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1-6

 不審がる光一に対し、ミチルと名乗る人物は落ち着いた態度でそう告げた。光一は、名乗ってもいない自分の名前を呼ばれたことで更に警戒を強め、ミチルを睨みつけた。

「誰や……まさかお前がこのドラゴン仕掛けてきたんか」
「まさか。むしろ君たちを助けに来たんだよ。……ちょっと遅くなっちゃったけど」

 ミチルは横目で賢斗を見て、申し訳なさそうに眉尻を下げる。その後光一に向き直り、手に持っている大剣を指さした。

「その剣を送ったのも私だよ。それは君の魔力に反応して威力が上がる《 魔具 まぐ 》だ」
「魔力? なんの話や。いや、今はそんなことどーでもええねん、はよせんと賢斗が……!」

 ふむ、と考えるような仕草を見せ、ミチルが賢斗の元に近寄ってきた。光一が眉をひそめ立ちふさがるが、「傷、見せて」とミチルに押しのけられてしまった。華奢なわりに意外と力があることに光一は驚く。

 しばらく衣服の上から賢斗の傷を眺めていたミチルは、創傷部に左手をかざした。すると左手から、ぼんやりと緑色の光が溢れ出した。一瞬賢斗が顔をしかめたので光一は身構えたが、すぐにおだやかな顔になり整った呼吸音が聞こえ始める。顔色も先ほどより良くなったように見えた。
 光一は混乱し、まじまじとミチルの左手を見つめた。

「えっ、今なにしたん!? なんで手から光出とんの!?」
「君だってさっき、剣から炎出したでしょ。とりあえずこれで応急処置ってところかな。……ただ、やっぱり普通の傷だけじゃなく 魔傷 ましょう も受けているね」

 なんでもないことのようにミチルが言い放ち、左手を戻した。光一は納得のいかない様子で聞いていたが、とにかく彼女は賢斗を助けてくれたらしい。少し警戒を緩め、おそるおそる口を開いた。

「賢斗、大丈夫なん……?」
「うん、死にはしないよ。だからちょっと落ち着いて、私の話をきいてくれないか? ドラゴンのことも君の友人のことも、全て説明するから」

 光一の問いに、ミチルは穏やかに即答する。そこでやっと安心したのか、光一は素直に頷いた。ミチルは「ありがとう」とひとこと呟くと、表情を引き締めて説明を始めた。

「そうだな、まずどこから話そうか……多分薄々気付いてるとは思うが、さっきのドラゴンや私は、この世界の住人ではない。別の世界から来た存在だ」

 別の世界から来た。

 その言葉は非現実的であるにも関わらず、光一は不思議とすんなり受け入れることが出来た。ドラゴンはもちろん、目の前で話すミチルの雰囲気はどこかファンタジーな世界を感じさせるもので、自然な発色の鮮やかな青い髪も見たことのない透き通った緑色の瞳も、コスプレだというなら素晴らしいクオリティだろう。さっきは勢いでどうでもいいと言ったが、ミチルが送ったというこの剣のことももちろん気になる。
 色々とツッコみたいところではあるが、我慢して光一は話の続きを待った。

「私たちがいた世界は《 鏡界 きょうかい 》といって、君たちが住むこの世界の『理想と本性を映し出す鏡』と呼ばれている。鏡界には、この世界の住人全員の『もうひとりの自分』が住んでいるんだ」
「もうひとりの……自分?」
「そう。私たちは《リバーシ》と呼んでいる。それは、その人がこうなりたいと強く願った姿だったり、本当はこうしたいと思っていることをそのまま映した姿だったり、人によって様々だが誰しもが鏡界にもうひとりの自分を持っている。君も、そこの友人もね」

 鏡界、もうひとりの自分、リバーシ。

 次々とよく分からない話が飛び出す。光一はそれらが耳から抜けてしまわないよう、聞き入るので精一杯だった。おそらくミチルはわかりやすい言葉を選んで説明してくれているのだが、光一の脳内許容範囲はそろそろ限界が近いらしい。彼が頭を抱えうなり始めたのを見て、ミチルは話を変えた。

