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51.犬または

 車に揺られること数時間。結希は自分が生まれ育った家に久しぶりに足を踏み入れた。古い歴史のある家だ。門をくぐる時はいつも緊張する。結希の生い立ち的な要因もあるのだろう。半人前。ずっと付きまとっていた肩書。でも今なら。結希は大きく深呼吸をした。その赤い双眸は、しっかりと前に向けられている。
 さようなら。その後の五条の顔は見る事が出来なかった。怖かったのだ。自分の都合で振り回して、一方的に別れを告げた。この先五条と会う機会がないとは言えない。互いに呪術師なのだ。けれどもそれは仕事として。恋人に戻る事は、きっともうない。少しだけ別れを後悔している自分が居て、結希は何を馬鹿馬鹿しいと首を振る。無理やり縁を切るような行為をしたのは結希なのだ。

「戻らない」

 言い聞かせる。意志がそこにある。門の前で止まっていた足を一歩前へ踏み出した。出向えなど居ない。勝手に入って来いという事だと解釈する。帰還を喜ばれてなどいないのだ。結局、どこまで行っても駒なのだろう。
 奥の間、部屋の中には総代が居る。結希はぐっと拳を握りしめた。この襖を開け中に入ったら、もう後戻りは出来ない。けれど、入らない事には話も進まない。

「結希です」

 詰まりかけた声を発すれば、中から「入れ」と短い返答。静かに襖を開ければ、重苦しい雰囲気に押し潰されそうになる。一段下、総代の前に正座をした結希は、深々と頭を下げた。

「帰って来たか」
「はい」

 頭を下げたまま答える。威圧感が結希を襲う。夜蛾も圧はあったが、こんなに不快なものではなかった。夜蛾はあたたかい人だったのだと、改めて実感する。夜蛾だけではない。呪術高専の面々は、皆。そこまで考えて、ひとまず結希は思考するのをやめた。今考える事ではないし、もう関係のない事だ。
 気まずい沈黙。結希の頭は上がらない。

「約束を守るとは、化け物として飼われる自覚も芽生えたか」

 しばしの後、先に沈黙を破ったのは総代だった。化け物、その言葉に結希はぴくりと反応する。自分自身に何度も言い聞かせてきた言葉だが、他人から言われると良い気はしない。寧ろ不快だ。そう思うところ、結希もまだ納得していない部分があるのだろう。全く、うんざりだ。決心して来たはずなのに、決心する時間はたっぷりあったのに。何に執着しているというのか。きっと甘い蜜を吸いすぎたのだ。それは今となっては、毒。

「それでいい。お前に感情はいらない」

 何を馬鹿な。結希にだって感情はある。それすら捨ててしまったらただの獣以下だ。ああでも、結希は考える。この家が、目の前の人物が望んでいるのは化け物だった。人間も獣もいらないのだ。必要なのは飼いならされた化け物。結希は鎖で繋がれる為に帰って来た。それが全てだ。

「今日からお前を神野家の犬として受け入れる。ただ淡々と生きよ。従順な化け物になれ」

 総代の言葉が全てだった。求められる事は単純で。犬、化け物。人間ではない。人間としての結希はきっと死んだのだ。否、最初から人間として扱われた事などこの家ではなかった。呪術高専にだって、化け物になる為に通っていた。
 話は終わった、下がれという言葉をきっかけに、結希はやっと頭を上げた。無言のまま部屋を後にする。一瞬合った視線は、結希の事を汚いものでも見るかのように見ているように感じた。きっと結希と話す事は不快でしかないのだろう。化け物になったところで、歓迎などされないのだ。分かりきっていたが、少しだけ心が疼いた。この家に居るときっとこんな風に思う事もなくなるだろうと分かってしまったから、結希の思考はまた逃げるように停止した。

 総代の部屋の前でいつの間にか待っていた侍女が結希の前を歩く。連れて行かれたのはかつてこの家で結希が使っていた部屋だ。侍女は無言のまま、結希の荷物を置くと下がった。結希は部屋に一人になる。
 荷ほどきをしなければと思ったが、そんな気力もなかった。この家は、居るだけで体力が削られる。食事は与えられるのだろうか、とどうでもいい事を考えた。流石に食事をする権利はあるだろう。皆とは別かもしれないが、逆にその方が楽だ。一同集まっての食事など苦痛でしかない。

「怠……」

 久しぶりに言った気がした。結希の口癖だ。これから怠いと思う事は沢山あるだろう。それでも結希は生きなければならない。どんな人生だろうと、生きる事は諦めない。そう決心した。
 簡素なベッドに身を投げる。今日はもう動きたくなかった。早く風呂に入って寝てしまいたい。夕食は喉を通らなそうだ。ごろん、と寝返りをうつ。何もない部屋は、高専の寮とあまり変わらない。ぬいぐるみの一つでも置こうかと思ったが、自分らしくないなと考え直した。何もない部屋の方が似合っている。

「私が選んだんだ」

 言い聞かせるように呟けば、少しだけ楽になった気がした。動かされたのではなく、自ら動いたのだと。選択したのは自分なのだと。これからの自分を受け入れるには、そう思う事が必要だと思った。
 風呂も明日でいいや。何もかも面倒になって、結希は目を閉じた。


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