【手と目と】


「…………」

 馬鹿な奴だと思う。
 きっと、彼は僕を永遠に手に入れたとでも思っているのだろう。そんなこと、ありえないのに。

 彼は、自分が今、どんな目をしているか気付いているのだろうか。
 込めた感情を抑えた、凄まじい目。捨てられる事に慣れきって、それ故に、その手を離される事に怯える、子犬の様な目に。

 ……いや、気付いていない。気付こうとしていないのだろう。だって、気付いているのなら、この部屋のECMが、僕に対してその効力をとっくに無くしているのを看過しないだろうし、僕が自分自身に幻覚をかけている理由にも、気付く筈だ。催眠能力者のくせに幻覚をかけてることすら理解してないのだ、意図的に思考を止めているのは確かだろう。

「……ふふ」

 彼だってそれなりに高レベルの能力者なのだ。僕の意図の一つや二つ、簡単に分かるだろうに。
 あの、僕と戦った時のように凶暴で、世界の全てを憎んでいた目をした彼は何処に行ったのか。きっと、恐らく、僕のいないところで、例えば人体実験場辺りでその残虐性を発揮しているのだろうとは思う。僕を切り刻んだ時のように、劣情に駆られた目を、煌々とギラつかせながら。

「兵部京介、君は綺麗な目をしているんだね」

 何言ってるんだ、こいつ。馬鹿じゃないのか。
 何処かでメスを振っている時と違って、僕の前ではこの様だ。口汚く罵ってやりたいが、今の僕は動けない。自らそうしてある。
 ああ、鬱陶しい。こんな変態臭いこと言いながら、いつ僕が消えて無くなるのでは、と常時恐怖しているのだ。目がそう言っている。いい加減自分の中の声に気づけばいいのに。ああ、ああ、鬱陶しい。

 それに、そこまで僕を手放したくないのなら、ここのセキュリティレベルを上げればいいんだ。なのに、そんな自分を認めたくないという愚かな自尊心でそれもしない。そんな恐怖や自尊心、僕を抑えるのに欠片も役に立たないのに。

「本当に、綺麗だ」

 まあ、どうせ僕は近いうちここを脱出するのだけれど。

「潰してしまいたいくらいに」

 黙れ坊ちゃん。実行する気も無いくせに。僕の方はもう目処も立っているんだ。こっちは実行するぞ。

 まず、パンドラは壊滅していない。そういう作戦なのだ。ヒュプノなどを多用して、パンドラを壊滅したと見せかけ、ギリアムが油断した辺りで、パンドラ一丸となって攻めこむ作戦。そのついでに僕も回収してもらう、と。

「…………」

 この計画だが、僕はギリアムの能力のために空けられたECMの周波数の空白を探し、そこからパンドラにテレパスで指示を送った。嬉しいことにそれなりに時間が経ってない内にあるメンバーが受信してくれたおかげで、わりと早い段階で準備を整える事が出来た。
 自分の手際の良さに惚れ惚れする。素早く事を進めたのが効を為したのか、半年程度後でパンドラ壊滅の知らせを聞くことが出来た。まあ、僕は何もしていないのだけれど。

「そんな目で見るな、汚れそうだしやらないよ」

 だろうね。安心しろ、予想済みだ。
 で、これが相図。パンドラ壊滅の知らせを聞いたと同時に、僕は自らに幻覚をかけ、思考の海へと閉じこもった。理由は単純、この坊やを油断させるため。壊れるタイミングとしてわかりやすいしね。
 だが、腹ただしい事にこの坊ちゃん、人形のようになった僕を、欠片も疑いやしなかった。僕の目を見て、喜んでいるのか悲しんでいるのか、不思議な顔をしただけ。それなりに準備をしたかいがない。奴もヒュプノの扱いには長けているから、イチカバチかですらあったのに。

 そして、最近じゃこうやって無言の僕に話しかけたり、僕の裸体を花で飾って楽しんでいる。中々に趣味の悪い。まあ、当初の予定通りかなり油断してくれてる事に代わりは無いからよしとするが。

「……ちょっとは反応したらどうだい」

 だから無理なんだって。今の僕は君にも分かるように、ただの人形なんだ。こうでもしなきゃ君の心は開けないだろう?

