第21話 ノスフェラトゥの腹の内

 時はベルゼブモン達が対ドゥフトモン戦線を離脱し、バルバモン軍の援軍に駆けつけた頃に遡る。

「おい、マグナモンの軍なんか影も形も無えじゃねえか」

 ベルゼブモンはバルバモンに向かって毒づいた。
 急いでベヒーモスを走らせ、戻って来た頃には、とっくに戦闘は終わっていた。確かに戦いがあった痕跡が見えるが、負傷者は闇に潜むデジモン――即ちバルバモン軍のデジモンしか見受けられない。捕虜らしきデジモンもいない。
 魔王の威厳はどこへやら。岩に腰掛け、ただのくたびれた老人の如く黄昏るバルバモンは、力無くぽつりぽつりと話し始めた。

「実は、あの通信の直後にグランドラクモンが乱入してのぅ……」
「嘘だろ、よりによって奴かよ……」

 ベルゼブモンが驚愕の表情を浮かべている。それだけで「グランドラクモン」と呼ばれるデジモンが、魔王達にとってやっかいな存在であると推し量る事ができた。

「それを見たマグナモンは即撤退、グランドラクモン配下の吸血鬼共はみ〜んな儂の軍に向かって来てのぅ……。どうしようもなくなった儂は、財宝をいくらか分け与える事でなんとか手を打ってもらってのぅ……」

 バルバモンは遂に、仮面の下ですすり泣き始めた。あのバルバモンが大人しく財宝を差し出すあたり、グランドラクモンは手強い相手であると伺える。
 
「そこで悲しくなった儂は考えたよ」
「まずいなこのジジイ、だいぶやられちまってるぞ」

 よっこいしょ。と呟きながらバルバモンは立ち上がる。ベルゼブモンが手を貸してやるべきか悩むほどに足腰が弱々しく見える。

「いよいよもって、グランドラクモンの奴と同盟を結ぶべきなんじゃないかな。と……」
「遂にこの時が来ちまったか……」

 ベルゼブモンは、感慨深さと面倒臭さが入り混じった複雑な感情を噛みしめた。

「だが、俺ぁグランドラクモンの奴とは知り合いでも何でもねえぞ!? 戦場で鉢合わせた事ぐれえはあるけどよ」
「儂だってそう。みんなそう。でも、魔王代表として選ばれし子どもズの引率をしてほしいみたいなそういう思惑があるんですね」
「口調どうなってんだ大丈夫か?」

 ベルゼブモンは思わず、普段はまず言わないバルバモンを案じる言葉を掛けた。
 よぼよぼのおじいちゃんと化したバルバモンには、心配されているという意識もあまりないようだが。

「選ばれし子ども達は儂ら魔王軍の要になるかもしれない存在。重要な存在を一緒に連れていき、“ほうら貴方に手の内を見せましたよ、仲良くしましょうね”ってする訳ですじゃね」
「口調大丈夫か?」

 バルバモンの老け具合はさておき、彼からの提案を受けてベルゼブモンは渋り気味にこう言った。

「俺が行くとしてだな。奴の根城にはどう行くんだよ。ルーチェモンの奴にさえグランドラクモンの居場所は分かんねえんだぞ?」

 バルバモンの返答を待つベルゼブモンはふと、背後から聞こえてくる複数名のひそひそ声を耳にした。

「ねえねえ、皆々さん。グランドラなんとかモンってどういうデジモンか分かるかしら」
「ぶっちゃけ知らない。誰?」
「えーっとね、えーっとね、わかんない!」
「俺知ってる! なんか魔王と同じくらいヤバいヤツ!」
「結局何も分かんねえじゃねえか」
「あの、図鑑を見ればいいのでは……?」

 好き勝手に話している子ども達の様子を見て、「しまった」と独り言ちる。

「……そういや、一番最初のジジイの説明で名前が出たきりだったか」

 ベルゼブモンは面倒くさそうに視線を逸らしたが、今のバルバモンは役に立ちそうもないので渋々口を開いた。

「グランドラクモンは七大魔王やアヌビモンに並ぶ、ダークエリアの実力者だ。てめえも会ったろ、ウルカヌスモンの親父。あいつらオリンポス十二神が秩序のために中立を宣言してるとすりゃあ、奴は敵味方無く気まぐれに戦場をひっかき回して好き勝手やりやがるクソ野郎だ」

