鈍色が煌めくのを見ていた。
 小振りなそれは緩やかで手慣れた曲線を描いて、真っ赤な林檎を刻んでいく。バニー林檎とか何とか言いながら手渡された、細長い三角形が2つ分の皮を残した切り方の林檎に、拗ねたように目を側めた僕を見て虎徹さんは宥めるように笑った。風邪の子どもにはこれだろうと、悪びれた様子もなく言うのだ。
 それなりの倦怠感を伴う流行りの風邪を、僕はどうやら引いてしまったようだった。それを理由に、僕は帰宅早々に虎徹さんに寝室へと連れて行かれ、あれこれと世話を焼く彼を眺めることとなった。ベッドサイドで意外にも器用に刻まれた林檎はそのひとつだ。僕のためにと切られた二分の一の林檎を食べたあと、市販の風邪薬を飲まされ横になった僕の前髪を、虎徹さんの指先が柔らかく撫でている。
 何だかとても優しい顔をしているのは、楓ちゃんあたりと何か重なる思い出でもあるからだろうか。眼鏡を外した僕には、視界の全てがぼんやり滲んで鮮明ではないけれど、虎徹さんの顔は容易く想像出来るのだった。

「今日はさっさと寝ろよバニー。」
「……帰るんですか?」
「帰んない帰んない。」

 だから安心しておやすみ。残りの半分の林檎を、自分の分だと鼻歌混じりに切り始めながら、虎徹さんが笑う。優しい大人の慈しみに溢れた声だ。彼が腰掛けている、先日彼によって持ち込まれた安い簡易椅子が甲高い音で軋むのを聞いて、そういえば1人掛けではないソファーを買いに行く約束をしたのを思い出した。吐き出す息が熱を帯びていて、他人事のように熱が上がりそうだと思いながら目を閉じる。

「林檎、……久しぶりに食べました。」
「へえ?」
「禁断の果実なんでしたっけ……?」
「さぁなあ、聞いたことはあるけど、」

 うとうとと僕が紡ぐ言葉に、少し困った風に虎徹さんが応えた。林檎を切り終わったのか、彼が投げ出していた僕の手のひらを柔らかく握る。ただそれだけで、熱で浮かされつつある頭がひどく幸福な気持ちに包まれるのだ。心細さなど感じる暇もないくらいに、時間の重なり方は、この人の前ではどうしようもなく穏やかだった。それは、ひどい話でもあったけれど。

「美味いんなら、別にいいんじゃねえかなあ。」

 何処か上機嫌な彼の声を聞きながら、ああ確かに幸福ならば何だってと、全ての思考を放り出して僕は満たされるのだった。繋がれた先の手のひらは、普段僕より温かいというのに、今日に限っては殆ど同じ体温を共有している。触れている感覚さえ曖昧で、まるでひとつになっているようだった。嗚呼と思う。
 ――此処には幸福しかない。


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