1-5
ドラゴンの足元にたどり着いた光一は、精一杯の力を込め木の棒を振るった。光一の攻撃は直撃し、氷で出来たドラゴンの右脚をほんの少し砕く。その一撃でドラゴンは光一に気付いたらしい。口の周りの光は消え、ぐるりと後ろを振り向いた。
光一は再度木の棒を振り上げたが、それが当たるより速くドラゴンが尾で光一を払う。硬く長い尾は容赦なく光一の脇腹に食い込み、光一の身体を数十メートル先まで吹き飛ばした。地面から無数に生えた氷の棘が、学ランを突き破り光一の皮膚に刺さる。しかし背中を強打した光一はまともに呼吸すら出来ず、痛みを感じる余裕もなかった。
「ぐっ……くっそォ……!」
しかし、光はある程度の大きさになった途端、フッと消えてしまった。ドラゴンの意識が別の場所にそれたためだ。
光一がハッとして賢斗の方を見ると、彼は近くに散らばっていた氷塊をドラゴンに向けて投げつけていた。絶妙なコントロールで氷がドラゴンの瞳に当たり、ドラゴンの攻撃対象は再び賢斗に定められた。
その行動に光一が文句を言おうと口を開くが、それを
「光一、逃げろ! 今ならお前だけでも走って逃げれんだろ!!」
光一は目を見開いた。今のは聞き間違いではなかろうか。いつもヘラヘラとふざけている賢斗が、険しい顔で叫んでいる。あんなに余裕のない彼を見るのは初めてだった。いつも彼は、なにがあろうがのらりくらりと問題を解決してきたのだ。その彼が、「自分を置いて逃げろ」と言っている。この状況下で、彼はそれが最善策と考えたのだ。
光一は、ドラゴンに向けるより鋭い目付きで賢斗を睨みつけた。拳にジリジリと力が入る。
「お前さっきからなんやねん? 意地はんのもええかげんにせーよ、一人でなんでも出来る思っとったらなぁ……」
「思ってねーよ」
またも、賢斗の言葉が光一を遮る。しかしそこに勢いはなく、表情は冷静だった。いやに落ち着いた賢斗の様子に、光一の胸がざわついた。
賢斗はヘラ、と光一に笑いかける。
「ごめん光一。俺もう、この状況をどうにか出来るなんて思ってない。さすがに思いつかねーわ。お前を信じてないとかそーゆうんじゃなくて……俺自身がタイムアップっぽい」
光一の視界が揺れた。ドクン、と大きく心臓が脈打つ。全身の汗が一気に凍り付いたかのように、火照っていた身体は急速に温度を下げた。賢斗はわざとらしく肩をすくめ、芝居じみた口調で呟く。
「いや申し訳ないね、なんだか変なことに巻き込んじゃってさ。俺があそこで余計な電話なんかしなけりゃ、お前がここに来ることはなかったのにな。気が動転してたっぽいわ、俺としたことが」
「なに……言って……」
「たった二年にも満たない期間だけどさ、俺、お前といれて本当楽しかったんだよ」
ドラゴンが賢斗のいる方向に向けて、ゆっくりと白い光を集め始める。賢斗とドラゴンの間を隔てる氷壁は、もう一枚もない。今度こそ確実に、ドラゴンの攻撃は賢斗に直撃するだろう。賢斗はドラゴンに見向きもせず、まっすぐ光一に向かって話を続けた。
「お前とはもっと早く出会いたかったよ……ってなんかそれはキモいな! んー、上手い言葉が出てこねーや。普段から考えとけば良かったなー、遺言的なもの」
光一には、返す言葉が見つからなかった。焦りと不安と恐怖が募り、呼吸が浅くなる。それと同時に、自分自身の無力さに怒りが込み上げてきた。
何故、賢斗を見た瞬間安心してしまったのだろう。何故彼ならばなんとか出来るはずだと、頼りきってしまったのだろう。何故自分はこんなときでさえ、なにも出来ずただ立ち尽くしているのだろう。
自分はまた、大切な人が目の前から離れて行くのを黙って見ていることしか出来ないのか。
もうすぐドラゴンは、集めた光を口から放つだろう。
もっと自分に力があれば。戦うための、大きな力があれば。
賢斗がいつも通りの、ゆるい笑みを浮かべる。
「ドラハン一緒に出来なくてごめんな! 光一は生きろよ!」
光一の目に涙が滲む。悲しいからではない、自分に対する怒りと悔しさからくる涙だった。
「くっそぉぉぉおおお!!」
光一は強く握りしめた拳で、今までもたれかかっていた氷の壁を打ち砕く。地面に落ちた氷の破片を拾い上げ、動かない自分の足に突き刺した。痛みが電撃のように全身に走り抜け、光一の脳を揺さぶる。おかげでようやく身体の感覚が戻った。両足を引きずり、ドラゴンの元へ駆け寄る。
違う、力がないことを言い訳にしても仕方がない。
守りたいものがあるなら、理想ばかり抱いていないで今できる事を探さなくては。
光一に背を向けていたドラゴンは、近付いてくる光一の気配を感じると振り返ることなく尾を振り回した。今度こそ確実に賢斗を攻撃するつもりらしく、口の周りに光を集めるのをやめようとはしなかった。しかし光一も、負けじとドラゴンに向かって突っ込む。尾が、光一めがけてものすごい速さで飛んでくる。それが腹部に直撃し光一は顔を歪めるが、両足で踏ん張りなんとか吹き飛ばされるのを防いだ。両腕で尾を掴むと、それをたどってドラゴンの背中を目指す。
