華麗なる獣の復讐も兼ねた傍観生活 | ナノ


▼ vengeance:target Gold 02

 


「あの、えっと……」
「すまんっ!!」

 それはとてつもない早業だった。
 風のごとく土下座したかと思えば、プロの土下座師以上に綺麗な体勢で謝罪を繰り返した。
 え、ちょ、えぇ!?
 いいんちょ!? なんて思ってる暇もなく、委員長の無駄に綺麗な土下座に同じく驚いていた優子さんが大慌て。
 そりゃそうだ。壇上で堂々と演説している学園のヒーローが、アレ以外だったら一般生徒の優子さんに土下座するなんて、優子さんじゃなくても驚く。
 というか誰でも驚くよね。私もびっくりして固まっちゃったよ。
 委員長が土下座するときに放り出されちゃったんだけど、運よく黒狼の、えーと、しょう? さんがキャッチしてくれて助かった。
 空中で一回転したけどアレは見事なキャッチだったね。地面に額をつけるほどぴったりと土下座している委員長を見ながら、どこか嬉しそうなしょうさんに包まれる。
 っちょ、や、やめ、お尻に鼻近づかないで……っ!?

「あ、の、やめ、やめてくださいっ! わたし、貴方とは初対面ですし、それに何もされてないですよ?」
「いや、俺は君に謝らなければいけないし、償わなくてはいけない。君の今の状況は、ある意味で俺が職務怠慢をしてしまったからだ」
「え?」

 冷たく吹き抜ける風は、しょうさんの暖かな毛並みで遮断されて、生暖かいぬくもりと何かが冷えていく感覚が身体を走り抜けていった。
 優子さんが固まった。手に持っていた教科書も、ファイルも、ブロック型のコンクリートの上に落ちて広がる。
 頭を上げることなく、額を地面につけたままの委員長が歯ぎしりしたような気がした。深い、後悔の念とどこまでも広がる暖かさも、静かな波紋を水辺に浮かべた。
 目を見開き、微かに震える優子さんの口がわななく。は、と小さな息が、優子さんの口からこぼれた。
 委員長が下げていた頭を上げる。綺麗なペール・ブロンドの髪が揺れて、深い紺色の瞳が優子さんを捉えた。

「……こうして君と話すのは初めてだな。はじめまして、日向優子さん。俺の名は金城。|金城《かなしろ》|調《しらべ》。2年の首席で、風紀委員長。そして、君の相談役担当だった」

 委員長の口から出た言葉はあまりにも鋭く、身を貫くような衝撃を与えた。
 優子さんの顔に緊張の色が強く出始めた。委員長の視線は優子さんに合わさったまま、だけど髪の毛が邪魔してその色が良く見えなかった。
 だけどこれだけはわかるんだ。委員長はきっと、深い哀しみと、後悔が渦巻いてるんだって。

「本来なら、君が被害を受け始めたその日に君と面会し、君の身の回りの悩みや、困っていることの相談に乗り、君が過ごしやすいように、君を受け止める器にならなくてはいけなかった」

 だけど、と委員長は一度言葉を切ると、小さく、だけど深く息を吸った。

「俺は君の相談を受けたり、ましてや受け止める器にすらならなかった。仕事が忙しいから、とか、他にも被害が、なんて言い訳して、本当は君を優先しなくてはいけなかったのに、守らなくてはいけなかったのに、助けなくてはいけなかったのに」

 声はどこまでも真剣で、どこまでも暖かさを帯びていた。
 優子さんを守らなきゃいけない立場だったなんて、初めてしった。きっと優子さんも私と同じだと思う。
 だって、すごく吃驚した顔をして、すごく泣きそうな顔をしてるんだ。
 それはきっと、委員長の奥にあるその本質に、優子さんが気づいたからだと思った。本来なら職務怠慢なんてしない、真面目な彼の、優子さんに対する深い謝罪の気持ちと、償うという姿勢が。
 謝っても謝りきれない。償っても償いきれない。許さなくていい。許さなくてもいいから、力いっぱい、怒鳴ってくれ。君の気が済むまで、いくらでも。
 そう呟くように言葉を紡ぎだす委員長は、静かな空気を纏わせていた。

 ああ、わかった。
 私はしょうさんの温かい毛並みに包まれながら、委員長の確かな覚悟が身に染みていく。
 人間、誰だって怒られたらいい気なんてしない。たとえ自分が悪くても、きっと苦しくて、つらくて、嫌なんだ。
 だけど委員長は覚悟してるんだ。どんなに怒られても、どんなに嫌な思いをしようとも、それは彼女の当然の権利だと、受け止めると。
 頭を下げた委員長の、後ろ姿がやけにまぶしく見えた。