 ベルゼブモンは忌々しげに言う。そこへ冷香は例の如く茶々を入れた。

「ベルゼブモンも十分好き勝手してるように見えるけど」
「んだテメェコラ!?」
「はいはい続き続き!」

 即座に「このままでは埒が明かなくなる」と判断した摩莉は、強引に仲裁に入る。
 ベルゼブモンは仕方なく引き下がった。

「奴はダークエリアの権力争いにも天使どもとの戦いにも全く興味を示さず、時々部下連れて戦場に顔を出しては戦況をかき乱してただ帰っていくのが趣味の、最高にめんどくせえ奴だ。何がめんどくせえって、本人が権力に興味が無えだけで権力を得られる程度には強えのがめんどくせえ。奴の部下との交戦が始まりゃあ相応の被害が出る」
「んまぁ、どうやってやっこさんの根城を探すかについては……」

 バルバモンが唐突に話を戻そうとする。他人の話に割り込む事への抵抗が無くなってしまっているのだ。元々無かったとも言えなくもない。

「『強い奴と戦いたくば儂についてこい』という誘いにまんまと乗った、そこのグランドラクモンの部下君に、今まで泳がせていた借りを返してもらえばいいんじゃないかのぉ」

 一行は一斉にバルバモンが指さす先を見る。
 そこには、見たこともないほど挙動不審で冷や汗までかいているマタドゥルモンが――

「違うのだ。いや確かに件の王の部下ではあるのだが、スパイとかそういうアレではないのだ。どちらかと言えば反抗期」
「こっちから聞く前にベラベラ喋り出すんじゃねえ」

話を振られないよう息を殺して気配を消していたマタドゥルモンが、一変して早口で弁解を始める。遠巻きに見ていた子ども達は引いた。
 ベルゼブモンが銃の先でマタドゥルモンを小突くと、僅かな間だがマシンガントークに切れ目が入る。

「ぐおお何をするのだ私は無実だ」
「何をどうしたらグランドラクモンの部下がバルバモンの下に就いて俺と活動する事になるんだよ! なんだ、グランドラクモンに虐待でもされてたってか?」
「いや別に……」
「なんなのお前?」

 急にケロりと真顔になったマタドゥルモンを、ベルゼブモンは再び小突いた。4、5回は小突いた。

「バルバモン殿の仰る通りだ。私はより強き者と戦うために王の下を飛び出し天使との戦争に参加した。王とは一切連絡を取っていないので情報は漏らしていない何故なら王と話したくないからだ。王とはぶっちゃけ会いたくないし私だけ作戦から外してほしいのが本音だが、別に王とお前達を会わせるのには抵抗が無いし案内も涙を呑んで頑張るのでどうか処罰はやめていただきたい」
「こいつにしては話が早すぎる……。妙だぞ……」

 早口で自身の立場の説明、城までの案内の了承、そして命乞いを終えた挙動不審なマタドゥルモンを前にして、ベルゼブモンは引いた。いつもの雑な言い訳ではなく本気の焦りを見せられたので余計に引いた。マタドゥルモンはもはや、ベルゼブモンの中では焦るだけで気持ち悪がられる存在になっていたのである。
 いくら引こうが訝しもうが、グランドラクモンの城に行くための手掛かりはマタドゥルモンだけ。そして素性がバレたマタドゥルモンにも後がない。
 そんなこんなでお互いに不本意ではあるものの、「マタドゥルモンと行く、グランドラクモンとの同盟結成ツアー」が計画されたのであった。

◇◇◇

 そして時は現在へ。さて、ここはダークエリアの森の中である。
 適当な木を蹴れば上で寝ていたファスコモンがぼとぼと落ちてきそうな、そんな薄暗い森の中だ。

「森の中でドレスっていうのも何か変な気分なんだけど」

 摩莉の言葉から分かる通り、摩莉を初めとする人間達はこんな場には似つかわしくない華美な衣装を身に着けていた。
 女性陣は黒をベースに各々で異なる色のレースが縫い付けられたドレスを身に纏っている。唯一の男性である勇夜は舞踏会にでも着ていくような燕尾服を身に着け、乱れがちな髪もワックスで整えてある。
 一方、デジモン達は普段と全く変わらぬ服装だった。グランドラクモンの部下だというマタドゥルモンも含めてである。
シグルズが「俺もヴァンデモンになった方がいい?」と尋ねるも、マタドゥルモンはそれをやめさせた。

