華麗なる獣の復讐も兼ねた傍観生活 | ナノ


▼ vengeance:target green03

「何故だろう。君を守りたいと思った」


 そう言うその人は、柔らかい目をしていた。
 彼女はバッと勢いおく顔を上げた。そこには今まで流れていた涙は無くて、でも、ぽたり、一筋の涙が流れた。
 ぺろち、舐め上げると、彼女は驚いたように笑った。
 まるでいつかの出逢いのようだと、彼女が言った。
 彼はそんな彼女の様子に、安心したように笑みを零した。

「君の力になろう」

 そう言った彼は、淡い光りを纏っているように見えた。





 弦兄さんによって毛繕いされている時に、俯いた彼女がやってきた。
 可愛らしい顔を俯かせて、震えた声の彼女。
 彼女は立っている状態だから、下にいる私からは顔がよく見えた。

「う、た……っ」

 ――― 優子さん

 心の中で問いかけた。
 真っ赤に泣きはらした優子さんは、耐え切れなくなったようにしゃがみこんだ。
 優子さんの膝はどこかで擦りむいたのか、赤い血が滲んでいた。
 腕も擦りむいているようで、痛々し気な傷が見える。
 両足を抱え込んでいる手も、ところどころ傷がついていた。
 その手には何か布が握られていて、優子さんはそれを落ちないようにしっかりと握っているように見えた。

「せっかく貸してもらったのに、ボロボロになっちゃ……っ」

 ぽたりぽたり、優子さんの目から涙があふれる。
 彼女の手に握られていたのは、どうやらハンカチらしい。
 シンプルな、白いハンカチ。飾りっ気のない、質素すぎると思うかもしれないけど、でも素材は高そうな、高貴さがあった。
 そのハンカチはところどころ破れていて、汚れもついていた。

「う、うろく、せんぱ、っに、どう、しよ」

 うろく。ウロク。宇緑、か。
 優子さんが持っているハンカチは、宇緑書記から借りたもののようだ。
 昨日借りたのだろうか。紳士さにも評判が高い宇緑書記のことだ。私を探していて汚れてしまった優子さんに、その真っ白なハンカチを差し出したのだろう。
 優子さんは昨日のレース付のハンカチがあっただろうけど、せっかくの好意を断れなかったんだ。
 レース付のは私に使ってしまったから、あのあと宇緑書記のハンカチを借りたんだろうな。そして、それは今こんなにボロボロになってしまった。
 優子さんのことだ。きっと返すために洗ったんだろう。
 だけど貸してもらった時とはかけ離れた、ボロボロになったハンカチを返せなくなって困ってるんだ。

 ――― まあ、それだけじゃないんだろうけど

 私は優子さんの頬をにすり寄った。
 優子さんはわかってるんだ。私が言語を理解できるって、ちゃんと知ってるしわかってる。
 だから、話せないんだね。
 私は一鳴きした。優子さんは、意外と臆病者だ。
 知られるのが怖くて、隠すんだ。弱さを知られるのが怖くて、隠すんだ。
 そしてそれを、自分の弱さだって知ってる。
 知ってるからこそ、また隠すんだよね。
 わかるよ。だって私もそうだった。
 本当の自分を知られたくなくて、みんなに失望されたくなくて、ずっとずっと隠してきた。
 何十にも猫をかぶって、本当の自分を底に閉じ込めて。結局本当の自分が見えなくなっちゃったんだ。
 それが弱さだって知ってる。そしてそれが逃げることだって知ってる。
 この世のなか、隠し事してるひとなんていっぱいいるよ。猫を被ってる人だって、身の回りにたくさんいるよ。
 みんなはね、それを鎧だって言うんだ。自分を守る、鎧だって。
 ねぇ、優子さん。私もそう思ってきたよ。
 何十にも被ってきた猫は、私を守る鎧だった。私を隠す仮面だった。
 好きな人のための武器だった。かなわなかったけどね。