「……かってですよ」
「ああ、勝手だ。俺はすごく勝手だ―――」
「そういうところも勝手なんです! 怒鳴れって、怒れって、それだって勝手じゃないですか!!」
「ひゅう、」
「勝手ですよ! かってです、かってです!」

 優子さんの切り裂くような声が、言葉が、冷え切った風を消し去って、目が醒めるような紅葉を舞い上がらせた。
 思わず、といったように頭を上げた委員長は、たぶん目を丸くしてる。
 大きな声に耳をピンと立たせたしょうさんが、どこか呆れたように身体を揺るがした。
 目にいっぱい涙をためて、その涙をぽろぽろとこぼしていく。愛嬌のある優子さんの顔立ちが、寂しそうな迷子の子供と、必死に手を伸ばす少女に見えた。
 今まで抑え込んでいたタガが外れたように、涙も、声も言葉も息も、ざわめく風と紅葉を巻き込みながら世界に溶け込んでいく。
 涙を拭うこともなく、優子さんの言葉はつたなく、響いた。

「会わなかったのも、怒鳴れっていうのも、ぜんぶぜんぶかってなの! けっきょくは、怒鳴られて謝ってすっきりしたいんでしょう!? わた、わたしのきもちなんて、かんがえ、って、ない……ッ!」

 右の前足を、少しだけ動かした。
 意味はなかった。ただ、動かしたかった。

「いらない、て、いわ、れるの、も、消えて、って、ゆわれるの、も! ぜんぶ、ぜんぶぜんぶかってじゃない! わけがわからないよ! どうしていらないって、消えてって、いわれなくちゃ、いけないの! もう、やだよ、っぉ……」

 膝を地面につけて、涙が止まらない優子さん。
 そこにいたのは、気丈で優しい女の子でもなく、迷子の寂しい女の子でもなく、ひとりの、小さな女の子だ。
 優子さんが泣くことは多かったけど、だけどそれとはまた違った感じの、彼女の本当の涙。
 気丈だった。苦しくても、ちょっと泣いたら笑ってた優子さん。いつもポジティブに振舞って、笑顔が一番だって言ってた。
 毎日のご飯のとき、お風呂のとき、何か言われた時も、ニコニコ笑顔を欠かさずにいた。でも、実は知ってるんだ。
 私が眠りについたころに、ほんのちょっと泣いてるってこと。朝起きると、ちょっとだけ目の下が赤くて、でもずっと無視してきた。
 だってね、私も勝手だから。勝手に優子さんを利用して、勝手に優子さんに幸せになってもらおうって思ってて、勝手に優子さんを巻き込んでて。
 ……ごめんなさい、なんて、きっと言う資格はないんだって、今になって思い知った。

 子供みたいに涙を流す優子さんを見つめる委員長が、ゆらりと動いた。
 たぶん無意識の、彼の深い意識のそこから出てきたんだと思う。
 優子さんの小さな身体が、委員長の大きな身体に包まれた。
 響き渡っていた泣き声がちょっとだけ小さくなって、ほんのすこしくぐもった。
 優子さんの柔らかいゴールデンブラウンと委員長のキラキラしたペール・ブロンドが合わさった。
 霞んだ太陽が二人を照らして、二人の髪色をまばゆくみせた。
 泣きじゃくる優子さんを抱きしめる、委員長の身体がなんどか揺れた。目を凝らすと、優子さんの腕が小さく動いていることに気付いた。
 委員長の身体を、優子さんが小さく叩いているみたいだ。ぽこぽこ、と本気じゃなくて、ただただ無意識に手が動いているだけの、そんな叩き方。
 膝をついている優子さんを抱きしめてる委員長の姿勢もまた、冷たいはずのコンクリートに膝をつけている。
 目を細めても少ししか見えないその光景は、まるで物語のワンシーンにも見えて、だけどそうじゃないんだってわかる。
 委員長の手が緩やかな意思をもって優子さんの頭を撫でている。

「すまない」
「かって、ですっ」
「ああ、本当にすまない」
「うぅ……っ」
「許さなくてもいい」
「それが、かってなんでっ、す……!」
「う。……んん、じゃあ、許してくれ」
「っあ、うぅッ」
「今更なにを言っても勝手なんだと思う。だけど、日向さん」