「そもそもドレスなんて着たことないから、ここがどこでも変な気分なんだけどさ。で、なんでドレスなワケ?」
「我が王はそういう趣味をお持ちなのだ。まあ、あの王に好かれても良い事はないのだが、嫌われるよりかはマシだろう」

 マタドゥルモンは主人を容赦なく悪しざまに言う。
その口で何やらぼそぼそと、どうやら魔法の呪文らしき言葉を呟いた。ベルゼブモンは耳を澄ませてその言葉を聞き取ろうとするも、どうにも聞き覚えのない言語であり、解読を断念する。

「ハッ。独自系統の魔術で城への入り口を隠してたって訳か。通りで見つからねえ訳だぜ」
「厳密に言えば事実はもう少しだけ複雑なのだが……皆まで言うまい。機密がバレた程度で負けるような主人ではないが、向こう数百年に渡ってグチグチとつついてくるような王ではあるのでな」

 時間が経過するにつれ、マタドゥルモンのテンションがどんどん下がっていく。それほどまでに気が乗らないのだろうか。
 さあ、呪文を唱えれば吸血王の城へ直行するゲートが現れる。というのが大方の予想であったが、実際は予想を超えてくる事態が発生していた。
 城そのものが出現したのだ。
 木々の向こうに、初めからそこにあったとでも言うように、古く巨大な石造りの城が聳え立っている。

「ちなみにこの城は、私と私が招いたお前達にしか見えんようになっている。気は進まんし正直帰りたくて仕方ないが、案内してやろう。罠の心配は要らんから安心して歩くといい。あったら済まん」

 気は進まなくとも先導はしてくれるマタドゥルモンに続き、一行は城の巨大な門を潜った。

◇◇◇

 吸血鬼の城というイメージに反し、城の中は豪奢なシャンデリアの明かりで照らされていた。
 壁や床はそれ自体は模様の無いシンプルなものだが、代わりに絵やレリーフ、絨毯などで飾り付けられている。

「何から何まで大きい城だが、怯まずともいい。単に家主の図体が大きいから建物も大きくする必要があっただけだ」

 キリンも軽々通れそうな扉や、ゾウも楽々通れる広さの廊下を指してマタドゥルモンは言う。

「キリンとかゾウよりでっかい吸血鬼ってどんだけなの」

 いやアンタも別に吸血鬼のイメージ通りでもなんでもないけどさ。と摩莉が続けたその瞬間、摩莉は自身の背後に忍び寄る気配を感じ取った。
 不埒にも彼女のスカートを捲り上げようと企んでいたそいつの息の根を止めるべく、摩莉は尋常ではない速さで振り向き手を伸ばしたものの、犯人は既に摩莉より素早く動けるマタドゥルモンによって捕えられていた。

「これ、淑女にそんな真似をするものではない」

 幼児ほどの大きさの人型で、赤と緑の線で目が描かれた仮面を被り、翼と尻尾も生やしている。何より目立つのは眼球に埋まった目で、仮面の目と同じ色の瞳がぎょろぎょろとこちらを見ている。
そんなデジモンがマタドゥルモンの手で吊るされ、不満げな顔で足をぷらぷらさせていた。

「馬鹿な事やってないで帰れ帰れ」

 マタドゥルモンはそのデジモンを軽く放り投げる。デジモンは空中で一回転すると地面に叩き付けられる事なく着地、そのまま柱の陰に隠れて様子を見ていた同種達の下へ駆けていった。

「あれはドラクモンという、悪戯好きの成長期デジモンだ。私もかつてはドラクモンだった。昔はやんちゃしていたものだ」
「何言ってんだ今もやんちゃの極みじゃねえか」

 大体こういう時はベルゼブモンVSマタドゥルモンのバトルが勃発するものだが、今日のマタドゥルモンは反撃をして来ない。代わりにベルゼブモンを見て笑いをこらえている。
 まさかと思って振り向くと、ベルゼブモンの立派な尻尾に可愛いリボンを結ぼうと画策していたドラクモンがいるではないか。