「わんっ」

 優子さん。優子さん。
 顔をあげてよ。
 大丈夫だよ。
 顔をあげてごらんよ。ここにはもう、私しかいないんだよ。
 気づいたら弦兄さんいなくなっていたし、大丈夫だよ。
 いるのは私だけなんだから、優子さんの感情、出してもいいんだよ。
 そう念じる。

 優子さんは少しだけ、顔を上げた。

「怖いよ、うた。なんで? わたし、何かしたのかな」

 そう啜り泣きながら言う。
 ああ、優子さんはもう、解らなくなっているんだろう。
 今この状況はなんなのか、どうしてこうなったのか。
 そればかりが頭を支配して、彼女はわからないのだ。
 ぽたぽたと流れる涙は透明で、でも透明だからこそ彼女の悲しみをいっそう引き立たせていた。

「わたしは”いらない”のかな」

 ――― これが、優子さんの出したかった本音だね

 ぽつりと呟いた、それが優子さんの本音なんだと知った。
 空は曇天で、今にも雨が降りそうだった。

 私は傍にあった果実を優子さんへと投げた。
 そして、呆けたような優子さんに背を向けて、地面を強く蹴った。



 枯れ木の隙間を、落ち葉をくしゃりと鳴らしながら走りぬく。
 四足で走るのは苦手で、時々転んでしまうけど、今日は一回も転ばなかった。
 毛並みを撫で上げる風は冷たい。
 もう10月なんだから当然なんだろうけど、気温も低い今日は、少しだけ風が強かった。
 その風を纏って切り抜ける。
 学園の敷地内は無駄に広くて、木も多いせいで走りずらい。さらには落ち葉もあって、その落ち葉に隠された枝に引っかかりそうだ。
 目的地が見えてきたところで、馬のようにブレーキをかけた。
 特別区域から出るな、と学園長には言われていたけど、木を伝っていけばまだ特別区域なんだ。
 洞に足をかけながら、飛躍力だけで木に昇る。
 四足のおかげでバランスがとれて、木の上に居ても不思議と怖くはなかった。
 そのままバランスを保ちながら、学園の校舎に一番近くて、防音ガラスの強度が低い場所に視線をうつした。
 全てのガラス窓が防音性となっている学園のなかは、レベル1からレベル8まで分けられた場所がある。
 強度が高く、私たち白狼でも聴こえない場所があり、その場所は特別区域から遠い場所に設置されている。
 そんな場所があるんだから、もちろん、強度の低い場所もあるわけで。
 その場所まで言って、耳を澄ませた。

 情報はなによりも大事だ。情報が無ければ何もわからないんだから。
 防音レベル1のそこは、多くの生徒が行きかう場所だった。
 ざわざわと、おそらく白狼でなければここまで鮮明には聞こえないんだろうけど、大きな声が聴こえる。
 こちら側に背を向けて、つまりはガラスに背を向けている男子たちの話し声を聞いてみた。

『なぁ聞いたか!?』
『聞いた聞いた! アレだろ?』
『あー、アレか。つーかアレってホントなのか?』
『はぁ? アレってなんだよ』
『え″! お前知らねぇの!?』
『知らねぇよ!』
『マジかよー』
『この子情報に疎いざますからね』
『うるせぇーよ!! なんだよざますって! イイからさっさと話せ!』
『おー、コワっ! ……あー、はいはい! わかったわかったよ、睨むなよ。なんかさ、女子寮で揉め事があったみたいでさ』
『揉め事?』
『そー。なんかよー、転入生が幹部委員の私物を盗んだとかうんぬんで』
『はぁ!? マジかよ!』
『え、そんな噂だったっけ。俺は転入生が、あ、8月の転入生な。そいつが、先に来た転入生を妬んで、先に来た方と仲良くしてた幹部委員に言い寄ったって聞いたけど』
『それもスゲェ噂だな! 8月の転入生っつったら、あのおとなしそうなヤツだろ? ほら、女どもにいつも囲まれてる、背の小さいヤツ』
『そうそう。あんなおとなしいのが妬みでやるなんてなぁ。人間顔じゃねぇのな』
『お前はモロで顔が影響するけどな』
『うるさーい!』