 耳だけは鮮明に声を拾っていく。
 きっと、しょうさんも同じだ。少し視線をあげると、耳がぴくぴくしているのがわかった。
 毛並を押し付けてくるしょうさんが、小さく鳴いた気がした。
 優子さんが委員長に寄りかかる体勢で、優子さんの頭が委員長の肩に乗っているようにも見える。
 しょうさんの気だるげな鳴き声なんて、まったく聞こえないくらい、キラキラして見える二人の姿。
 委員長が優子さんの頬に手を伸ばして、流れていく涙を拭っていく。優子さんはされるがままで、委員長の行為を受け止めていた。
 耳に残るバリトンボイスが小さく囁いた。

「どんなことがあっても、君に償うから。自分勝手だと言われても、自己満足だと言われても、君のために」

 俺はそういう人間なんだ、と委員長が困った様な声で付け足した。
 紅葉が踊るように舞い散りながら二人を包みぬけていった。
 しょうさんが鼻で息をする、そんな音を聞きながら、私も貯めていた息を吐く。

 ――― そうだね。確かにそうだ。
 委員長の言うとおり、そういう人間なんだよ、私も。
 自分勝手で、いつも自己満足で他人に尽くして、ああ、それも結局は自分の為なんだ。
 内申点のためとか、先生ウケのためとか。恋愛のためだとか言って、結局私のためだった。
 いまさら、私も何を言ってるんだろ。昔からじゃんか。昔から、こんなだったじゃんか。
 優等生だったら得だ、優しかったら得だって、昔からそればっかり考えて。笑顔も同じだった。
 優子さんが他人のために尽くしているひと、だって言うならば、私は自分のために尽くしているひと。
 それが、それが|珠城《たまき》|唄《うた》じゃないか。

 本当に今更なにを、なにを考えて何になろうとしてたんだろ。罪悪感? あるよ。あるからこそ、今更なんだ。
 汚いなんて、嘘つきだなんて、罵られることはとっくのとうに覚悟してた。白狼になって、そんなことを全く考えなくなったからかな。
 すっかり忘れてた。自分が真っ白なんかじゃないってこと、自分が優子さんを利用してるってこと、自分が、どこまでも自分勝手だってこと。
 私を包む暖かさを与えられる資格なんて、本当はなかったんだよね。だけど、それでも、ああ、それでも。
 貫こう。一度やってしまったことを、貫いてやろうじゃないか。
 ああそうだ。利用してる。自分のために、復讐するために。ずっと隠してた。考えずにいた。
 少しだけ涙が収まってきた優子さんの、真っ赤になった目を見た。
 遠くからだと真っ赤になっていることしかわからなくて、だけど小さな水音を耳は鮮明に拾い上げる。
 俯きがちだった私の首根っこを、子猫を摘まむ母猫のように持ち上げたしょうさんが、ゆったりとした足取りで二人に近づいて行った。

「がぅ」
「……しょう? どうした」

 視界が揺れた。グラグラの世界は不鮮明で、目の前にいるのに優子さんがよく見えなかった。
 優子さんがアクアリウムの中にいるような気がした。不安げなはずの優子さんの顔が、歪んでみる。
 ぺろり、しょうさんが私の顔を舐めまわした。

「う、た? どこかいたいのっ?」
「わぅ?」

 なんで? と聞き返した鳴き声は、思ったよりか細く、小さくなってしまった。
 地面に降ろされた私を、優子さんの細い腕が抱きしめる。あったかいなぁ。
 しょうさんの毛並みとはまた違った、やわらかい暖かさが私の全身を包んだ。ほんのりと香る太陽の匂いが、ああ、いつもの優子さんだって伝えてくれた。
 うりうり、っと優子さんの胸に顔を押し付ける。優子さんのくすぐったそうな笑い声が、いつも通りでほっと安心した。

「甘えん坊だね、うた」

 優子さんの嬉しそうな声が聞こえた。視界はちょっとだけ明るんで、優子さんの真っ赤になった目とか、ふっくらとしたほっぺたを映した。
 視界を下げると、優子さんの制服が少し濡れていた。私の頭を撫でる優子さんの手にすり寄る。
 優子さんは、綺麗な笑顔で笑ってた。

「……ああ、綺麗な笑顔じゃないか」
「え?」
「っあ、いや、その、すっ、すすすすまん! 見惚れるほどの笑顔だったから、ついっ。不快に思ったのなら謝る!」
「みほ、っな、なに言ってるんですか!? お世辞はいいで―――」
「お世辞じゃない!」