「やべっ」
「やべーじゃねえんだよやべーじゃ!」

 そのドラクモンも先程の個体と同じく掴み上げられ、仲間がいる方へ投げ込まれる。

「この城の連中は俺を何だと思ってやがんだコラ!!」

 ベルゼブモンは怒りに任せて銃を取り出した。今にも発砲しそうな気迫であったが、「今日はグランドラクモンに頭を下げに来た」という事実がなんとか彼を踏みとどまらせる。

「ドラクモンもはね、マタドゥルモンとおんなじで吸血鬼なんだよ!」
「図鑑にもそう書いてあるな。マタドゥルモンの奴よりはよっぽど納得できる見た目じゃねえか」
「オレのダチにも何人かいたぞー、ドラクモン」

 ドラクモンとじゃれついている間に残りのメンバーは何をしていたのかと言うと、(特にベルゼブモンの事は気にせず)デジヴァイスの図鑑でドラクモンについて調べていた。

「心を操る、って事は洗脳ができるって事ですかね……」
「あのトンガリ、ひょっとして成長期に戻した方が色々役立つんじゃないかしら」

 唐突に厳しい評価に晒されたマタドゥルモンだが、王のお膝元で狼藉を働くにもいかずに涙を呑んで子ども達の評価を受け入れた。

「ギャハハハハ! ひでえ言われようだな!」

 馬鹿みたいに笑っているせいで尻尾に落書きされているのに気が付いていないベルゼブモンの姿が、マタドゥルモンの傷ついた心を慰めてくれていた。

◇◇◇

 ドラクモン達の熱烈な歓迎を振り切り、一行は城の中庭を訪れていた。
 石畳の通路を囲むように生垣が植えられている、洋風建築で度々見られる中庭だ。
 
「あれ、なんで夕焼け」

 ダークエリアの空と言えば、夜の帳が下りたままの真っ暗な空だ。現に、城に入る前もそうだった。
 だが、中庭は空も地面も橙色の光で染められている。

「あれは本物の空ではない。ホログラムか魔術かは私の知るところではないが、夕焼け空を投影しているのだ」

 日光が苦手な者からは不評なのだがな。と続けつつ、マタドゥルモンは生け垣や柱から伸びる真っ黒な影を指差した。

「見たまえ。面白いものが見えるぞ」

 パートナーに影を見るように促されて優香は影をじっと見つめる。そこで思いも寄らぬものを見てしまい、優香は思わず声を上げて後ずさった。

「あっ、あっ、顔出てる」
「サングルゥモン達だ」

 影がかかっている地面から、イヌ科の動物の口先がひょっこり顔を出しているではないか。

「普段は中庭に寄り付きもしないのだが、客人の臭いが気になって影を伝って出てきたのだな」

 鼻先だけを外に出していたサングルゥモンだが、ほどなくしてぬるりと全身を現した。
 毒々しささえ感じる毛色や蝙蝠のような翼などの特徴を除けば、長毛の狼といった風貌のデジモンだった。
 サングルゥモンはしばらくこちらを警戒していたが、マタドゥルモンの連れだと分かったのか、襲いかかってくる事はなかった。

「図鑑で予習済みかもしれんが、あれも吸血種で成熟期だ。私も昔はあのようなもふもふとした生き物だったのだぞ」

 と、言われても優香はピンと来なかった。
フレイヤの例もあって獣に似たデジモンが人型に進化する事自体は理解できているが、目の前の人ですらない何かがふさふさ毛並の狼だった頃を見ていないので、実感が湧かないのである。

「……中庭の紹介も終わった事だし帰ってもいいだろうか」
「良い訳ゃねーだろ馬鹿か!?」
「そうか……」

 マタドゥルモンがそのまま静かになってしまったので、ベルゼブモンは拍子抜けした。
 拍子抜けどころか、悪寒さえしてきた。

(こうもこいつが大人しいと逆に気持ち悪いな! こいつがここまで会いたくねえっていうグランドラクモンは、一体どんな奴なんだよ)


◇◇◇

 一行は城の中でも一際巨大な扉に辿り着いた。
 壁や柱そのものの装飾は少ない城だが、この扉だけは豪華な彫り物が彫られている。間違いなく貴人のための部屋がこの先にある。

「王のおわす玉座の間はこの先だ。嫌がらせで別の部屋にいる可能性も無きにしも非ずだが」

 マタドゥルモンにはもう、挙動不審な様子は見られなかった。きっと開き直ったのだろう。

「くれぐれも粗相の無いように。何故なら後で私が酷い目に遭うからだ。私は仕置上等で粗相をするが、『何となく』『面白いから』で他人の分まで仕置をされるのはたまったものではないのでな」
「おい待てグランドラクモン像が余計に分からなくなったっつーか、お前は粗相すんのかよ!? 怖がってたんじゃねえのか!?」
「馬鹿言えあれが畏敬の対象になってたまるものか。ええいさっさと終わらせて帰りたいので開けるぞ」