 ……絶句ですね。
 はい、正直言って牙を向けたくなりました。
 いや、彼らが情報もとじゃないのはわかるんだけど、それを話てるから他のひとも噂するんだよね。
 っていうか、なんで優子さんが盗み、しかも幹部委員の私物を盗ったなんて話になったわけ?
 昨日あの後何が起きたんだ。
 私は木の上で唸りながら、校舎の中にいる彼らを睨んだ。
 睨んでもしょうがないってわかってるけど、なんだか気が落ち着かない。
 ざわりと吹いた風を全身で受け止めた。
 白狼のもふもふとした毛のおかげで、こうして寒さを感じることはほとんどない。
 だけど、心的には凄く寒かった。
 葉のない木。どんよりとした曇り空。
 落ちた葉っぱもしゃりしゃりとした音を立てるだけ。ザラザラとした感触の木肌を、自分のぷにぷにとした肉球でたたいた。
 ぽこ、なんて音しかしなくて、白狼父(おとうさん)や他の白狼兄弟(にいさん)たちみたいな威厳のある音が出ない。
 苛立たし気に地面をたたいた尻尾も、ぽふんっなんて音しかでなくて、正直自分は白狼としてやっていけるのかと不安を持つ。

『つーか、この噂の情報源って誰だよ』

 自分のあまりの不甲斐なさを嘆いていると、彼らのうち一人の声が届いた。
 ぴくり、耳を動かす。
 彼は噂を知らなかった男子のようで、他の男子たちも誰からだったか、と悩んでいるようだ。

『俺はA組の、えーっと、なんだったっけ。眼鏡かけた男、いたじゃん? そいつが教職員室で騒いでるの聞いた。愛美ちゃん悲しませやがって! って言ってたぜ』
『うわ、なにそれどこの信者だよ』
『A組の姫島信者こえーな。で、お前は?』
『俺? 俺は姫島が言ってたのを聞いた』
『え、直接!?』
『なわけねーだろ。委員会の朝会議に行く途中に、なんだっけ、テラスあるだろ? あそこ通ろうとしたら、姫島が他の幹部たちに言ってたんだよ』
『テラス知らねーよ。マジかー、姫島本人が幹部に言ってる、ねぇ? ちなみに、誰と誰がいたの』
『なんで朝会議って思ったけど、そーいやお前エリートだったわ。環境委員会のエリートだったわ。あー、全然そういう風に見えなかったから忘れてた』
『さり気なく失礼だぞお前。幹部委員は生徒会の奴らだよ。会長と副会長と、書記に会計。あ、風紀の副委員長もいたな』

 姫島さんが、直接、他の幹部たちに、か。
 しっかし、A組の男子も混ざってたんだね。あ、眼鏡かけたやつって、もしかしあの男かな。
 それだったら納得だ。彼は姫島さんを、それは女神のように讃えていたから。
 可笑しいことに、勉強だけに力を入れていたひとだったのに、姫島さんが現れてからは、勉強に当てていた時間も彼女に当てていた。
 今もそれは変わっていないようだ。
 まったく、呆れしかない。この分では、他の姫島さんに心惹かれていた男子も、彼と同じだろう。
 もう一度、耳を澄ました。

『有名人揃いだな。てか、A組っつったらさ、クラスの半分以上がアンチ姫島じゃなかったっけ?』

 アンチ姫島? うちのクラスが?
 いやまあ確かに、女子たちは姫島さんにはあまり好意的ではなかったし、一部の男子も姫島さんにはほとんど興味を持っていなかった。
 そうだ。私の数少ない男子の友人である彼も、理解不能だと言って姫島さんを遠巻きにしていた。
 対立はしてなくても、他のクラスがそう思うほど荒れていなかったはずだ。まあ、私が死ぬ前のことだけどね。
 彼らは話をつづけた。

