【年季の糸】


「、は?」
「聞こえなかったか。こういうのはもういい。次の機会は遠慮させてもらおう」

 人形の顔を覗きこむと、そこには不敵な笑みを浮かべる兵部京介が居た。苦々しそうに、さっきまで僕が触れていた所をはたいている。

「いやー、中々やらかしてくれたね。趣味の悪い花飾りとか、ヒュプノが無ければ発狂してたかもしれないよ」
「なんで」

 口から出たのは疑問だけだった。色々尋ねたいことはあったが、頭が回らない。

「なんでって、なにが? 僕が動き出していること? それともずっとお前の玩具になっていたことか?」
「全部だ!!」

 思わず激昂する。何がなんだかわからない。生ぬるい潮風は頭を熱くさせるばかりだ。

「そうか、全部ヒュプノで説明がつくよ」
「は?」
「僕は自分にヒュプノをかけたのさ。半年間、ただの人形になるように、とね」
「何故」
「何故って……」

 状況は分かった。それなら彼の意図はなんだ? どうしてそんなことを? 僕を、騙すようなことを。

「そりゃあ、こうするためさッ」
「ぐっ」

 彼が掴みかかる。完全に不意を突かれた。彼自身の肉体は一年近く監禁していたせいでそう力は強く無いが、能力を使われてしまえば別だ。
 何より、今の僕には何も出来ない。

「君みたいな能力者は精神が不安定になると、まともに能力を使えないだろう? それを狙ったんだ。まんまとハマってくれて嬉しいよ、坊ちゃん」
「僕を、騙していたのか」
「騙す? 僕らの間に信頼関係なんて無かったろう? それじゃあ騙しようもないじゃないか」
「ッ、」

 完全に手のひらで転がされている。こうやって僕が彼を外に出すことも予想済みだったというのか。

「何が、目的で」

 彼の目的なんて分かっている。明石薫の運命を捻じ曲げる事。
 しかし、それはもう殆ど不可能だ。彼にはもう何もない。彼の組織は無くなり、彼一人の力なんざたかが知れている。

「ああ、勘違いしているようだけど、パンドラは壊滅なんてしてないよ」
「は、何を…… 僕は、この目で!」

 また、足場を崩された。

「いやあ、何か合った時の訓練の賜物さ。いつの日かの避難訓練といい、日頃の備えは大切だね。ヒュプノを持っているのは、お前だけじゃないんだぜ?」
「プロトタイプ、か……!」

 自分と似た髪の子供の存在が脳裏を過ぎり、歯噛みする。
 冷静になれ、冷静に。僕は、何故こうも動揺しているのだろう。ちょっと彼が企んでいたくらいで、どうして、ここまで。

「あの子は勿論、他にも催眠能力者はそれなりにいるのさ。ねえ、真木?」
「お久しぶりです、少佐」

 彼の言葉と共に、海岸へ巨大客船が現れた。そして、無精髭の彼の右腕も。
 一瞬の間をおいて、自分に炭素繊維が襲いかかった。ひゅるんと素早く身柄を拘束される。僕は、やっぱり何も、出来なかった。

「はっ、兵部京介、お前がこんな生にしがみつくような奴だったとはな!」
「貴様ッ……!」
「ぐ、」

 回らない頭で、せめてもの抵抗と兵部に悪態をつくと、締め付ける繊維の力が強くなった。目の前がチカチカする。

「まあ待て、真木」

 意外にも兵部は、それを止めた。

「ですが……」
「いいから」

 彼の一声で途端におとなしくなる男。これが信頼だとでもいうのか。彼らの間に、何かの糸が繋がっているような錯覚を覚える。頭の隅がひりひりと痛んだ。

「僕は生きてたほうが何かと便利でね。女王の為ならいくら生き汚かろうと、なんだってするさ」

 そう言って彼はずっと長髪の男に向けていた目を、やっと僕に向けた。
冷たい冷たい、つまらないものを見るような、暗い目。それはさっきまで真木に向けていた、優しくも厳しい眼差しでは無く。そして、今まで長いこと僕を見てきた、ガラス玉のように無感情な瞳でも無かった。
 喉奥が、ひゅんと、冷える。

「てめえとは年季が違うんだ、坊ちゃん」


 それは僕を絶望に沈ませるには、十分過ぎるものを孕んでいた。





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