屋上へとつづく階段横に存在する、狭い物置スペース。
「緑間ぁぁっ!!どこ行きやがったぁぁぁぁっ!!」
そこに身を潜ませた緑間は、騒がしい足音と声の主がものすごい勢いですぐ横を走り去って行くのを、無言で見送った。
あの野生動物並みのスピードと体力を甘く見ず、早々にここに隠れて正解だったようだ。
「…ふん、バカガミめ。相変わらず猪突猛進しか頭にない、単純な奴なのだよ」
その台詞といい、ほくそ笑むような表情といい、今の緑間はまるで、
「…悪、役…です、か、キミは…っ」
そんなツッコミは、自らの腕の中から。
「…?黒……子ォォォォ…っ!?」
苦しそうな息づかいを訝しく思い、向けた視線の先。
そこにあった存在のせいで、緑間の声は見事なまでに裏返ることになった。
――バスケ部の模擬店からこの場所までは、およそ200メートルほど。
その距離を実際に走ってきたのは緑間であるが、彼の腕の中、振り落とされないよう必死に縋り付くだけでも、体力のない黒子にとってはかなりの苦行だったのだろう。最後の方はほとんど肩に担ぎあげられるような状態だったのだから、尚更だ。
「…目線、が高くてこわいし…体勢は不安定でくるしい、し…、何度も、舌噛みそうに、なるし…っ」
荒い呼吸に肩を揺らし、頬をピンク色に染め、大きな瞳にうっすら涙をにじませた黒子が、そう舌っ足らずに訴えてくる。
その様はとても、そう、なんというか――
「…ぁ、も、ダメ…っ」
「……っ!?」
黒子の切羽詰まった声(体力的な意味で)に、緑間がナニを想像したかは――まぁ、彼も健全な男子高校生なので……ね?
黒子はただ、『体力の限界を迎えてツライので、そろそろ解放してほしい』と訴えたかっただけなのだが、やられた方はたまったもんじゃない。
「…う、ぉぉぉぉぉ…っ!?」
瞬間的に顔を真っ赤に染めた緑間は半ばパニックを起こしながら、それでも注意深く黒子の体を床に下ろした後、思い出したように奇声をあげ、物凄い勢いで後ずさって行った。
「な、そ、そんな、は、はしたないにもほどがあるのだよ…っ!!」
「……は?」
「そ、そもそも、なんて恰好をしてるんだお前は…っ!?」
「…え、今更そこですか!?…マジで?マジで言ってるのこの人!?」
お互い名前を呼びあって、会話も交わして、それどころか無理やり拉致ってきたくせに…そりゃ、黒子の口調だってうっかり別人にもなる。
「…い、今の今まで、完璧なラッキーアイテムと出会えた喜びに、頭がいっぱいだったのだよ…っ」
「…いい加減、緑間君の突飛な言動にも慣れたと思ってたんですけどね……まだまだ甘かったみたいです」
黒子は疲れたようにため息を吐いてから、緑間に渡されたままになっていた人形へと視線を落とした。
「ラッキーアイテムって、これですか?…確かに似たような服は着てますけど、ボクはこんなに綺麗なものじゃないですよ」
クオリティにこだわらないなんて緑間君らしくもないと、苦笑を浮かべながら人形を差し出す。
「ほら、お返しします……緑間君?」
先ほどから決して目を合わせようとしない緑間を不思議に思い、その理由を探ろうと思考を巡らせた黒子は、ひとつの可能性にたどり着いたようだ。
「…さっきから緑間君の態度がおかしいのって、もしかしてボクのこの恰好のせいですか?」
「…お、オレは別にやましいことを考えたわけでは…っ!!」
緑間の過剰な反応に(何を言っているのかはよく分からなかったけど)自らの言葉が事実であることを知った黒子は、申し訳なさそうな表情を浮かべ、足元に視線を落とした。
「…すみません。むさくるしい男子校生の女装なんて、見苦しいだけですもんね」
「な!?お前は何を言っているのだよっ!?」
どうしたらそんな勘違いができるのか、思わず言葉を失った緑間に構わず、黒子は指先でスカートの端をいじりながら、見当違いの言い訳を続けている。
