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21話 溶けた魔法

 朝。鏡に映るいつきの顔は自分でもわかる位具合が悪そうだ。透明人間の魔法を解かれて最初の登校日。透明でなくなったという事は皆から見られるという事だ。もし話しかけられたら、どう接していいか分からない。故に、いつきは不安でならなかった。

 時は少しだけ戻る。いつきの魔法を解いた迅は、そのまま玉狛支部へ向かった。迅は支部に住んでいる。そこには栞が一人で居た。一人で居るのが分かっていて、迅はわざとそれに合わせて支部へ帰ったのだ。

「宇佐美、明日さ。いつきちゃんに話しかけてくんない」
「いつきさん? なんで?」
「宇佐美が話しかけるかかけないかで、いつきちゃんの未来が変わる」

 ふうん? といまいち納得していない様子の宇佐美は、しかし迅の言葉に分かったと頷いた。宇佐美は社交的な性格だ、きっといつきに話しかけるのも容易いだろうと想像しての事だ。未来も視えて、迅は安心する。
 ひとまず、紛い物の魔法使いでも約束は守れそうだ。

 後はもう自分は関わらない事にしよう、迅はもう一度自身に確認する。気を抜いたら、公園に行ってしまいそうだった。それ程に、迅の日常がいつきに侵食されている。
 どうせ役目を果たしたら去る心算だった。早いか遅いか、それだけの違い。寧ろ惰性で環形を続けるより今のうちにきっぱり関係を断ってしまって良かったのかもしれない。
 他人には言えない二人の関係。まるで疚しい関係のような。もう終わりでいいだろう、迅はそう自分に言い聞かせた。

 冒頭。朝のいつき。体の具合は何処も悪くないのだし、学校を休むわけにもいかない。いくら避けようとしても、学校へはいずれ行かなければならないのだ。遅いか早いか、それだけの問題。ならば逃げても仕方ない。
 姉には見えた、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。どたばたと、玄関の方から音がした。顔を覗かせれば、母親が出ていく所だった。

「い、って……らっしゃい」
 言えた。どもってしまったけれど、言えた。母親は一瞬驚いた顔をして、それでもすぐ笑顔になって「行ってきます」という言葉を残して出ていった。
 大丈夫、話せる。見える。いつきはまた自分に言い聞かせた。自分はもう透明ではない。少しずつ、実感が沸いてきていた。

 かと言って急にクラスメイトと話せるようになるわけではなく、いつも通りに登校したいつきはいつも通りに自分の席で本を読んでいた。

 何も変化していないように時間は進んで行く。いつきにとって苦痛ではないし、自分から話しかけるなんて芸当はいつきには出来ないので、結局何も変わらない。ただ漠然と、皆に見えているのだという事は確信していた。
 迅は、魔法使いは嘘をつかないと、だから大丈夫だと。大丈夫、今日になって何度思っただろう。まだまだ足りなかった。焦りはない、でも、何かきっかけが欲しかった。

「今日の体育はバレーだ」

 いつもサボる体育に出ようと思ったのは、そのきっかけを探したかったからか。いつき自身にも分からない。けれどいつきは現在体育の授業を受けているし、皆に混ざってバレーをしていた。
 運動は得意ではない。団体競技など尚更だ。案の定、ボールを受けようとして盛大に転んでしまった。恥ずかしさを隠して立とうとした所に、同じチームだった宇佐美が駆け寄る。

「大丈夫? 待って膝、すりむいてる!」
「え? あ……」

 いつきの左膝からはすりむいたにしては派手に血が流れていた。ただそれよりも、いつきは急に話しかけられた事の方に動揺してしまう。

「先生! 私いつきさんを保健室に連れて行きます!」
「え、あの」

 宇佐美は狼狽えるいつきに「立てる?」と手を差し出した。手を取ってもいいかどうか悩む前に、いつきの手は伸ばされた宇佐美の手を取ってしまっている。
 しまった、と思った所で何故そう思うのか不思議に思う。何の変哲もない、日常生活ではないか。今までの方が、特殊だったのだ。

 宇佐美は宇佐美で、迅にああ言われたもののきっかけに悩んでいたので、無事行動に起こせた事に安堵している。ひとまずもう少し、いつきと話せそうだ。

 保健室に着くまではお互い無言で、でも確かに宇佐美の手はいつきの背中に添えられているし、どことなくいつきは安心感を得ていた。
 見えるし、触れる。その事実が、無性に嬉しかった。顔に出ないのは緊張しているせいだ。

「先生……っと。ありゃ、居ないみたいだね」

 宇佐美が保健室のドアを開けるも、そこは無人だった。保健医は丁度席を外しているらしい。

「うーん、仕方ないか。手当位なら私も出来るし、取り敢えず中入ろう」

 宇佐美はいつきの返答を待つ事なく保健室の中に足を踏み入れ、流れでいつきもついて行く。そこに座って、と指定された椅子にいつきが座ると、宇佐美は手順良く消毒液やらガーゼやらを準備して行く。
 ちょっと沁みるかもしれないけれど、と前置きをして宇佐美は消毒液を浸した脱脂綿を傷口に当てた。確かに少々沁みるが、我慢できない程ではない。
 あっという間に終わった手当。帰ろうか、と宇佐美がまた手を伸ばす。なんだか申し訳なくて、いつきは今度は手を取る事が出来なかった。
 首を傾げる宇佐美。いつきは自力で立ち上がる。

「……有難う、ごめんね」

 そう申し訳なさそうに言ういつきに、宇佐美は「全然だよ!」と返した。そして続けるのだ。

「いつきさん、いつも何の本読んでるの?」
「え?」
「ああごめんね、私も割と色んな本読むんだよ」

 いつきは内心信じられないと思いながら宇佐美を見る。宇佐美はにこにこ笑っている。会話、と呼べるのだろうか。でも廊下には宇佐美といつきしか居ないし、宇佐美の言葉は確実にいつきに向けられている。
 どもりながらも、会話をする。宇佐美は親しみやすく、いつきの言葉を急かすような事もしない。ただ、「私ね、いつきさんとずっと話してみたくて」と目を輝かせながら言った。
 先ほども思った感情。信じられない。そして浮かびあがる疑問。私は誰からも見えない透明だった筈。

 なんだか頭が痛くなって蹲る。宇佐美の心配する声が遠くに聞こえた。

「ごめんなさい、私……ちょっと、具合悪くて。保健室戻るね」

 やっとそう告げて立ち上がる。宇佐美の心配の声は聞こえていたけれど、正直応える余裕がなかった。

「大丈夫だから、宇佐美さんは授業に戻って」

 魔法使いさんに会いたい。いつきは宇佐美が心配そうな顔をしながら通路を曲がるのを確認した後、保健室には行かず鞄を持って学校を後にした。
 そのまま公園へ向かう。まだいつもの時間より早い。迅が現れるまで時間があるのは百も承知だったが、いつきにはどうしても伝えたい事があった。

「魔法使いさん……」

 だがその日、迅が公園を訪れる事はなかった。その日だけではない。迅は、それからいくらいつきが待てど公園に現れる事はなかった。


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