 今後はこのままの状態を保って、そうだ、明日がいいな。明日、外へ誘導する。ここから一番近くの港へだ。そこに迎撃体制を整えた船とともに、皆が待っているだろう。合図から半年後に来るよう伝えていたし、今頃は確実に到着してる筈だ。
 出来れば一人で皆の元へ行きたいところだが、流石にそれは難しい。この屋敷にも様々な対策が為されているだろう。この部屋のECMが効かなくなった僕が、すぐさま脱出しない要因も、そこにある。
 だから、せめて奴と二人きりがいい。二人で外へ出る。護衛は居ない方が都合がいい。彼ら程僕を警戒する輩は居ないのだから、色々察されてしまうと困るし。うん、二人で港へ向かおう。

「実につまらない」

 そりゃあよかった。そんなにつまらないのなら、そろそろ、ずっと握っている僕の手を放していただきたいところだ。いつもいつも鬱陶しい。自分がその手を握る意味すら分かってないくせに。

 ……まあ、そうやって僕はここを抜け出すつもりなのだ。
 だから、消えないでほしいなんていう、坊ちゃんの可愛い願い事は、聞けない。聞けないのだ。僕にはやることがたくさんあって、ここに留まる事は出来ない。多少パンドラの活動を停止してでも外へ戻って、女王の玉座を、僕、この僕が守らなければならないんだ。

「……つまらない」

 そう泣きそうな目をするな。全く動けない僕のほうがよっぽどつまらないんだ。
 
 ……こう、何もせずにいると、色々な事を考えてしまう。ああ、人形の皮を被ったのを今更後悔してきた。自分の無計画ぶりがこういう時嫌になる。もう少し、マシなやり方が合っただろうに。

「…………」

 何故だろうね、思考に思考を重ねていたら、このイカれた哀れな坊やが段々愛らしく見えてきてしまった。孤独を恐れた、図体だけが大きい、大人になりきれなかった子供。誰でもいい、誰かに自分の存在を認めて貰いたくて、ずっと隠れながら手を伸ばしてる。

 彼は自分の目はおろか、この事にも気が付いていないのだろう。事あるごとに、あの時彼が死なぬよう掴んだ僕の手を握り、見つめていることに。
 見えないところで救いを求めても、誰も助けてくれないというのに。阿呆な奴。哀れな奴。
 でも、そんな足掻きがいじらしくていじらしくて、ある一人の少年を思い出させる。ずっと手を伸ばして伸ばして、掴んだ手を振り払われた、僕が殺した兵部京介という、小さな少年を。

「……明日はスコーンでも食べてさせてみようか。流動食以外にも食せるものか試してみるのも、悪くないかもしれないよ」

 そんなこと、何度もやった。結局いつも吐き出しているのになんて懲りない。いい加減折れてくれたほうが僕の精神衛生上いいのに。

 幼かった頃の僕を一纏めにしたような奴だ。その目に自分を映して貰いたくて、海底に沈んでも、いつまでもいつまでも藻掻き続けている。そしてそれがもう与えられない事も知っているから、心の内を誰にも見せない。目の前の僕にすら。そしてきっと、自分自身にさえ。

「それから、久しぶりに花を変えようか。白百合なんてどうだろう。きっと悪く無いだろうね」

 白百合か。白百合とは、本当にただの献花ではないか。どれだけ僕を死体にしたいんだ。ここから動けなくさせたいんだ。
 まあ、奴から見れば僕は唯一、そこにあった感情はなんであれ、真正面から睨め付けた人間なのだ。愚かな依存心が沸いても仕方がない。
 そして、僕は唯一彼の命を、命がけで救った、人間。

「ああ、実に喜ばしい」

 ああ、実に残念だ。
 こういう子供を僕は嫌いでない。出来る事ならずっと傍にいてやってもいいくらいだ。いいくらいなのに。悲しい事に僕は明日、彼と永遠の別れを迎える。この、ゆるやかに過ぎて行く時間も無くなり、僕の身体に纏わりつかせた花束も引き千切られ、彼の世界も消えてしまう。この坊やを救うには、必要な事だとは分かっていても、残念で残念で仕方がない。

「明日が楽しみだね」

 可哀相な坊や。愚かな坊や。明日の夢を語るのはもうやめておくれ。君にはもう、明日から先なんて、無いのだよ。





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