たったひとつの(3) | ナノ
拍手連載  03 

あいつが求めた
たった一度の救いを 




俺には今、気になる生徒が二人いる。

一人は最近来た転入生。
何に対しても誰に対しても物怖じせず、はっきりと自分の主張をするところとか、見た目にそぐわない快活な笑いとか、この学園の中じゃなかなか珍しい態度が面白くて、名前呼びも許してやったし、我が儘も聞いてやっている。
贔屓だと言われれば、そうだろう。
学生の頃からの悪い癖だ。俺は、自分が好きなものにはとことん甘い。

もともと、崇高な理想があって教師になった訳じゃなかった。
遊びまくった大学時代、この不景気に就活するのも面倒で、とりあえず教員免許を取った。卒業を控えて、私立のこの学園が教員の募集をかけているのを知って、半ば興味本位で応募したんだ。
全寮制の男子校。女がいないのは痛かったが、破格の給料と待遇は魅力的で、採用された時は素直に喜んだ。
最初は引いた同性愛の風潮も、慣れてしまえばどうってことない。突っ込む穴があれば同じって身をもって体験したからな。

だから別に、教師としての誇りとかねぇし。好きなもんは好き、嫌いなもんは嫌い。
それでいいと思っていた。
―――のに。


「…おい泉、お前……」

「………」


最近気になっている、もう一人の生徒。
この学園では逆に珍しいくらい平々凡々な男、泉。
俺はこいつが嫌いだった。
こいつはいつでも俺のお気に入りの転入生、杏里の隣を独占していた。しかもそれで生徒会役員に近づこうとしたらしいから、全校生徒にも嫌われて当然だ。
だからこいつが制裁と称した暴力を受けていようがどうでもいい、そう思っていた。

そんなこいつが気になるようになったのは少し前。ある日を境に、こいつの雰囲気はがらりと変わった。
それまで制裁に多少なりとも抵抗していたこいつが、それをやめた。
諦めたとか、そういうんじゃない。ただ死んだような目をして、されるがままになっている。
暴行の痕は日増しに目立つようになり、ついに今日、


「お前、まさか……」


廊下をふらふら歩いていたこいつ。ボタンが外れて開きっぱなしのシャツは皺くちゃで、スラックスのあちこちに白いシミができている。
それが何を意味するか、わからないほど鈍くはない。

こいつは、強姦されたんだ。

平凡な泉がそんな目に遭うなんて考えたこともなくて、動揺し二の句が次げない俺に、泉は微笑む。


「―――今更でしょう、先生」

「……っ!」


無機質な、しかしどこか歪んだ笑みに背筋が凍る。
こいつは、こんな笑い方をする生徒だったか。

そのままゆっくり立ち去る泉を、俺が引き止められるはずがない。
そう、あいつの言う通り、今更なんだ。

以前、放課後の空き教室で制裁が行われているのを見かけた。
止めようとした。だが殴られているのが泉だと気づいて、自業自得だと思って、何も言わなかったんだ。

僅かに開いた扉の隙間から、刹那交わった視線。
罵声の間を縫うように聞こえた掠れた声。

確かに聞こえた。
だけど、だから、聞こえなかったふりをした。

人気のなくなった廊下で、拳を握り締める。

教師としての誇りなんてない。弱い者を救うお綺麗な理想なんてない。
なのにどうして、こんなに腹立たしいんだ。


『た…すけ……』


あいつが求めたたった一度の救いを、俺は笑って捨て置いた。





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