 優子さんも委員長も顔が真っ赤だった。
 天然と天然のやりとりってなんて面白いんだろう、なんて思ったことは墓場まで持っていこう。
 お世辞はいいと言った優子さんに、委員長の声が凛と制した。
 それに驚いたのか、優子さんが私をギュっと抱きしめる。委員長の顔も声も真剣で、見てるこっちが真っ赤になりそうだった。

「語彙力がないから、なんて表現すればいいのかわからないが、お世辞でもなんでもなく、君の笑顔は綺麗だと思う。その、なんと言えばいいのだろう。春の木洩れ日というか、ああ、今は秋なのに春は可笑しいか。んん、柔らかな花のようでだな、心が洗われる。……ああ、どう表現しても、綺麗だとしか言いようがない。表現力がなくてすま、って、日向さん?」

 うわぁ、って思ったのは、きっと私だけじゃないはずだ。
 ああ居た堪れない。こんな甘ったるい空気のなかに居たら、この真っ白な毛並みもピンク色に染まりそうだ。
 私だけじゃなくて、しょうさんもそう思ったのかな。呆れたように息を吐くと、パートナーである委員長に背を向けた。
 ピンクの空気を直接当てられた優子さんといえば、顔はトマト以上に真っ赤になっている。
 首筋から顔にかけて真っ赤になっている優子さんは、驚きで固まっているのか、目を見開いた状態でピクリともしない。
 そんな優子さんを覗き込むように近づいてきた委員長に、カンガルーも吃驚な跳躍力で優子さんが後退る。
 委員長はそれに驚くのと同時に、とても悲しそうな顔をした。わけがわからないだろう委員長にしてみては、自分が言った発言や行動で優子さんに嫌われたのだと思っているに違いない。
 その証拠に、ものすごく悲しそうで、後悔に満ち溢れた顔をしてるんだ。
 あああああー、と人間だったら叫んでたくらいのじれったさ、というか鈍感さに思わず叱るような鳴き声がもれた。

「っう、うるさいぞ、しょう! あの仔も呆れてる、って、ぐぅ。……ああもう、駄目すぎる自分が恨めしい。っあ、やめ、噛むなしょう!!」
「しょ、しょう?」

 優子さんの腕から覗き込んだ光景は、しょうさんに腕を噛みつかれている委員長の姿。
 様子からして本気噛みじゃなくて甘噛みだっていうのはわかるけど、しょうさんほどの大きなイヌに噛みつかれるのはどうであれちょっと痛そうだ。
 委員長が叫んだことで、しょうさんの存在にやっと気づいた優子さんは、まだ赤い顔を委員長に向けた。
 話しかけてもらえたからか、委員長がちょっと明るい顔で優子さんの方にしょうさんを見せる。ふさふさのしょうさんの毛並みを撫でながら、少しずつ距離を縮めていった。

「この仔の名前はしょう。合唱のしょうで、|唱《しょう》と呼ぶんだ。黒狼と呼ばれる、白狼とは反対の種族でな。体育・武道優秀者をパートナーにする学園の秩序だ」

 ちなみに白狼は学園の守神だ、と委員長が得意げに語った。
 しょうさん、唱さんは、どうだ凄いだろう、といわんばかりに胸を張り上げながら横目でちらり、とこっちを見た。
 優子さんは吃驚したように口を開けると、小さく凄いと呟いた。
 ついさっきまで忘れていた私が言える立場じゃないけど、優子さん以外のこの学園の関係者は全員知っている。
 この学園は白狼と黒狼の二つの突然変異種が秩序と守神をしている。白狼は言うまでもなく学力優秀者をパートナーとし、黒狼は体育・武道優秀者をパートナーにする。
 学力優秀者である幹部委員が多く所属する生徒会は、その多くが白狼のパートナー。対して体育・武道優秀者である幹部委員が多く所属する風紀委員会は、ほぼ全員と言ってもいいくらいの割合で黒狼のパートナーだ。
 学園の秩序を取り締まり、違反が無いように見張る。体育祭や、力仕事を使う行事では風紀委員が中心となって動いているんだ。
 今嬉しそうに微笑んでいる目前の委員長もまた、生徒たちを引っ張る優秀な委員長だ。
 凄いな、と優子さんが小さく呟いた。

「いや、凄くなんてない。たった一人、君のことも助けてやれない。まだまだだ」

 苦笑した委員長に、優子さんが首を振った。
 また一歩、優子さんと委員長の距離が縮まった。
 委員長が手を伸ばせば届く範囲に、優子さんはいる。優子さんは俯いていた。
 だけど、小さく息を吐くと、その意志の強そうな瞳を委員長へとまっすぐにあげた。