『あー、確か陸上部の高橋を中心に、姫島と対立してるよな? 眼鏡のヤツをいれた3、4人の男以外は、全員アンチだったはずだぜ』
『っほー、姫島のヤツ、そこまで嫌われるほどのことしたのか?』
『いや、ほら、アイツの件だよ』
『アイツって誰だよ』
『だからさ、えーと、珠城、のこと』
『あっ』

 珠城(たまき)。
 それは生きていた頃の私の苗字。
 そういえば、高橋さんたちは姫島さんを疑っているんだよね。それで、事件を解明しようの会とか設立したんだっけ。
 それでアンチって思われてるなら、そうなのかもしれない。
 死んだ後のことはほとんどわからないし、私ももう人間じゃなくて白狼だから。
 校舎内で起こったことなんて知らない。学園長や優子さんからもたらされる情報だけが、私が持っているものだ。

『……まあ、そらアンチになるよな。高橋たちは姫島疑ってんだろ? んで、総合活動部だっけか? それ作って、身内だけで事件追っかけてるって聞いたぜ』
『あー、それ俺も知ってる。てか、お前も総活部入ってたよな?』
『うん? おー、まあ、な』
『どんなことしてんの?』
『……わりぃけど、教えらんねぇよ。部の規則だし、俺も、お前らを巻き込みたくないし』
『ああ、うん、じゃあもう聞かねぇよ。でもさ、お前別にA組じゃねぇじゃん。なのになんで入ってんのさ』

 ざわざわと、葉のない木が揺れる。
 くぁ、と誰かがあくびをしたような気がした。

『恩返し、かな。俺はさ、真実がしりてーだけなんだよ。本当のことを知ったうえで、俺はアイツに報いたい』

 それは真摯さを含んだ、嘘のない言葉だった。

 ――― 優子さん。私、誰の記憶にもないって思ってたけど、そうでもなかったみたいだよ

 滲み出てこようとする熱い水を、あくびでごまかした。
 彼らは笑いながら、おそらく照れ臭そうにカラ笑いした男子を囃し立てる。
 囃し立てられた男子は怒りながら、行くぞとひとこと声を掛けた。
 彼らはなおも明るく笑いながら、大きな足音を立てながら去っていった。

 私はひっそりと息を吐いた。
 まあ、この姿では「わふっ」という効果音付きになるけど。
 情報収集のために来たのに、何故か泣かされそうになった。
 涙腺、本当に弱くないはずなんだけどな。獣になってからは、少しずつゆるくなっていってるらしい。
 全然鋭くない爪をなんとか尖らせて、ザラザラとした木肌に突き立てる。
 もう一度息を吐くと、よし、降りるか、と下をみて ―――

 もしもし優子さん。
 今日だけは「ばか」の称号を受け入れようと思うんだ。
 だってさ、昇ったは良いんだけど、降りられないんです。

 くぅーん! となんとも情けない鳴き声を出す。
 情けないというか、間抜けというか、白狼としてどうなんだよ、と思われても仕方ない私。
 そんな私をあざ笑うかのように、風が強く吹いた。
 しゃり、と風の音に混じりながら、誰かが落ち葉を踏み鳴らす音がして。

 「お前、うた? そんなところでどうした」

 かけられた声に、勢いよく下を向く。
 短く切り揃えられた黒い髪に、深い緑の切れ長の目。
 精悍な顔立ちで長身。頭脳明晰で、白狼にも選ばれた才人(さいじん)。

 宇緑(うろく) 演之助(えんのすけ)
 まさにその人だった。

 わお、思わぬ助け。
 と思った瞬間、ぐらりと身体が揺れた。

「っうた―――」

 強風に身体が飛ばされる。
 背中を地面に向けた態勢で、見上げた空は曇天だった。

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