 早口で言い終えるや否や、マタドゥルモンは乱雑に扉を開け放った。足で。
 驚く仲間たちの視線などものともせず、堂々と高らかに声を上げながら、恭しく会釈する。

「ご機嫌麗しゅう我が王!」

 大胆不敵に慇懃無礼な格闘家が見つめる先。
 その上半身は眉目秀麗。仮面に隠れていて尚も分かる美しく整った顔立ちは見る者を虜にした。眩いばかりの金糸のような長髪を掻き分け、二本の太い角が伸びている。均整の取れた肉体についた筋肉は、服の上からでも分かるほどに存在を主張している。
うっすらと青い肌が彼の王を生命無き存在であると示していたが、そんな事はこの美を前にしては些事であり、寧ろ命の所在の曖昧さこそが人の目を彼に惹きつけていた。
 対して下半身はどうか。上半身がおよそ男性が得られる最高の美の体現であるならば、こちらは怪物の王に求められる威厳・威容・恐ろしさそのものである。乾いた血の色の短い毛に覆われた四本の脚は、我々に襲い掛かり血肉を貪る機会を伺っているであろう獣のそれだ。
 とどめとばかりに足の前方、獣の頭に相当する部位には目も鼻もない双頭の獣が、王の意思とは関係無しに舌なめずりを繰り返している。

「あれが、マタドゥルモンの上司……?」

 二律背反、二つの王たる要素をその身一つに収めた大いなる吸血鬼の王を前に、人の子たちはただただ圧倒されるばかりであった。
 獣の息遣いも、慈愛に満ちた笑みも、そしてその巨体の迫力も、図鑑の絵で見るだけでは理解し得ないものだ。

「ようこそいらっしゃいました。“暴食”のベルゼブモン様。選ばれし子ども達」

 艶やかな唇から言の葉が零れ落ちる。とても美しい声だった。
 優しさも王としての威厳も全て入り混じっているようで、それでいて楽器の音を聞いているようで。その美しい声の全容を知りたいと耳を澄ませば澄ますほどに、意識がぼんやりとして、その音だけが世界にあると錯覚するような、美しい声だった。

「お初にお目にかかります。私の名はグランドラクモン。この城の主人です」 

 王は悠然と玉座から立ち上がった。
 獣の四肢を持つ彼は玉座の形状もまた特殊で、脚の無い座椅子のような形状の玉座であった。

「既にご存知でしょうが、そこのマタドゥルモンは私の部下です。彼の面倒を見ていただいて、本当に本当に感謝いたします」
「ご紹介に預かり光栄です、我が王。貴方が気まぐれで軍を起こしさえしなければ、私はもう少しだけ長く自由を謳歌できていたというのに……」
「可哀想なマタドゥルモン。私と渡り合えるほどの力を求めてバルバモン殿の『選ばれし子ども計画』に乗ったつもりが、私がなんとなくバルバモン殿の軍と戦ったせいで台無しになるなんて本当に可哀想。ストイックに強さを求める貴方があと“もう少しだけ”の時間で私を超える力を得られると思っていただなんて、私は悲しいです……」

 仕置き上等で粗相をする、は嘘偽りではなかった。
 王と家臣という関係の筈が、出会い頭に軽口どころか悪口を叩き合うグランドラクモンとマタドゥルモンを見て、一行は唖然とした。思わず口を挟むのを忘れてしまうほどに。
 もっとも、両者の明るく愉快な言い争いに口を挟む余地など無かったのだが。

「おっと、お客様の前でとんだ失礼を。我が部下には二種類おりまして。一つは私に忠誠を誓ってくれる部下、もう一方はこのマタドゥルモンのように下剋上を虎視眈々と狙っている部下です。まあ負けませんけど。私はどんな部下にも平等に接するようにしています」
「お言葉ですが陛下、たった一言だけとんでもなく余計な一言が含まれてはいませんでしたか?」