「今、あなたに助けられました」
「日向さん?」
「ずっと苦しくて、誰かに吐き出したくて、もがき苦しんでたんです。滅茶苦茶なことを言っていた自覚はあります。だけど、だけどあなたはっ!」

 優子さんは声を張り上げると、一歩、委員長に近づいた。
 二人の距離は、手を伸ばせば抱き合えるくらい傍にあった。

「聞いてくれました。受け止めてくれました。謝ってくれました。……それだけでもう、十分です」
「だ、だが、おれは、きみをきずつけて―――」
「それを言うならわたしだって、あなたを傷つけました。今更だと、自分勝手だなんだって言って。自分だけが被害者みたいに思って、あなただって辛くて苦しかったはずなのに」
「……君の痛みには、遠く及ばないがな」
「いいえ。きっと、あなたの方が苦しかったんですよね。見えたんです。わたしの涙を拭ってくれたあの時、あなたはわたしと同じ、迷子の子供の様な顔をしてました」

 優子さんの言葉に、委員長はハッと息を小さく吐き出した。
 腕の力を緩めた優子さんは、私をそっと地面へと降ろした。唱さんがまっさきに駆けつけてくる。
 くるんと唱さんの毛並みにダイブすると、その暖かさがじんわりと広がっていった。

「あいこでどうですか、先輩」
「……っはは、そうだな。おあいこにしようか」

 軽やかな、秋の甘い風だった。
 一歩、また近づいた距離に笑いながら、二人は微笑みを交し合った。
 気だるげに一鳴きした唱さんの鼓動に耳を澄ませながら、二人の間にできた小さな糸を眺める。
 紡がれたばかりの小さな、小さな糸。細くて切れてしまいそうな糸は、見ている私を不安にさせた。
 だけど、まるで何でも無いように大きく鳴いた唱さんの、一定に流れるリズムが安心をくれた。
 桃色の風にのって舞い散る紅葉が、二人のもやもやと一緒に私の気持ちを乗せて遠くまで飛んでいく。
 掠れたような鳴き声は、唱さんの耳に残った以外は、二人の傍にまで届くことはなかった。
 秋の日の柔らかい日差しのなか、二人の囁くような笑い声が遠くまで響いた。





「ところで日向さん、体育祭は大丈夫か?」
「体育祭、ですか?」
「ああ。本日か明日には教師より話がでるだろうが、我が校の体育祭はやたらと派手でな。君が転入する前から体育祭の練習は始まっていたのだが、種目はまだだったはずだ。体育祭前日一年生は宝探しがあるんだが、その話は?」
「あ、朝聞きました。上級生が隠した宝を探し出して、多く見つけたクラスが体育祭でポイントをもらえるんですよね?」

 くすんだ芝生の上で話をしていた二人の話題は、11月下旬にある体育祭へと移っていた。
 そう、うちの学園の体育祭は、委員長が言う通りやたらと派手だ。設備もそうだけど、娯楽の少ない学園生徒たちにとって体育祭は、年に1度はっちゃける場でもあるんだ。
 定番の紅白に別れて、優勝したチームは一か月間分の購買の無料チケットがもらえる。これは毎年のことで、これプラスいくつかの特典が与えられるんだ。
 その年によって違うけど、確か去年の高等部体育祭では試験対策ノートや娯楽施設の優遇使用1週間だったはず。
 ……ああそれと、宝探しに勝ったクラスはさらにもう一個プラスされるんだっけ。
 遅めの新入生歓迎会でもある宝探しは、単純な歓迎会だけではなく、進学校でもあるこの学校の生徒としてどれくらい頭、身体を使えるかを見るテストでもある。
 学校でなんてことしてるんだ、って一般の学校から言われそうだけど、お生憎様、うちの学校の生徒はこの3年間で麻痺しちゃって、みんな普通のように受け入れてしまってる。
 優子さんのように他校から高校進学した外部生からすると、うちの学校の異常性がくっきりはっきり見える。
 それでもまあ、この一年が過ぎれば外部性も学園の空気になれちゃうんだけどね。
 いやー、関西弁が移ってしまうよりもはやく慣れていった外部生を思い出し、遠い目になってしまう。

「その宝探しがどうかしたんですか?」
「ああ。今年度の宝探しは―――」

 ――― キーンコーンカーンコーン


「「あ」」

 聞きなれたその音が鳴り響いた瞬間、遠い目をしている暇など吹っ飛んでしまった。


「またサボっちゃったよぉ! ど、どうしよーー!!」

 優子さんの、頭を抱えるような悲鳴が天高く響いた、ある昼のこと。

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