「まぁ、無理に分からなくてもいい。とにかく鏡界には、この世界には存在しないといわれているドラゴンや魔法が存在する。さっき君の剣から炎がでたのも一種の魔法だ。さっきも言ったが、それは君の魔力に反応する特殊な武器なんだ」
「おぉ、魔法……! なんや楽しそうやな!」
「便利なばかりじゃないよ。で、君の友人が受けた傷は魔傷と言って、魔力が込もった傷だ。これは鏡界で専門の治療をしなければ治すことができない。放っておけば徐々に魔に侵されてしまう」
「魔に侵されるって……どうなるん?」

 光一が問いかけると、ミチルの目付きが鋭くなった。まるでその質問を誘っていたかのように、ミチルはゆっくり続ける。

「最終的には全身に闇の魔力がいきわたり、自我を失う。そうなると周りの人を襲う危険性もあるため、私たちが処分する」

 落ち着き始めていた光一の神経が、再びざわめいた。これだけ非現実的な話をしているというのに、「処分」という単語にはいやにリアリティを感じる。引いていた汗が再び全身を湿らせ、冷たい空気がそれを冷やした。

「せ、せやったらはよその鏡界っちゅーとこに行かな!」
「あぁ、そのつもりだ。ただ、緋山光一。鏡界に行くにあたって、君にはやってもらわなければならないことがある」
「……オレに?」
「そう、君にしかできないことだ」

 光一はミチルの言葉に、怪訝な表情で返す。
 ミチルが意志の強そうな瞳で、まっすぐ光一を見つめる。彼女はなにかを決意したように眉を寄せ、丁寧に息を吸い込むと真剣な表情で言い放った。

「鏡界を、救ってほしい」

 しんとした空気の中、光一に向けられた言葉が響く。

 ミチルの声が鼓膜を揺らした瞬間、光一の思考が止まった。
 目の前に突然現れた見ず知らずの人物は、わけの分からない世界から来たと言う。そして今度はその世界を、自分に救ってほしいと言ってきた。なにを考えているのだろうか。光一は返す言葉が見つからず、眉をひそめたまま停止するしかなかった。するとミチルは光一の思考を察したようで、補足するように言葉を重ねた。

「今、鏡界と人間界のバランスは崩れ始めている。こちらの世界にドラゴンが現れるなど、通常あってはならないことだ。おそらくもうじき鏡界と人間界をつなぐ扉は崩壊し、両世界は混沌に呑まれてしまう……」
「よう分からんけど……それをなんとかしろっちゅーんならごめんやで。オレはただ、賢斗のケガを治してほしいだけや。そんなワケ分からん世界のことなんてオレには関係あらへん……」
「関係あるよ、鏡界がなくなればどのみち人間界も消える」
「なっ……!」

 光一が拒否の色を見せると、ミチルは硬さを増した声をかぶせた。脅すような口調で言い切ったミチルはふと寂しげな表情を見せ、光一から目を逸らした。伏せた瞳を閉じ、ゆっくり息を吐く。自分自身を落ち着かせるように大きく息を吸うと、再び口を開いた。

「無茶を言っているのは承知の上だ。だが私たちはもう、君に頼るしかないんだよ。できれば一般人を巻き込みたくはなかったんだが」
「ちょ、ちょお待て! そんな世界がどうとかいう 大事 おおごと 、オレになにができんねん!?」
「君には他の人にない、光の魔力を持てる素質を秘めている。それがあれば、今鏡界に蔓延している闇の魔力を……」
「んなファンタジーな話はもうええねん!」
「ファンタジーなんかじゃない、鏡界は立派な現実だ!!」

 突然ミチルが声を荒げたため、光一の肩がびくりとはねた。ミチルの表情からは本気が伝わってきて、作り話を言っているようには感じられない。光一が呆気にとられていると、ミチルは我に返ったように目を見開いた。二人とも上がりすぎた熱を冷まし、居心地悪そうに視線を泳がせる。

