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52.忘れてくれたら

 家について最初の夜は、気分の良いものではなかった。夢は見た気もするが、内容は覚えていない。時計を見ると午前三時だった。起きるにはまだ早い。ごろり、布団の中で寝返りをうつ。布団の中は自分の体温で暖かくて、結希は生きている事を実感した。手を握りしめ、開く。何回か繰り返せば、血が巡っていく気がした。一通り生きている確認をした後、結希はまた目を閉じる。うつらうつらして次に意識が浮上したのは五時半。二度寝は成功したらしい。今度は夢の内容を覚えていた。高専から家に帰る途中、事故に巻き込まれる夢だった。

「縁起でもない……」

 起きてからの第一声だ。言ったものの、今の状態が最善なのか、夢のように死んでいた方が幸せだったのか結希には分からない。死んだ方が幸せなんて思いたくはないのだけれど。
 結希はベッドから抜け出し、布団の上から腰かけた。部屋をぐるりと見回す。やっぱり、何もない部屋だ。机すらない。唯一の家具はベッド。気持ち程度に姿見が一つ。隅に結希が持ってきたボストンバッグが置かれている。結希は取り敢えずバッグの中身を出す事にした。朝食にはまだ早いだろう。時間になったら知らされる筈だ。それまでは自由時間のようなもの。といっても、結希の荷物など最低限の衣服と数冊の本のみで、整理もすぐ終わってしまった。衣装ケースが欲しい。言えば調達して貰えるだろうか。ぼうっと考える。若干思考がふわふわしている。本の一つを手に取り、パラパラとめくった。もう何度も読んだそれは、結希の手によく馴染む。

「朝食の時間でございます」

 少しだけ、と本を読んでいたら部屋の外から声がかかる。いつの間にそんな時間になっていたのか。結希はパタリと本を閉じた。有難うございます、と声に返し立ち上がる。自室に運んでくれたら、と思ったがどうやら皆一同に会して食べるらしい。一緒に食べていいのだろうか。というより、結希が気まずい。しかしここに持ってきて下さいなどと言う事も出来ないので、結希は部屋の戸を開けた。昨日と同じ侍女だった。一瞬目が合う。すぐにそらされた。従順な化け物になれ。総代に言われた事を思い出す。この侍女も、化け物の世話など任されて可哀想に。

「こちらです」

 侍女の後ろをついていく。廊下が長い。広いが嫌でも生まれ育った家だ、勝手は分かっている心算である。食事を摂る部屋へ行けば誰も居なかった。やはり別か。結希は安心した。一人の方が気が楽である。朝食を食べていたら、がらりと戸が開いた。

「いつまで食べている。仕事だ」
「……はい」

 口の中のものを飲み込んで、結希は返事をする。拒否権はないのだ。だったらもっと早く朝食に呼べと言いたいところだが我慢する。発言権だって、あるか分からない。朝っぱらから任務、人使いが荒い。人ではないか。自分の思考にうんざりする。早くも適応してきているのが嫌でたまらなかった。身支度を済ませ、用意されていた車に乗り込む。相手は呪霊ではない。呪詛師だ。ある程度まで近づいたら車を降りる。あとは徒歩で現場へ。人間を相手にするのは難しいと結希は思う。呪霊だって楽ではないが、まだ良いと思った。思って、不謹慎だと思考をリセットする。

「十二が開(ひらく)、しょうけら」

 いつも通り、しょうけらを先行させる。呪詛師というのはあまり隠れたりはしないのだろうか。いや、違うだろう。たまたま結希が相手をする呪詛師がそうなだけ。質の悪い奴らだ。呪詛師にとっての結希も、質が悪いと思われているかもしれない。どうでもいい、結希は言われた事に従うだけだ。呪詛師を見つけて、戦って、殺して。後始末は他人に任せる。結希がするのは、相手の息の音を止めるまで。それさえ終わしてしまえば、用済み。服に呪詛師の返り血がついている。心底気持ち悪いと思った。血の色は結希の目の色よりもどす黒い。結希にお似合いの色。

「くたばった? 可哀想に。化け物なんかに殺されて」

 結希は息をしなくなった呪詛師の傍らにしゃがみこんだ。触ってみる。まだ温かい。舌打ちが出た。こんなに簡単に死にやがって、と毒づく。もっと抗ってみろよ。腕の一本もぎ取ってみろ。他人事のように言う。呪詛師は所詮人間だ。結希は違う。それはほんの僅かな時間。だが結希には十分な時間だった。無言で立ち上がり、骸に背を向ける。これからこんな日常が続いていくのかと思うとうんざりした。だが最終的に戻る決意をしたのは結希自身だ。文句は言えない。それでも。

「皆何してるかなあ」

 車の中、結希は呟いた。夏油と硝子は元気にしているだろうか。五条、五条は。きっと嫌な気分にさせてしまっただろう。さようならの声をかけたのは正しかったろうか、間違っていたろうか。結希の中ではどちらが正しいか答えを出す事が出来なかった。
 さよなら、結希はそう言った。けれどどうしても、彼らの事を考えてしまう。あの日々は結希にとってかけがえのないものだったと断言できる。しかしその日々と決別する選択をしたのも、結希。
 何を今更考えているのか。高専の日々が特別だったのだ。日常に戻っただけ。今この生活が、正しい生活。きっとこれからも、変わる事はないのだ。

「私の事、忘れてくれるといいな」

 結希の言葉に、返事をする者は誰も居なかった。


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