吐かない桜 1


「おいっ、誰だよ黒木田会長を呼んだ奴! 聞いてねえぞ!」
「馬鹿! 行くぞ!」
「てめえ、このままで済むと思ったら大間違いだかんな!!」
お決まりの捨て台詞を吐いて素行の宜しくない生徒達が、その場を後にする。
ぽつねんと置いていかれた黒木田は、きょとりとして首を傾げた。
こっちはたまたま近くを歩いていた通りすがりなのに勝手に勘違いして悪態を寄越すとはこれいかに。
足元には泥と桜吹雪を浴びて襤褸切れのように転がる平凡男。先日、付き添いとして生徒会室に訪れた転校生のクラスメイトだ。
おおかた親衛隊が自由人である転校生への鬱憤を彼にぶつけているのであろう。
あいつらにも困ったもんだ、と黒木田は苦笑気味に片頬を掻いた。
かと言って特に何かアクションを起こす気は無い。あの転校生はすることが突拍子もなく見ていて中々面白いが、金魚のフンである平凡にはとんと興味がない。
苛められようがリンチされようが消されようが黒木田にとって大したことではなかった……はずだった。
「あ、ひがど、ござ……ま、ふ」
無様にひしゃげた平凡顔が黒木田を見て、感謝に頬を歪めた。まさしく歪めたという比喩がぴったりな崩れ具合だった。
まともに顔面ストレートを食らったのだろう、鼻は膨れ上がり鼻血が無遠慮に垂れ流されている。ボコボコに隆起し、アンパンマンを髣髴させる腫れあがった両頬。ところどころ変色した肌に、失敗したアイシャドウのように眼を囲む青タン。
膨張した目蓋の間からは、しどしどと透明な体液が流れ落ちていた。何より欠けた前歯は、より一層、彼の笑顔に悲惨さを与える。
透き渡るほどに爽快な青空。その下で咲き乱れる桜をバックに、醜態をさらす男が黒木田の視界を汚す。
だが、見るに耐えない視界の暴力たる彼が地に頭を擦りつけ、精一杯の感謝を伝えるさまに、黒木田は眼が離せなかった。
込みあがる不可解な高揚感。何故かは分からないが、もっと彼の阿呆面を見ていたかった。


あれからもう1年経つのか……と感慨深く心内で呟く。
燦々と陽の光が降り注ぎ、桜吹雪の舞い散る情景は、生徒会室の窓から眺める黒木田に溢れんばかりの懐古を引きずり出した。
あの時は自分の中の恋心に気付いたばかりで慌てたもんだと口角を吊り上げ、ポケットに手を突っ込む。指先を滑る、ひんやりとした感触。
黒木田はそれを幾つか手の平に乗せて、振り返る。ポケットに突っ込んだ手を抜き、ぞんざいにそれを放り投げた。
「〜〜〜〜〜〜ッッ!!!」
ガムテープの下で声にならない悲痛な叫びが僅かに空気を震わせる。
見開かれた深い鳶色の瞳に黒木田はうっとりと魅入られた。
あの時と同じように、彼は地に足をつけていた。赤い絨毯の敷かれた床で膝まずき、ボクサー一丁で緊縛された彼、冬木。黒木田の想い人。
素肌の上に直接、放られた画鋲の棘で冬木の全身が魚のようにビクビクと脈打つ。
その余りの不恰好さに周りの役員どもがクスクスと笑いを漏らした。彼らにとって冬木は転校生の隣を独り占めする図々しい邪魔者でしかない。
役員の一人が冬木の背中を蹴る。靴底の痕が素肌に赤く浮かび上がった。強い震動が起きたせいで膝の上に散らばった画鋲が踊る。また役員が踏む。画鋲が踊る。エンドレス。
冬木の膝に増えていく赤い水玉に、黒木田の鼓動はますます高ぶってゆく。
恋ではない。愛だ。俺は冬木の惨めな姿を心の底から愛している。
冬木を叩く度に、生唾を呑む。
冬木が泣き叫ぶ度に、心地よさが体中に染み渡る。
冬木の涙に眼を奪われる度に、ときめきで息ができなくなってしまう。
たまらない。何も手につかない。一日中、ずっと冬木のことを考えている。冬木以外のことに興味がない。冬木を傷つけるバリエーションは後どれくらいあるのだろう。
会長権限は素晴らしい。呼びつける理由に事欠かない。防音のなされた生徒会室に冬木を呼び出せれば何でも構わないのだ。その為ならば転校生に惚れているフリでもなんでも、お手の物だった。
「ったくよお……だから言ってんだろ? あいつにベタベタくっつくんじゃねえってよ。これじゃあお前、金魚のフンどころか便器にこびりついて取れない腐った小便だぜ、冬木?」
役員たちがゲラゲラと腹を抱えて大笑いする。
黒木田は外野の馬鹿騒ぎを無視し、冬木の反応だけを追いかけた。
屈辱、悲哀、絶望、虚脱……様々な負の感情が冬木の全身を駆け抜け、混ざり、表情となって開花する。
ぼろぼろと溢れ出す大粒の雫は、桜の花などより遥かに黒木田の心臓を締め上げる。
ああ! 冬木! 好きだ! 俺のモノ! 愛している!!
押し寄せる愛欲と支配欲。胸の奥から広がり指先まで行き渡る熱。余りの充足感に、たまらず淫蕩な息が喉を通り抜ける。
黒木田は今、確かに満たされていた。濡れ爛れた感情を抱き、黒木田は愛を伝えるべく力の限り拳を振りあげる。
窓の外の騒音は、花吹雪の向こう側へと消えていった。


深夜、自室の玄関を開けると、無数のガーゼと包帯に包まれた冬木が立っていた。
どこか所在なさげに視線をさ迷わせた冬木に、黒木田は瞠目し、胸に薄桃色の花を咲かせる。
嬉しい! 冬木が俺の部屋に来てくれるなんて!
一体、何の用だろうとワクワクしながら口角を吊り上げると、冬木の肩がビクリと跳びあがった。
浮べた笑みが、これからどう料理してやろうと算段をつけているように見えて恐怖したのだろう。実際その通りだから何の異存もなかった。
そういえば、冬木は未だかつて直談判をしに来たことがない。こっそり物陰に隠れて観察した友人への振る舞いを見る限り、彼が決して気弱でないことを知っている。
1年も続いた苛めやリンチに、ようやく堪忍袋の尾が切れたのかもしれない。
怯えて無様を呈する姿が素敵な冬木だが、怒髪天のごとく怒る姿も素晴らしく映えるだろう。さあ、冬木はどんな怒り方をするのか。
期待に沸き立つ胸を何とか抑えて「さっさと言わねえと明日、弁慶バットな」と促すと、青褪めた顔をそのままに意を決した様子で冬木が口を開いた。
「や……夜分遅くにすみません、会長。あの、生徒会のリコール騒ぎはお耳に入っているでしょうか」

PREV | NEXT



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -