吐かない桜 2


このところ冬木を苛めるのに忙しくて碌に仕事をしてなかったからなあと心内で独りごちる。
最近やたら学園内が騒がしいのは薄々分かっていた。なるほど生徒会のリコール是否で揉めていたのか。自分たちの行動を今更ながら省みてみると遅かった位かもしれない。
まあ、そんなことはどうでもいい。目の前に冬木がいるのだ。それも自室の前で二人っきり。
黒木田はどう答えれば冬木が傷つくのかを頭で捻りながら唇を広げた。
「もしもぉ〜し、テメエの脳味噌はオ留守デスカァ〜? そんな下らねえこと気にして、よっぽど暇なんだなあ、冬木チャンよお」
自分とそう変らない高さにある冬木の頭を鷲掴みにして、ぶんぶん振り回すと「やめて、やめて」と焦ったような声があがる。悲愴さはない。
しくじった。もっと生き地獄で溺れ死ぬような声を聞きたいのに。
言葉選びは難しいとむっつり顔を顰めていると、解放された冬木が慌てたように懐から一枚の紙切れを取り出した。
「あ、あのっ、会長! ここに判をお願いしたいんです!」
差し出されたそれは会長の判でないと可決されない重要書類だ。
冬木の意図が見えず、こてりと小首を傾げれば、何故だか冬木がほんのり頬を染めた。
「そ、その、勝手に持ち出して、すみません……でも、この書類で俺が風紀を説得してみせますから! ここに判を押せば会長だけは仕事をしていた証拠に……」
ハッ、と馬鹿にしたような黒木田の笑いに遮られ、冬木が眼を丸くする。
今だ! と冬木の手を思いきり弾いた。儚く散る花弁のように書類が床に落ち、すかさずそれを靴裏で踏みにじる。自分でも惚れ惚れするほどのタイミング。
紙屑同然になった書類を呆然と見つめる冬木に、黒木の背筋がぞくぞくとした快感で打ち震えた。
「だーから言ってんだろ、冬木よぉ。下らねえんだよ。お前の言いたいことはそれだけか? どうでも良いことばっか気にしてよお?」
「どうでも……良い……?」
震える喉で言葉を搾り出す冬木に、黒木田の鼓動が駆け足を始める。
「そう、どうでも良いんだよ。リコールなんてな。お前の蚊みてえな親切心なんて要らねえの、大したことじゃねえの。虫以下のお前の助けなんて、これっぽっちも欲しくねえ」
みるみる強張っていく冬木の顔は、ザクザクと胸を突き刺す音が聞こえて来るようで実に愉快だ。
「り、リコールされたら堂々と俺を苛められませんよ? もしかしたら逆に黒木田会長が苛められるようになるかも……」
「俺はカスみてえなお前ほど弱くねえし。それはそれで面白そうだぜ」
嘘ではない。
冬木の味わった同じ苦痛を、自分も受ける。苛められる自分。その自分に苛められる冬木。痛みを知り、その痛みを冬木に渡す。冬木と同化する。冬木とひとつになる。
なんてロマンチックなラブコール!
「駄目です!!」
満面の笑顔を浮かべる黒木田の体が不意に突き飛ばされる。胸のあたりで震動が重く響いた。あわやというところで何とか踏ん張り、転倒には及ばなかった。
遅れて耳に届く硬質な金属音。顔をあげると、今にも泣きそうな顔の冬木が後ろ手に鍵を閉めていた。
「そんなことは絶対に許さない……俺は、貴方と違って、貴方が傷つくことに楽しみなんて見いだせない。お願いです、判を押してください!」
「何度でも言ってやる。押さねえ。チンケなお前に助けられるなんざ御免だ」
冬木の瞳に薄い水膜が張りだし、黒木田の股間にカッと熱が篭った。
冬木がここまで歯向かうのは初めてだ。今までにないほど感情の迫り出す冬木の瞳にもう興奮が隠せない。
もっと見たい。もっと見たい! 冬木のその眼をもっと、もっと!!
「そういや、お前の実家は道場だったよなあ。それも後継ぎでよ」
「あ……」
「潰すか?」
くつくつと喉を鳴らしながら続ける言葉に、冬木の表情から一瞬で血の気が失せていく。
このカードは今の今まで出し渋っていたジョーカーだった。しかし、今使わずしていつ使うというのか。
人間が持ちえる特に強烈な感情。嘆き、悲しみ、そして怒り。冬木のその全てを今、自分が、自分だけが独占している!
「お、お願いします! 母も父も姉も、普通の一般家庭で暮らす身なんです……! 俺を良い学校に入れる為に頑張って、だから」
「しらねえよ」
顔色を変えてその場で土下座を始めた冬木に笑いが込み上げる。
「それこそ、どうでも良いって奴だ。お前の母親も、父親も、姉貴も、どうだって良い。クソみたいなお前のせいで実家の生活は火の車になるだろうなあ? 三人とも恨むだろうぜ? お前なんか産まれて来なきゃ良かったのにってなあ!」
初めて出会った時を思い出した。あの時、次に顔をあげれば有りっ丈の笑顔を浮べていた。だが、それはもう要らない。一度きりで枯れてしまう大輪の花のような笑顔。だから美しい。だから色濃く残る。自分の胸だけに。
――冬木の笑顔は、あれだけで良いのだ。
アスファルトへ擦り付けた頭を容赦なく蹴りあげる。予想した通り、冬木の顔はこの世の絶望を一身に背負ったような色で塗りたくられていた。
「かいちょうも、」
「ん?」
「黒木田会長も、そう思っているんですか……俺が、生まれてこなきゃ良かったと」
そんな訳はない。冬木の存在は自分の幸福そのものだ。冬木と出会う以前の自分は灰色の世界で生きていた。
だが。
「当たり前だろうが。俺にとって、お前は蛆虫以下の存在なんだよ。お望みなら言ってやろうか? お前なんて生まれてこなきゃ良かったのによお!」
黒木田の高笑いが静まり返った室内に響き渡る。
突き抜ける爽快感と高ぶる鼓動に、黒木田は酔いしれた。
冬木と踊る、愛に溢れたワルツ。あの日、桜の下で始まったテンポは最高潮に昇る。
ずっとこうしていたい。冬木と、永遠に。
ぐるりと回った視界に、黒木田は心地よささえ覚えていた。


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