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20話 解けた魔法

「君はもう、透明人間じゃない」

 そう言った迅と別れたいつきは、帰宅してまずリビングに足を向けた。

 迅は魔法を解いた後用事があると言ってすぐ公園を後にしてしまった。いつきはもう少し話していたかったのだけれど、我儘で激務の魔法使いさんの時間を分けて貰うわけにもいかない、そう思って引き留めるのはやめた。正確には、躊躇った。いつきが躊躇っている間に、迅はもう背を向けていた。

 よっぽど急ぐ用事でもあったのだろうか、等と思ったが確かめる術はない。そんなに急がなくても、他の事を優先しても良かったのに。と思う程には今の関係を気に入っていたいつきは、頭を傾げるばかりだ。
 ただ向けられた迅の背が、どうしてだか寂しそうに思えて、いつきの心にも何となく靄がかかった。

 リビングである。珍しく姉である叶が居る。どうしたのだろうか、としばし思案するがスマートフォンをいじる叶はそんないつきには気づいていないようだった。
 見えている、のだろうか。透明では、なくなったのだろうか。

「……お」

 声が出ない。喉の奥に引っかかっている。なんとももどかしい。もし何も変化がなかったら、叶に声が届かなかったら。いつきは若干の恐怖を覚える。
 透明だから、今までそれが日常だった。今の所変わった実感はない。変わっていない事が怖かった。でも、変わっていたらそれはそれで怖い。どっちにしろ、いつきはこの現状を受け入れるしかなかった。
 変化を望んだのは、自分だ。変えたいと願ったのは、自分だ。

「おねえちゃん」

 ぎこちなく響いた声。まるで言葉を覚えたての赤ん坊の様な。久しく会話を交わす事などなかったのだ、緊張もする。
 魔法使いさんとはどう話していただろうか、といつきは考える。迅とは何故だか最初からすんなり話す事が出来た。
 いつきは、それもきっと魔法なのだと思っている。何ひとつ、自分の力ではないのだ。

「うっわびっくりした、何あんた」

 叶が酷く驚いた様子で声を上げる。視線は、しっかりいつきを捉えていた。
 見えている。その事実にいつきは安堵し、それと同時に胸中に得体の知れない不安が沸き上がる。
 見えたら見えたで、次の瞬間また見えなくなるのではないかと思ってしまう。今この状況を素直に受け止める事が出来ない。
 それはきっと、透明人間でいる時間が長すぎたからだといつきは自覚している。随分疑り深くなったものだと思う。迅と話している時のいつきが、どう頑張っても顔を出す事はない。方法が、わからない。

「……見える?」
「は? 何それ、幽霊じゃあるまいし」

 いつきの言葉に叶が眉を顰める。目の前の妹は何を言っているのだろうか。真意はわからないが、話を聞いた方がよさそうだとスマートフォンの画面を消す。

「私は生きてるよ」
「死んでたら怖いわ」

 そんな言葉を交わしながらいつきを自分も座っているソファに促す。まあ座りなさいよ、と言えば妹は素直に従って遠慮がちに隣に腰掛けた。どこか他人行儀な振る舞いに、相変わらずだなと肩を竦める。それでも叶が家を出る前のいつきに比べたら、随分成長したようだ。

 この妹は、一時期完全に自分以外の全てをその他として排除している風な所があった。何があったのか、最初は心配したりもしたのだがいつきが自分から話す事はなかったし、意固地になってもいる様で。
 だから家族で話し合って、いつきになるべく干渉しないように決めた。それが正しかったのか間違っていたのか、きっと間違っていたのだろうと叶は思う。それでも、当時はその方法しか思いつかなかった。
 祖母だけが、いつきに構い続けた。そのおかげでいつきは祖母には多少心を開いていたが、その祖母も三年前に他界してしまった。

 叶はいつきと五歳離れている。いつきが中学二年の時に、専門学校への進学を機に一人暮らしを始めた叶に、いつきの傍に居る事は出来なかった。専門学校卒業後、そのまま就職したので実家にはあまり帰ってこない。
 いつきの近況を知る術もなかった。母親から、変わらない、とだけ偶に聞いていた。

 だからいつきから話しかけてきたのが意外だったし、この機会を逃してはならない気がしたのだ。

「元気にしてんの」
「げん、き」

 若干どもりながら、でも会話をして行く。台所の方から顔を出した母親が驚いている。いつきが家族と話している、その当たり前の光景に。
 もう訪れないかもしれないなんて思っていた、その光景。叶は知っていた。これ以上この状態が続くようなら両親はいつきを病院に連れて行くつもりでいる心算だった事を。

「ご飯作ってあげてるんだって? 偉いね」
「え、らい。でも、それ位しないと」

 しないと、何なのだろう。いつきは言葉の続きを考える。律儀に食事を作り続けた理由。

「それ位しないと、私は居なくなっちゃうから」
「何それ」

 そう、居なくなるのが怖かった。見えないだけなら、ただの透明人間なら存在はしている。けれど何もしなくなってしまったら、生きている痕跡をどこかに残して置かないと本当に消えてしまうような気がした。
 だから足掻いていた。どこかに爪痕を残す事で、いつきと、それ以外の世界との関わりを断たないようにしていた。

「まあいいや、あんたにはあんたなりの何かがあったんでしょ」
「うん」
「話しかけてくれて嬉しいよお姉ちゃんは」
「うん」

 叶はからからと笑う。細かい事なんでどうでも良い、いつきが積極的に家族と関わろうとした事が大事なのだ。理由を聞くのは野暮だろう。
 今はただこの可愛い妹が、困ったように、けれど一生懸命会話しようとするその姿を見る事が出来ただけで十分だった。

 きっともう大丈夫だ、そんな気がした。



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