のパートナーなんて、心底哀れだなって思ったくらいだな』
『ひッどォ!! いっとくけど僕ら、あいしょーイイんだからネ!!』

 ……無口?
 律兄さんをちらりとみる。どう足掻いても無口とは程遠い律兄さんのパートナーが、無口?
 なんてことだろう。全然想像できない。
 すごく失礼だけど、全然想像できないよ、うん。本当に。
 私てっきり、律兄さんのパートナーは生徒会の会計みたいな、ちょっとふわっとした軽めの人だと思っていた。うん、すっごく失礼だけど。
 なんていうか、律兄さんみたいに話すのが大好きで、常に元気いっぱいなイメージだったから、無口と言われてなんと反応すればいいのか。
 譜兄さん心底哀れ、なんて言ってたけど、本当に、パートナーさんは大丈夫だろうか。律兄さんはお話が大好きだから、毎日毎日聞くのは大変だろうなぁ。
 というか、そのパートナーさんに、今から会うの!? ちょっといきなりすぎじゃないですかね!?

『ほんとはサー、ご飯食べたら言おうと思ってたんだケド、妹ちゃんいなくなってたし? いきなりのタイミングでごめんネ? でも、恐いコじゃないから、妹ちゃんもきっと気に入るヨ』

 あれ、なんか律兄さん実は怒ってるんじゃないかな?
 ニコニコしてるけど、妹ちゃんがいなくならなければちゃんと説明できたし準備もできたんだよ? って感じのオーラを感じる。私の思い込みかも知れないけど、バックに黒いもやがある気がするような?
 譜兄さんは呆れたように息を吐いて、私の頭を小突く。諦めろと言いたげに、いや多分言ってるんだと思うけど、仕方ないと言外にそう思ってるだろう。
 私も、コクリと頷いた。
 ……なんか、律兄さんがふふんと得意げな顔してる。あっ、譜兄さんに殴られた!!

『チッ、すぐに調子に乗るの、お前の悪いトコだぜ、バカ律』
『うえー、いったァいヨー、譜にーちゃん! すぐに暴力訴えるの、譜にーちゃんの悪いトコだヨっぷるすとあァ!?』
『ウルセェ殴るぞバカオトウト』
『もう殴ってますケド!? もーヤダー、妹ちゃん早く行こォ! 時間もそんな無いし、早く僕のパートナーくんに会いに行こォよォ!!』

 譜兄さんに殴られたところを、ぐりぐりと芝生に摺り寄せながら笑う律兄さん。懲りてないのか、ちょっと拗ねたような口調でそんなことを言っては、また譜兄さんに殴られている。
 行こう行こうと、私の内巻きの毛並みに自分の毛を絡ませては、弾んだ声で言う。あー、ハイハイ! 生きましょう、兄さん。

『それで、そのパートナーさんはどちらにいらっしゃるんですか?』
『んー、今は中庭の、東の方じゃないかナ? あのコ、サボり癖があってサー』
『え? 白狼のパートナーなんですよね?』
『うん! 僕のパートナーはね、ちょっと変わってるんダ!』

 いやいや、変わってるというか、大丈夫なんですかね、ソレ。
 サボってるのに白狼をパートナーにしてるとか、ソレ、いろんな意味で大丈夫ですか?
 なんか、白狼に選んでもらうために頑張っている御子紫(みこしば)くんが、今すごく可哀想に思えてきた。何故サボり癖のある人を選んだんだ、律兄さんよ……

『と、とにかく!! 会いに行こォよ!』

 なんだかにへらって笑いを浮かべて、私の顔をもうひと舐めする。
 私と譜兄さんは静かに顔を合わせて、仕方ないと息を吐いた。




『あっ、おーい!! しばー!!』

 学校の裏にある白狼の住処の一つ、中庭の手前にその人はいた。
 律兄さんが「しば」と呼ぶ、その人は黒色だった。

「りづ? どした?」
『ちょっ、妹ちゃん紹介するっていったデショ!! しばはすぐに忘れるんだからー、もォ!』
「ん、すまね」
『いいよーん! アッ、そんでね、このコ! 僕の妹ちゃん!! おーい、妹ちゃーん!! こっちにおーいーでェー!!』

 律兄さんがそう叫ぶと、私の後ろにいた譜兄さんが私の背中を押した。
 そういえば、譜兄さんは一回会ったことがあるんだっけ。他の弦(ゆづる)兄さんや鳴(めい)もあったことがあるのかもしれないから、兄弟の中で会ったことが無いのは、もしかしたら私だけなのかも。
 そんなことを考えながら、私はちょっと早めに駆けだした。
 ちょっと離れた場所にいる、律兄さんとパートナーさんの近くまできて、私は目を丸くした。
 なんでって、だって律兄さんのパートナーさん、とっても見覚えがある。

『ジャジャーン!! このコが僕の妹ちゃん、うただよーん! かわゆいデショ?』
「ん」
『んで、妹ちゃん! こっちの無口なのが、僕のパートナーくん! 「あいばしば」だよー』
『あいば、しば、さん。えっと、妹のうたです。兄が、お世話になってます』

