8話 ハッカ

「ららら、ら」

 葵が口ずさむ曲は、出水にとっては聞き覚えのない曲だった。普段そんなに音楽を聴くわけじゃないけれど、メジャーな曲ならそれなりの知識はある。けれど葵のそれは出水の知識には引っかからなくて。単純に興味を持ったので聞いてみた。他意はない。ただなんとなく、それだけだ。
 歌っている人を教えて貰えたら自分も聞いてみよう。そんな思いを抱くようなメロディーだった。第一印象は大事だ。知らない世界を知るきっかけになる。

「それ誰の曲?」
「さあ、誰だろう」

 別に答えにくい質問をした気は出水にはないのだが、葵ははぐらかす。言いにくい事なんてないはずだ。メロディーがある以上、歌っている人間はいるのだから。それとも、もしかしたらあまり広まって欲しくないのだろうか。

 初期から知っている歌手がある事がきっかけで一気にメジャーになる。売れるのは嬉しいが古参にとっては複雑な気分になる時がある。どんな界隈でもそういったファンは一定数いる。葵ももしかしてそういう部類の人間だったかと、それなら言いたくないかもしれないと出水は考えた。
 だがしかし、葵は言う事を嫌がっているようには見えない。

「ふふふ」
「ん?」

 その証拠に、面白そうに声を出した。随分機嫌が良さそうだ。鼻歌を歌っている時点で気分は大分良いのだろうが、それにしたって。
 まるで出水が聞いてきたのを嬉しがっているような、そんな雰囲気が見てとれた。

「ねえ出水くん。出水くんは晴れが好き? 雨が好き?」
「そりゃあ雨よりか晴れだろ」

 唐突な話題転換。ついていく事が出来た出水を誰か褒めて欲しい。どうやったら音楽の話から天気の話になるのか。葵の頭の中では筋が通っているのだろうか。たまにこういった不思議な言動をする事がある。出水としては振り回されているようにも見えるが、本人はこういったコミュニケーションも嫌いではない。それが葵だからなのか、誰にでもそう思うのか、出水は気付いていないのだが。

「どうして?」
「大体の奴そんなもんじゃねえの」
「私はね、曇りが好き」

 雨より晴れ。大半はそう答えると思う。先入観かもしれないが、間違ってはいない筈だ。雨が好きだという人間も確かに存在する。が、割合で言ったら晴れの日が好きな人間の方が多いだろう。確かめた事はないし、確かめようとも思わないような事なのでそれは気にしない。ただの世間話だ。
 そして質問を投げかけた葵本人は、自分が提示した晴れでも雨でもなく、曇りが好きだと言う。狡い、とは思わない。それも一つの答えだ。

「何で?」
「太陽はさ、お節介だよ」
「どういう事?」

 一つの答え、とは言ったが葵が出水に理由を聞いたように、出水も葵に質問し返す。単純に葵の考える事に興味があった。不思議な言動の内側を見てみたい。葵の事をもっと知りたいと、無自覚に思っている。
 そうしたら出てきた斜め上の意見に、出水はもう一度疑問を投げかけた。まるで謎解きをしているようだ。

「曇りのね、どっちつかずの無責任な感じ、好き」
「考えが独特な」

 思った事がそのまま口に出た。相変わらず葵は上機嫌で、つられてなんだか出水まで楽しくなってきたような気がする。話している事の内容は取り留めて楽しいようなものでもなくて、きっと周囲が二人の会話を聞いたら首を傾げるのだろう。だが幸い、周囲には出水と葵の会話に聞き耳を立てるような人間は誰もいない。

「個性があっていいでしょ」
「自分で言ってりゃ世話なくね?」

 それはそうだが、自分で言うような事なのか。思うより先に言葉が口をついて出る。条件反射のようなものだ。そういう風に付き合ってきたから、そういう状況に慣れてしまっている。

「こういうのはどんどん強調していかないと」
「そんなもん?」
「そんなもん。知って欲しい人って、いるじゃない?」

 曲は教えてくれないのに好きな天気は教えてくれるのか。葵の中でその二つは何の違いがあるのだろう。どちらも世間話程度に捉えて良い話の筈だ。それでも出水は葵の言葉に少なからず共感したので、肯定の意を示す。

「ああまあ、何となく言わんとする事は分かる」
「いや、分かってないんだなあ」

 だが葵から返ってきた言葉は、出水の言葉を否定するものだった。少しだけ不満に思って、葵の方にじとりと視線を投げる。

「おれ結構頭回る方だと思ってるんだけど」

 葵以外に関しては、である。けれどそれに出水自身が気づいていない。だから結局、葵が何を思って先ほどの発言をしたのか、それが分からない。分からない事も、分からない。ややこしい話である。

「ららら、ら」

 口ずさむメロディーに名前はない。葵が考えたものだからだ。曲ですらない、歌詞だってない。それでも葵は楽しそうに歌う。出水には全てを隠して。気づいて欲しいとは思わない。共有したいわけでもない。反応してくれた事の嬉しさを、一人で噛みしめるのだ。葵はそれで満足している。

「出水くんは晴れが好き、覚えた」
「覚えてどうすんの」
「晴れの日は良かったねって声かける」

 今日の葵は自分でもびっくりするくらい上機嫌。出水は困ったような、呆れたような顔をしている。葵にとってこの関係は壊したくない、けれど壊してしまいたい関係。こちらもこちらで、ややこしい。

 本人たちがどうこうしなければ決して変わる事のないそれ。今はまだ、変えなくてもいい。もう少し、遊んでいたいと葵は考える。

「何の遊びなんだよ、それ」

 その表情にしてこの言葉、とばかりに発せられた出水の言葉に、葵はふふふ、と小さく笑った。



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