 グランドラクモンはマタドゥルモンを無視した。口喧嘩においては余裕のスルーこそが最大の口撃である。

「どうでしょう。私のマタドゥルモンは、ご迷惑をお掛けしてはいなかったでしょうか?」

 グランドラクモンはわざとらしく、申し訳なさそうな表情を浮かべてベルゼブモン達に尋ねた。
 ベルゼブモンの三つ目――普段はうっすらとしか開かれていない――がぎょろりと開く。日頃の鬱憤を晴らすべく、ここぞとばかりに告げ口を決行する。

「おー、滅茶苦茶掛けられたな。俺が魔王だと知ってからも掛けられたな」
「ばーーーーッ!! ばーーーーーーーーッ!!!!」

 マタドゥルモンのただでさえ尖っている毛がハリネズミのように逆立った。
 彼は焦っている。読者諸君が見てきた中で一番焦っている。

「きっ、きっ、貴様―――! ベルゼブモン貴様―――!!!!」

 マタドゥルモンはうっかり殺してしまうのではないと思わんばかりの勢いで、ベルゼブモンの胸倉を掴んだ。マタドゥルモンに詰め寄られても、ベルゼブモンは薄ら笑いを浮かべるだけで取り合おうとしない。
 グランドラクモンは、これまたわざとらしく悲しそうな表情を作ってマタドゥルモンを叱った。

「魔王様に向かってなんて失礼な事を……。私は貴方をそんな子に育てた覚えはありませんよ。よよよ……」
「お言葉ですが陛下! 私は貴方にご恩はありますが育てのご恩はありませんので、私に仕置きをする必要は無いと進言してもよろしいかッ!」

 マタドゥルモンが一方的にやられている様子を見て、ベルゼブモンはギャハハと下品に笑い声を上げている。子ども達は登場人物全員性格が悪すぎて引いた。

「ハッ! 危ねえ、こいつらのペースに乗せられて本当の目的を忘れるとこだったぜ」
「積極的に乗りに行ってたじゃない」

 ふと、ベルゼブモンは我に返った。
 そう、グランドラクモンに会いに行ったのは、マタドゥルモンを笑って日頃の鬱憤を発散するためではないのだ。

「漫才を邪魔して悪いがグランドラクモン、率直に言うぜ。……俺達魔王軍は、てめえに同盟を申し込む」

 一行は息を飲んだ。気品のある態度でありながら、その癖掴みどころの無いこの王は、率直すぎる申し込みを前にどのような返答をするのか、誰にも予測ができなかった。

「あ、いいですよ」
「勿論ただでとは言わねえ。魔王軍の虎の子、兵士のパートナーにあたる人間を連れてきて戦力強化を図る“選ばれし子ども計画”の要となるデジヴァイスの設計図を……あ? いいの?」

 拍子抜けする事の多い旅だったが、中でも一二を争うほどの拍子抜け案件であった。
 肩肘を張っていたベルゼブモンの力が抜けて、ジャケットがずるりとずれ落ちる。

「ええ。よろしい! 今から私グランドラクモンと、我が部下たちは魔王軍の味方です。契約書がおありでしょう? どうぞこちらに」

 グランドラクモンはベルゼブモンが大事にしまっていた契約書を受け取ると、さらりとサインを書いてすぐに返してしまった。
 ベルゼブモンは手元に戻された契約書と、微笑んでいるグランドラクモンを繰り返し繰り返し見比べている。

「そもそも何故、私が特定の勢力に与せず乱入と雲隠れを繰り返していたのかお教えいたしましょう。それは単に、皆様の驚き様が面白かったからです」
「ははっ。最低ですな、王」

 マタドゥルモンとグランドラクモンは声を合わせてはははと笑う。

「全勢力から恨みを買う行為ではありますが、買ったところでルーチェモン殿にも負ける事はないでしょうからついついやりすぎてしまいました。今頃彼はカンカンでしょう」
「マジで空間ごと隔絶されてんだな。ダークエリアでンな事言おうもんならルーチェモンの野郎が『この美しくて最強の僕を前にして良い度胸だね! ぶっ殺してあげるよ!』だの何だの言いながら2秒で駆けつけんのによ」
「この世界の魔王って変なのしかいないの?」