光一は必死で尾にしがみつき、ドラゴンによじ登った。しかしドラゴンはそれを気にする様子もなく攻撃のための力を溜める。
「誰が……逃げるかぁぁッ!!」
光一は叫びながらドラゴンの前方に回り込み、賢斗とドラゴンの間に出た。大きな氷の破片を掴み取り口元に投げつけるが、ドラゴンが動じる様子はない。
「光一……もういいって、行けよ!」
「アホか! んなカッコ悪い真似できるか!」
「カッコつけてる場合じゃないだろこのバカ!」
賢斗が焦った様子で光一を止めるが、光一は聞かずに氷を投げ続ける。しかしそうしている間にもドラゴンの光は大きくなり、ついに口から放たれてしまった。巨大な光の球体が、二人を攻撃するべくまっすぐ向かってくる。
「くそ、やっぱ氷には火やないと……!」
唯一の希望だったライターの炎はあっけなく消されてしまった。近くに燃やせるものもない。大きな炎がなければ。
ドラゴンが作り出した光の球体が、二人の目の前まで近付いてきた。光一が諦めかけ、強く目をつぶる。賢斗も顔を守るように腕で覆っていた。
目をつぶってから攻撃が当たるまで、やたらと時間が長く感じる。しかし、実際に数秒たってもドラゴンの攻撃が二人に当たることはなかった。不審に思い光一が薄く目を開けると、そこにはドラゴンが放ったものとは別の光が降り注いでいた。
「……なん、やコレ……」
キラキラと、雲の隙間から差し込む一筋の太陽光。その光が照らす先は光一の右腕だった。光が光一の手元を包み込み、そこから細長い形を作り出していた。ドラゴンの攻撃はその光に当たり消えてしまったらしい。ドラゴンが放つ光は荒々しくて氷のように冷たかったが、この光は柔らかく、ほのかに暖かかった。
手から伸びた光は徐々に形をはっきりさせ、ぼんやりした輪郭はやがて鋼へと姿を変えた。光一と賢斗は目を見開き、黄金の光が姿を変えていくのをじっと見ていた。
「……剣?」
ずしり、と突然感じた重さに、光一は前のめりになる。淡い光だったものは光一の手の中で、大造りな両刃の武器となった。現れた剣は光一の身の丈ほどもあり、右手だけでは支えきれない。光一は刃の部分を地面につけ、両手で柄を握りなおした。
剣は全体が淡く黄金に輝き、剣身の中央部には炎を思わせる装飾が彫られていた。柄に埋め込めれた赤い宝石が、太陽の光を浴びて存在を主張している。光一がゲーム内で愛用していた、炎属性の大剣によく似たデザインだった。
光一は思わず「かっこええ」と口に出しそうになったが、ハッとしてドラゴンに向き直る。身体の方が負けてしまいそうな大剣を、ギュッと力強く握りしめる。
「へっ、なんや知らんけどこれでやっと反撃できんで!」
重たい剣を引きずるように走り出し、光一はドラゴンの左足に力いっぱい剣を突き立てる。その威力で光一の身体が浮いたが、期待以上のダメージを与えることが出来たらしい。氷で出来たドラゴンの足は簡単に砕け、粉々になり風に舞い散った。ドラゴンの悲痛な叫びが高い空に響き渡る。光一はその勢いで右足も振り払い、バランスを失ったドラゴンは地面へと崩れ落ちた。光一は倒れたドラゴンの背中に駆け上がる。
「よくも好き放題やってくれたなぁ……!」
光一は握りしめた剣を高く振り上げる。すると、輝く剣先からわずかに炎が上がった。その炎は瞬く間に剣全体に広がったが、光一は微塵も熱さを感じていなかった。剣がまとう炎はどんどん激しく燃え盛り、ドラゴンの首元にまたがる光一の姿をユラユラと照らしていた。
「まるで真冬の太陽だな」と、賢斗が小さく呟いた。その後彼は静かにその場で倒れこみ、ゆっくりと両目を閉じた。
光一は、渾身の力を込めて腕を振り下ろした。
「くたばれやぁぁぁッ!!」
炎の剣がドラゴンの身体に触れると、氷で出来たその身体は一瞬にして溶けてしまった。切先がドラゴンの首を貫き、全身を炎で包み込む。ドラゴンはうめき声を上げていたが、次第に大人しくなりぐったりと動かなくなった。重力に従い、巨大な翼を地面に投げ出す。
剣を引き抜きドラゴンの背から飛び降りると、光一は賢斗の元へと向かった。
「賢斗!!」
うつぶせで意識を失っている賢斗を揺さぶる。微かだが、まだ呼吸はしているようだ。助けを呼ぼうと辺りを見回していると、突如背後から聞き覚えのない声が聞こえた。
「さすがは《光の剣士》だな。……いや、そのリバーシか」
「誰や!?」
警戒した様子で光一が振り向くと、そこに立っていたのは詰襟の真っ白な服を着た中性的な人物だった。鮮やかな青い髪と碧色の大きな瞳が、現実離れした雰囲気を漂わせていた。
「はじめまして、緋山光一。私はミチル、イリア様の命で君を迎えに来た者だ」
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