「大きな声を出してすまない。……そりゃ、君からしたら信じられない話だよな」
「あー、いや、オレも悪かった。なんも知らんと勝手なこと言うて」

 光一も自分の発言を反省し、頭の後ろを掻きながら謝罪を返した。ミチルは眉を下げ、光一を見つめる。一呼吸おき、また口を開いた。

「……本当に、君には関係のない話かもしれない。でも、仮に鏡界が消えてしまうような事態に陥ってしまえば、イリア様の存在も……消える。それだけは、どうしても嫌なんだ」
「イリア……ってさっきも言うとったな。誰やねん」
「鏡界の管理人と呼ばれていて、鏡界で一番偉い立場の人だ。……私の恩人なんだ」

 そこでやっと光一は、ミチルがこうも真剣に頼み込んでくる理由が分かった。つまりは、ミチルも光一と同じだったのだ。単純な話、助けたい人がいる。ただそれだけだ。

 世界がどうこうというスケールの大きい話は光一には分からなかったが、大切な人を助けたいという気持ちなら、嫌というほどわかる。初めて会った少年にダメ元で頼み込むほど、彼女は切迫していたのだ。
 光一はわざとらしくため息をつき、ミチルに背を向けた。ミチルが視線を足元に落とし、小さく呟く。

「無理、だよな。わかった、他の方法を探してみ……」
「しゃーないなぁ!」

 ミチルの声に、光一が大きな声をかぶせる。驚いたミチルが聞き返す間もなく、光一が振り返り言葉を続けた。

「やったるわそのワケ分からん世界救うくらい! 交換条件や、お前が賢斗を助ける、オレがイリアって奴を助ける。それでええんやろ?」
「光一……」

 顔を上げたミチルの瞳には、わずかに涙が浮かんでいた。安心したように、穏やかな笑みを光一に向ける。

「……ありがとう……光一。私に出来る事は、全力でサポートするから」
「当たり前やろ。んじゃさっさと行くで、その鏡界っちゅうトコに!」
「あ、あぁそうだな」

 素直に礼を口にしたミチルに対して照れくさい気持ちになった光一は、ぶっきらぼうにそう言うと再び背を向けた。

 じゃりじゃりと足元の氷を蹴りつけていた光一は、ふと違和感を感じ顔を上げる。心なしか、風が強くなったような気がしたのだ。鋭い冷気に肌の水分が奪われる。その違和感は、気のせいではなかった。

 見ると先ほど倒したはずのドラゴンが、その場から消えていた。光一は慌てて周囲を見回すが、ドラゴンの姿は見えない。
 突如、大きな鳥の羽ばたくような音が耳に届く。光一が音のする方向に振り返ると、ミチルの頭上で先ほどのドラゴンが羽ばたいていた。

「ミチル、危な――ッ」

 光一が注意するより速く、ドラゴンのたくましい足がミチルに襲いかかった。光一は剣を構えたが、この位置ではミチルにも炎が当たってしまうのではと攻撃をためらう。

 するとミチルは、どこから出したのか両手に双剣を握っていた。そのまま振り返ることなくドラゴンに斬撃を与える。ドラゴンはミチルの攻撃を受けて警戒したのか、大きな翼で羽ばたき空高く飛び上がった。

 しかしミチルも、ドラゴンを逃がす気はないらしい。二本の剣を身体の前で交差させるように構え、とん、と軽く地面を蹴る。軽い動きだったがミチルの跳躍は光一の予想を遥かに上回り、空中で静止するドラゴンと同等の高さまで一気に跳ね上がった。
 ドラゴンが反応する間もなく、ミチルは交差させていた双剣を振り下ろす。力が入っていないんじゃないかと思うほど、滑らかに流れるような動きだった。しかし見た目の優雅さとは裏腹に、ミチルが放った一撃は重かった。

 ミチルの斬撃をまともに受けたドラゴンは激しいうめき声を上げ、翼を動かすことも出来ず地面に向かって勢い良く落下していった。

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