 あいば、しば。
 藍場(あいば)詞葉(しば)さん。
 この奏宮学園の高等部3年生で、芸術特待、だったと思う。彼には、彼女を探すときよくあったりしたから、覚えている。
 あと、彼はよくアトリエにいて、抽象的且つ筆舌尽くしがたい美しい画を描いていたから。いろんな色に彩られたキャンパスは、惹きつけられる何かがあった。
 彼もたぶん、彼女のターゲットにされていたと思う。なんか、彼女を探しているときに行く先々に彼がいるから、彼女はたぶん彼を探していたんじゃいかなって。
 彼は、藍場先輩は彼女が好きな、所謂イケメンという部類に入るんだと思う。
 顔立ちは純和風というか、東洋系で、一重で涼やかな目元は猫のように少し吊り上がっていて流し目がよく似合うし、藍色がかかった髪の毛は遠目から見てもふわふわしていて、無気力そうにだらりと下げられた四肢は適度に鍛えられているように見えた。
 全体的な雰囲気は、そう、無気力無機質。
 話すのがあまり好きではないのか、譜兄さんが言った通り少し無口で、驚くほど静かなひと。
 藍場先輩の、黒色の目が私を捉えた。
 それは金城先輩のような、角度によって色が変わるような黒ではなくて、本当の本当に、どこから眺めても色の変わらない漆黒。
 そこに、白い私が映る。藍場先輩は、ひとつ小さく頷いた。

「ん」
『ちょォ、詞葉ァ! 今日くらいっていうか、妹ちゃんは絶対に大丈夫だから、喋っていいってばァ!!』
「ん」
『ほら、ほらほらほら!!』
「……したばっての、わぁは方言使うのあんまり好きじゃねんだし。まあ、今使ってらばって」
『わあ』

 方言。感じからして、たぶん東北の方だと思うけど、まさか藍場先輩が方言を話すだなんて、思っても見なかった。
 でもよくよく考えてみると、藍場先輩や今イタリアにいる庄司さんなどの芸術特待生や、高橋さんたち体育特待生は東北や四国地方など、日本全国から集められている。千鳥さんは沖縄県出身で、時々沖縄特有の訛りが出ることもあった。
 本人はなんだか恥ずかしがっていたけれど、自分のところの言葉をつい出してしまえるくらい思い入れがあるのって、すごく素敵だと思った。
 私は転勤族っていうか、各地を回っていて自分がどこで生まれたかも知らない。だから、こうして自分の地元の言葉を持って、愛してるって外に出せるのは、凄く羨ましかった。
 でも千鳥さんみたいに、関東地方では見かけない訛りを気にして、標準語を無理やり話している子たちがいることも、知っている。
 藍場先輩は、そんな子たちと同じなのかもしれない。なんていったのか、私は方言を勉強してないからわからないけど、ニュアンス的には「方言があまりすきじゃない」って言ってるように感じて。
 なんだか少し、寂しいなと思った。

『妹ちゃん! 詞葉の喋り方って、別に変じゃないデショ?』
『はい! もちろん!! むしろ、自分のところの方言があるっていうの、すっごく素敵だと思います』
『んもォ、妹ちゃんマジイイ子!! 僕ってばチョー誇り高いヨ!! っほら詞葉! 妹ちゃんは詞葉の喋り方変じゃないって言ってるヨ! だからイーんだよ! 詞葉は、詞葉デショ!!』

 律兄さんは、どこか必死だった。
 なんていうか、殻に閉じこもる子供を諭す親のような、そんな深さで。外に出ようとしない友達を誘い出すような、そんな熱意で。大丈夫だよ、大丈夫だよって、言い聞かせて呼び寄せる。
 律兄さんのサラサラの毛並みが風に撫でられる。キラキラと反射する白が、藍場先輩の周りをグルグルと回りだした。
 藍場先輩は、どこか困惑したような目を私に向ける。私は、大丈夫ですと気持ちを込めて、口角をグッと上げた。
 生えそろっていないだろう、牙がギラリと見えているはずだ。律兄さんや譜兄さんほど立派じゃないけど、人間よりははるかにとがった歯の先は、ちょっとだけかっこよく見えるはず。
 そんな私に、藍場先輩は困った様に、小さく首を傾げた。そして、次には止めどない、ためていただろう愚痴を吐き出していた。

「―――どいつもこいつも五月蠅いんだし。オレはオレらしぐ生きちゃまいねのか? 巫山戯らぁ。誰もこいも勝手こさオレば決まなぐやがって。おまえの妄想ば、オレに押し付つけんな!! ……律の言ったとおりだ。オレはオレだ。藍場詞葉だ。オレは、皆どつがるオレが嫌だった。皆どつがるのが怖ぐて、逃げていた。最初は無理やり標準語ば喋ったりもしたばって、だば、オレには無理だった。やっぱり、オレのどごの方言がたげ好きだったから、それば消すごどだげはできながった。だから、喋らねば、皆どつがるごどがバレらごどもオレの言葉ぁ変えら必要もねって思てた。そしたら、今度はお前らの妄想ば、俺に押し付つけ始めた。オレはオレだ、オレはこう話すんだべのんて、勝手に言い始まなぐら。もう、んだざりだ」

 少し早口で、少し濁音の多い、その言葉が私の耳を通り過ぎる。
 やっぱり意味は、正確には理解できない。だって私は彼の方言を正しく勉強しているわけでもないから。でも、気持ちは痛い程伝わった。
 方言は方言でも、もとは同じ日本語。たとえ言葉が違っていても、その意味は気持ちは、私の心に届く。それは律兄さんも一緒で、少し潤んだ目で、にししっと笑っていた。

「だがら―――」

 気づいたら譜兄さんが、私の傍で寝そべっていた。
 ダルそうに、でもどこか退屈を知らない目をして、私を見ていた。私も見つめ返す。
 律兄さんは、藍場先輩のお腹にぎゅっとしがみついていた。藍場先輩が、涼やかな目元を緩ませて笑う。

「もうわんつか、オレになてみらし」

 もうすぐ、夜がくる。


 

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