「でも、ボクが自分からやりたいって言い出したわけじゃなくって……今回の学園祭、部活別に模擬店人気バトルをやってて、それに優勝すると、色々もらえるみたいなんですよ」
そもそもうちって、何に対しても全力投球な人ばかりですから。
そう困ったように話す黒子だが、その表情はどこか誇らしげだった。
「それで、とりあえず女装しとけば女子ウケはするし、男子もネタにしてくれるだろうってことになって…」
「…なるほど、それで『女装喫茶』か」
「はい。最初はみんな反対してたんですけど、結局カントクに押し切られて……まぁ、ボク個人的には、どうせ目立たないだろうし、最初から大して抵抗なかったんですけどね」
「…目立たないどころか、注目の的もいいとこなのだよ。さきほどの行列も、どうせお前目当ての連中だろう」
「え?そんな訳ないじゃないですか。…確かに、何故かミスディレクションが全く効かなくなってしまって、それはビックリしたし、ショックだったんですけど」
でも、バスケが出来なくなったわけじゃないみたいなんで、それなら別にいいかなって。
のほほん、と笑う黒子に、思わず頭を抱えたくなった緑間だ。
「…相変わらず、自分のことに関してはニブいみたいだな。全く、今のチームメイトの苦労が思いやられるのだよ」
自分のことを棚に上げまくってため息をつく緑間だが、その言葉の意味が分からない黒子は首を傾げることしかできない。
「…まぁ、お前にこんな仮装をさせたあいつらも、自業自得といえばそれまでだが…」
「あ、でも、仮装自体はけっこう楽しいと思いますよ。ほら、緑間君も帝光時代に占い師の恰好してたじゃないですか」
「あれは別に、仮装が目的では…」
「黄瀬君の軍服姿もかっこよかったし…そうだ、紫原君の女装は、すごく豪華でしたよね」
「…あぁ、そうだったな」
そりゃあもう、ロココの女王の台詞がぴったり似合ってしまうくらいのゴージャスさだった。
「ボクもね、執事の恰好をして…」
と、そこで何かを思い出したのか、黒子が小さな笑みを浮かべた。
「…黒子?」
「いえ、ちゃんと執事らしい挨拶もさせられたな、なんて思い出したら、おかしくなっちゃって…」
「執事らしい挨拶?」
「はい」
そこで、黒子はいたずらっぽく緑間を上目遣いに見上げ、ドレスの裾を両手で少し持ち上げると――
「…おかえりなさいませ、旦那様」
――そんな台詞を口にしながら、片足を一歩引き、ちょこんとおじぎしてみせた。
「――――――――――――っ!!!??」
「――なんちゃ…え、緑間君…!?」
ただでさえ、人の心をくすぐる小動物のような愛らしさを持つ黒子。更に今は、本当に人間かと疑いたくなるような女装姿なのである。
そんな黒子に『旦那様』なんて呼ばれ――その結果、緑間が叫び声をあげる余裕もなくこの場から逃げ去ったとして、誰が彼を責められようか。
お前は青峰かとツッコミたくなるほどのスピードで駆けて行ってしまった緑間に、自分が彼をそうさせてしまったという自覚のない黒子は、ただただ驚くことしかできない。
「…え、これ、まさか血痕じゃ…」
更には、緑間が立っていた辺りに残された赤いシミを発見し、一瞬表情を曇らせたが、
「…まぁ、あれだけ元気に走れるんだし、ケガしたわけではないですよね…?」
すぐにそう気を取り直したようだ。
黒子の推測は当たっている――興奮による鼻からの出血は、ケガとは呼べないだろうから。
「…とにかく、これはちゃんと返さないと…」
そう言いながら、黒子は緑間が残していったアンティーク人形を手に歩き出した。
生き人形のような黒子が本物の人形を腕に抱いた姿は、最早ひとつの絵画のようだ。
そんな彼が新たな面倒事に巻き込まれないよう、祈りたいところだが――まぁ、絶対に無理ですよね。




main page

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -