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7.雨唄

 伏黒は変わらず時たま郁の下校に付き合っていた。そんなに頻繁に高専に呼ばれはしないので、郁と伏黒の関係にも表面上大きな変化はない。それでも少しずつ、色々な事を話すようになっていた。他愛のない話ばかりだったけれど、気楽で良かった。別に郁の付き添いくらい、難しい任務でも何でもない。寧ろ最近はちょっとした気晴らしになっていた。だが雨の日は一端に憂鬱になる。今日は朝から雨が降っていた。道行く者たちは総じて傘をさしている。伏黒と郁も例外ではない。

「あっ」

 パシャリ。郁の右足が水たまりを踏んだ。はじけた水しぶきで足が濡れる。郁はやってしまったと苦い顔をした。

「大丈夫か」
「ん……気持ち悪い」

 伏黒が問いかけると郁は肯定とも否定とも捉えられるような反応を見せる。とは言え、現状どうする事も出来ない。まだ高専へ向かう途中なのだ。学校まで我慢してくれ、伏黒はそ言う事しか出来なかった。高専まで行ってしまえば、郁の面談を待ってドライヤーか何か持ってきて乾かせばいいと思った。思った所で、自分は母親かと伏黒は顔には出さず自嘲する。郁はそんな伏黒の様子に気づく事なく、時折足元を気にしながら隣を歩いていた。もう濡れたくないと躍起になっている姿は子供じみていて微笑ましくさえ感じる。
 郁は顔も整っている方だと思うし、惚れる男も少なくないのではないか。尤も、郁本人に付き合う意思がないのであれば意味がない。玉砕した男の影を勝手に想像して、伏黒は溜息を吐いた。告白されたりしねえの、なんて俗な事は聞かない。聞いた所で話を広げられる自信もないし、そんな雰囲気でも、更に言えば関係でもない。

「雨、いつ止むのかな」
「……さあな」

 見上げれば、ビニール傘越しに曇天が目に入る。重苦しい雲は、暫く居座り続けるだろう。郁はくるくると傘を回す。少しでも陰気な空気を飛ばそうとしているかのように。

「伏黒くん、お姉さん居なかったっけ」

 何の脈絡もなしに、郁が伏黒に問いかける。思ってもみなかった質問に、伏黒は一瞬固まった。がしかし、次の瞬間には平常心を装う。装った。別に隠したりはしていないし、同じ中学なら知っていても不思議ではない。ただ、郁の口から姉の事が出て来たのは少々意外だった。郁は他人に興味を持つような人間に見えなかったからだ。大分失礼な印象かもしれないがきっと郁も認めるだろう。伏黒は黙っていると郁は「伏黒くん?」と視線を向ける。

「ああ、一人、居る」

 名前を呼ばれて我に返った伏黒は、そう短く返した。質問の回答としては十分だと思った。郁は続けて「元気?」と言った。今度はどう答えるべきか迷う。元気、ではないのだ。だが姉が置かれている状況をどう伝えれば良いのかが分からない。分からないが嘘を言っても仕方ない。結局伏黒は「ああ……嫌」と言葉を濁した。
 郁はそれを受けて、失敗した、と思った。きっとこれは聞かれたくない事だというのが何となくわかってしまったからだ。だから謝った。

「ごめん、言いにくい事聞いた」

 話はここで終わりにしよう、何か違う話題はないか。郁は頭を回転させる。伏黒は黙ったままだ。少し考えて、郁は無理に話題を作る必要はないのではないか、という結論に至った。普段だって、いつも口を動かしているわけではないのだ。沈黙していたって平気なのだから、このまま会話がなくても問題はない。だから、伏黒が次に発した言葉は郁にとって意外なものだった。

「姉は、津美紀は……寝たきりだ」

 伏黒が何をもってそう言ったのか、郁には分からない。ただ、触れていいのだと許可を貰った事は分かった。逆にここで話を変えてしまうのも不自然だ。郁は伏黒の言葉に乗る事にする。

「病気……とか」
「多分、呪い」

 呪術師を育てる学校に通っている伏黒の姉が、呪いによって寝たきりになっている。何かの因果を感じた。伏黒は姉の為に呪術師になったのだろうか。過去を知らない郁には上手く想像出来なくて、でもなんだか納得してしまった。
 郁は、伏黒に対して優しいという印象を持っている。否定されるのが分かっているから本人には言わないが、優しい人間程そんな事はないと言うものだ。何か伏黒の役に立つ事は出来ないか。郁は一つ、思いついた。

「その呪いって、私が近くに行ったら吸い取ったり出来ないのかな」

 伏黒は驚いた顔をする。まさかそんな事を言われるとは思わなかったのだろう。口から出た「はあ?」という声は、普段より一つ低い声だった。郁はそれでも話を続ける。可能性があるなら力になりたい。郁の思考はそんな感情で支配されていた。

「何となくだけど、もしかしたら」
「それ以上言うな」

 伏黒に止められて、郁ははっとした。確信もないのにもしもの思いつきでテンションが上がってしまい、伏黒の気持ちを置き去りにしてしまっていた。ごめん、と謝る。

「自分の事、もっと大事にしろよ」

 伏黒が言う。それについては郁も反論があった。まだ伏黒の事で分かる事は少ない。でも思う事がある。所作、言動、感覚。郁が感じた事。

「伏黒くんだって、自分の事大事にしなよ」

 郁からそんな球が返ってくると思わなかった伏黒は、少しの間を置いて「大事にしてるよ」と呟いた。しっかり郁の耳に届いている。だから郁は続けるのだ。

「嘘、いつも自分以外の人の事考えてる」

 自分以外、の中には勿論郁の事も含まれている。次に伏黒から返ってきたのは「お前に何が分かんの」という冷たい言葉だった。突き放すようなその言葉に、郁はまた「ごめん」と謝る。踏み込みすぎてしまった。何も知らないのに、知ったふうな口をきいてしまった。
 今度こそ、長い沈黙が訪れる。郁は、ただ雨の音を聞く。雨音は止むどころか、段々と強くなってきているような気がして。郁の心も、雨につられて落ちていくようだった。


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