 グランドラクモンは嬉しそうな声で語り続ける。
 客が来れない城に久しぶりに来た客と話せているのだから、お喋りな王にとっては本当に嬉しい事なのだろう。

「ですがもう、あんまりやりすぎて飽きちゃいました。ですからもう、やめにします」

 気まぐれな子どものような言い分だった。しかしそれは、「世界の在り様を決める大戦」に「遊びでちょっかいを出したり、気分ひとつでそれをやめにできる」ほどの力の証左に他ならない。
 一般のデジモンはグランドラクモンの所業を前に恐れおののくであろうが、同程度の力を持つベルゼブモンにとってはただただ気味が悪かった。

(だが、それだけじゃねえ気がするんだよな。こいつを気味が悪いと感じる理由が……)

 ベルゼブモンにそう思われていると知ってか知らずか、グランドラクモンは一人で喋り続けている。

「それに……。何よりも興味があるのですよ。選ばれし子ども達の皆様、あなた方に」

 急に話の矛先が自分達にシフトし、子ども達は身構えた。
 現代日本の庶民の子どもが所謂貴族と出会った事がある筈もなく、七大魔王以上に何を考えているか分からない化け物相手の会話のノウハウがある訳もなく、誰もが応えあぐねている。冷香は他に比べれば物怖じしていなかったが、余計な事を言って面倒な事になるのは火を見るより明らかなので自重した。

「だって、可哀想じゃありませんか。一生武器を持って戦う事も無かった筈の子供たちを殺しに加担させようだなんて。私は見守りたいのですよ。歪みを与えられた子ども達がどう育つのか……」

 慈愛と憐憫に溢れた眼差しが順繰りに子ども達を見つめている。その順番は優香が最後。彼女に目が留まってからグランドラクモンの視線は動かない。

「貴女がマタドゥルモンのパートナーですね」

 グランドラクモンは優しい声音で語り掛ける。子ども達の中でも一際気弱な優香はただただ怯えるばかりである。
 優香の顔よりも長いグランドラクモンの指の背が、そっと優香の頬に触れた。怯える彼女の肩がびくりと上下した。

「貴女はよく頑張っていますね。このマタドゥルモンは戦闘を好みます。命を奪う事を好みます。パートナーとして共に戦乱へ身を投じる事を決めたのでしょう? 辛いでしょうに、ここまでよく頑張って――」

 瞬間、グランドラクモンの話と優香の視界を、見覚えのある桃色の袖がバッと遮った。

「お戯れが過ぎます、陛下。お言葉ですが、私のパートナーを“魅了”するのはやめていただきたい」

 マタドゥルモンはグランドラクモンから優香を庇うようにして立っている。
 自身の立場が悪くなっているこの状況ですらも微笑ましいのか愛おしいのか、グランドラクモンは優しくくすくすと笑った。

「はははははは! お前をからかってみただけですよ。……どうやら、ちゃんと可愛がってもらっているようですね」

グランドラクモンは再び慈しむような目を優香に向ける。今度は戯れに頬を撫でるような真似はせず、穏やかに彼女を見守っている。

「マタドゥルモン。この子をもっと可愛がってあげるのですよ。大事な大事なパートナーなんですからね」
「言われずとも」

 マタドゥルモンは、小さなパートナーの肩をそっと寄せるのだった。

◇◇◇

私、覚悟できていただろうか。

枯れ木のように細く長い腕に抱かれながら思う。

◇◇◇

「久しぶりのお客様ですから、私自身がもっとおもてなし出来れば良かったのですが……どうやら時間のようです。一応これでも城主ですので、忙しい身でしてね」
「どこがですか?」
「マタドゥルモン、お前に話しているのではないのですよ」

 マタドゥルモンからの茶々を一蹴する。
 その時、グランドラクモンは何かを思い出したような表情を浮かべた。別れ際になってふと、用事があったのを思い出したらしい。

「そうだ、シグルズくん」
「おっ、おっ、俺ぇ!?」

 シグルズとフレイヤは付き添いの付き添いで来たようなものなので、まさか名前まで知られているとは思わず、シグルズは心臓が口から飛び出るほどに驚いた。

「この戦争が終わったら、ここで働きませんか? ここではヴァンデモンもデビモンも沢山働いてますよ」

 短絡的なシグルズは、進化先が把握されている事にも一切疑問を持たずに降って湧いた就職先に飛びついた。

「やったあ内定取れた!?」
「入社を決める前に、同業他社と比較した方がいいぞ」

 若干14歳の勇夜がたしなめる。たしなめられてしまう。

「そうだそうだ辞めておけ。貴重な青春を無駄にする事などないぞ」

 マタドゥルモンも便乗して職場の悪口を言う。

「言っておくがな、今は王に一番親しいものが私だから貴様らはこの程度で済んでいるのであって、一度王と二人きりにでもなってみろ。後悔するぞ」
「何を息巻いてんだお前は」

 どうしてもマタドゥルモンはグランドラクモンが気に入らないようだった。
 グランドラクモンの方は、マタドゥルモンからの嫌悪含めてこの言い争いを楽しんでいるようだが。

「お帰りもマタドゥルモンに警護させましょう。皆さま、どうかお気をつけて。折角同盟者となったのですから、またいつかお話ししましょうね」

――

◇◇◇

 役目を果たした一行は、バルバモン城へと帰還した。
 それに気が付いたバルバモンが、杖をつきながらよぼよぼとこちらへ歩いてくる。

(そういやジジイの財宝の事すっかり忘れてたな。まあ放っときゃジジイが勝手に取り戻すだろ。今は黙っとくか)

そうとも知らないバルバモンは皺のある両手でベルゼブモンの手を取り、優しく握った。

「ありがとね、ありがとね、」
「口調大丈夫か?」

 バルバモンは握手した手を、蠅が止まりそうなほどゆっくり上下に揺らした。こうなると完全に服装の趣味が悪いだけのおじいちゃんだ。

「よう頑張ったのう、泊まっていきんさい」
「もはや誰だよ?」

 目標を達成したベルゼブモン達をねぎらうように、バルバモンは自らが所有する城内の部屋に泊まらせてくれた。
 あの、1日でも泊まろうものなら高級ホテルのスイートルーム並みの値段を吹っかけてきそうなバルバモンがである。


 皆が寝静まった頃、ベルゼブモンは城のバルコニーを訪れた。
 貸し切りかと思っていたが、先客がいた。マタドゥルモンだ。

「ちっ。よりによって、てめえかよ」
「それはこちらの台詞だ」

 グランドラクモンから離れて調子が戻ってきたのか、マタドゥルモンはベルゼブモンに言い返した。
 ベルゼブモンはほっとしたが、それをマタドゥルモンに伝える事はしなかった。マタドゥルモン相手に安心を覚えたのが癪だからだ。

 心地の良い風と対照的に、バルコニーはどことなく気まずい雰囲気に包まれる。
 普段なら会話をやめるか喧嘩を始めるところだが、ベルゼブモンはニヤニヤと笑いながらある言葉を口にした。

「いくらテメエがエセ紳士のキザ野郎とは言え、よくもまあ、あんなおためごかしが言えたもんだな」

 マタドゥルモンには、それが自分のどの発言を指しているのか分かっているようだった。

「あの娘の事なんざ、何とも思っちゃいねえ癖によ」

 マタドゥルモンはしばらく何も答えなかった。風の音だけが響いている。
 しかし、沈黙を破ったのもマタドゥルモンである。

「確かにそう思っていた。ただの力が詰まった皮袋にしか見えないと。私がついていてやらねば生きられない脆弱な生き物だと」

 そらみろ、と言わんばかりにベルゼブモンは意地の悪い笑みを浮かべた。

「だがな、今となってはそうは思わんのだよ」

 ベルゼブモンの表情から笑みが消えた。
 マタドゥルモンは、今頃深く眠っているであろう彼のパートナーに思いを馳せるように天を仰ぐ。

「彼女と触れ合い、言葉を交わし、寝食を共にする中で私の考えは変わっていった。引っ込み思案で常に不安げな彼女が、パートナーだけに見せる微笑みを私は知っている。今では彼女の事を――」

 ベルゼブモンは次の瞬間、自分がマタドゥルモンの事を見誤っていたと反省するほどの――今までに感じていたものはかわいいものだったと思えるほどの、強い嫌悪感を覚えた。

「今では彼女の事を、可愛いペットのように思っているぞ! 無条件に懐いてくるだけではない、私が強者と闘うための力まで与えてくれる、最高のペットだ!」

 堂々と言ってのけたマタドゥルモンに向かって、侮蔑を込めて吐き捨てる。

「てめえ、最低だな」
「何を言う。貴様の方こそ」
「嘘ついてねえ分、テメーよかマシな自信はあるぜ」

 ひとしきり互いを嘲り合った後、両者は何事も無かったかのように部屋へ戻っていった。


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