819の日記念企画


 些か冷えた足を炬燵にねじ込んだにも関わらず、炬燵の中もすっかり冷えており思わず眉を寄せてしまう。僅かに腕を伸ばして、スイッチを押して、次第にぽかぽかと熱を放出する炬燵にやっと背中を丸めた。こういう寒いときは、前だけではなく隣にも暖が欲しいところ。
 まだ10月だぞ、と呆れたような幼馴染の声が脳内を掠めたので首を振って辺りに散りばめる。孤爪は暑いのも寒いのも苦手なのだ。特に今年は秋らしい気候がなかった気がする。夏が終わったかと思ったらすぐに冬が来た。なので、おれが悪いんじゃなくて無かった秋が悪い。内心独り言ちて孤爪はゲーム機の電源を入れた。年を重ねるごとにローディング画面の切り替えが早くなっていたり動きが俊敏になっていく様は昔からゲームを嗜む者としてはありがたく、今日も没頭してしまう。




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 玄関のほうからガチャリと鍵の開閉音が聞こえて、孤爪はやっとゲーム機から顔を上げた。利便性を考慮して、我が家の合鍵を渡しているのは面倒見の良い幼馴染の黒尾と、こちらも面倒見の良い赤葦と、彼女の名前と親。黒尾は現在高校バレーの予選の打ち合わせで福岡に行っているし赤葦もかなり忙しい人なのでこんな時間に訪れることは滅多にない。 たしかに『有給取れたから明日お邪魔するね』とメッセージが送られてきていたはずだ。ゲームを一旦停止させて玄関を見据えれば案の定「お邪魔します」と律儀な声が聞こえ、ぱたぱたと通路を歩く足音が響いた。合鍵で自ら開けて入ってきたというのにしっかりと挨拶をする礼儀の正しさは昔から変わらない。
 そういえば昔も、寒い体育館の扉が開いて「おはようございまーす」と人一倍元気だけどどこか御淑やかでもある声が聴こえ、体感温度が2度ほど上がったなんてこともあった。

「研磨くん、おはよ」
「おはよ」

 もう13時なのに、挨拶が「おはよ」から始まるのも変わっていなくてなんだかほっと息が零れる。

「今日すごく寒いね」
「うん、冬だね」

 姿を見せた名前は沢山食材が入ったビニール袋を冷蔵庫の前に置いて、赤く色づいた掌を懸命に両手で擦り合わせている。寒いと言う割には、薄手のニットにコーデュロイ素材のスカートのみという格好でトレンチコートさえもない。明らかに気温に適していない姿に、ジーっと見詰めていると視線に気づいたのだろう名前が苦く笑った。「こんなに寒いと思わなくて……」もごもごとした、どこか申し訳なさそうな言い訳に今度こそ孤爪はため息を吐いた。

「炬燵電源入ってるよ」
「わー! 嬉しい! 買ってきたもの冷蔵庫に入れたらお邪魔するね」

 相変わらず名前は真面目だ。すっかりと体は冷えてしまっているのに、冷蔵庫を開けて更に冷気に当たるだなんて。おれだったら放置してるのに。内心独り言ちりながらも、放置していたゲーム機を手に取ってセーブモードに切り替える。






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 なにが食べたい? と書かれたメッセージに『なんでもいいよ』と返したのは記憶に新しい。というか昨日だ。『じゃあお鍋にするね』という宣言通り、先程まで数多のゲームソフトがあった炬燵のテーブルの上はガスコンロは勿論、長ネギ、白菜、ニンジンなどの野菜から、牛肉、豚肉、うどん、しいたけ、調味料、食器まで並べられている。先程均等に切りそろえられた野菜はボールの中に積まれており、今は真ん中にセッティングされたガスコンロの上に鍋が置かれ、出汁用の昆布がお湯に沈んでいた。

 相変わらず名前は手際が良い。たしかに高校の合宿時には、率先して厨房に立っていたはずだ。もっと食えとお節介を焼いてくる煩い幼馴染や他校の先輩たちに内緒で、名前がこっそり量を減らしてくれたこともあった。

『黒尾先輩たちには内緒だからね? でもこれだけは食べてね? 午後倒れたら大変だから』

 悪戯っ子みたいな顔を浮かべてこっそりとご飯を減らしてくれた名前を思い出しては、なんだか心がぽかぽかと温まる。まだ鍋食べていないのに。あれから十年は経ったけれど、顔は少しだけ大人っぽくなった名前。残念ながら身長は変わっていない。性格もあまり変わっていない。髪は伸ばしてはばっさり切ってを何度か繰り返しているみたいだが、今は食事中だからか昔の部活みたいにポニーテールをしており、高校時代の面影を漂わせていた。やっぱり変わっていない。

「研磨くん? どうしたの?」

 いつの間に野菜や肉を入れていたのだろうか。菜箸を持っている名前が首を傾げていたのでこちらは首を横に振っておいた。

「あ、もしかして……。牛肉が安くなっていたから勝手にしゃぶしゃぶにしちゃったんだけど、鍋が良かった、とか……?」
「違うよ」
「違ったかー」

 素っ頓狂なことを言う名前に思わずほくそ笑んだ。こういうところも昔のまま。名前はしっかりしているように見えて少しだけズレているところがある。それは天然や阿呆といった類ではなく、時折孤爪と思考が噛み合っていないことがあるというだけのこと。勿論思考を読み取るだなんてゲームのようなチート級のような能力は持っていないだろうし、そもそも孤爪自体が言葉足らずなところがある。それに、少しばかりズレたやり取りさえも孤爪には心地が良いのだからなにも言わない。
 ただ昔、『好きだよ』と伝えた時に、まさか孤爪に告白されるなんて思っていなかった名前が「なんのゲームが? 誕生日プレゼントで買うから教えて?」と素っ頓狂な返答をしてきた時はさすがに目を剥いたけれど。

「研磨マスターにはまだまだなれないね」
「なにそれ。あ、もしかしてクロ?」
「……さすが研磨くん」

 先輩たちには内緒だからね、とこっそりとはいえ反発する割には、その先輩である黒尾の影響を受けやすいところも屡。髪型や行動面においてはあまり真似ていないらしいが(というか髪型を真似するなら全力で止めるけど、)思考においては黒尾を参考にすることは多々ある。名前曰く、『研磨くんのことを一番理解しているのは黒尾先輩だから』
 名前から真っ直ぐ向けられる愛情が擽ったく、目を逸らしたくなるほど眩しかったり時々痛いほど心臓が締め付けられるのだが、それでもやはり心地が良い。いつまでもこのぬるま湯のような温度に浸かっていたいと思う。

「研磨くん、お皿ちょうだい」
「うん。ありがと」
「いえいえ」

 おたまと菜箸を使いながら取り分けてくれる名前の白い手の甲を見て、華奢な肩を見て、頭を見て、長い睫毛を見詰めた。白い手の甲をずっと握っていたいと思う。疲れた時は肩に寄り掛かりたいと思う。頭を撫でて指通りの良い髪の毛を梳かしたいと思う。朝は長い睫毛が開かれるのを見詰めながら起きて、夜は長い睫毛が伏せられるのを眺めながら眠りにつきたいと思う。随分とらしくない。けれど、それでいい。それが良い。

 皿を受け取り、箸を持って、いただきますの前にひとつ。

「名前、ずっと隣にいて」

 言葉を落とせば、きょとんとした顔の名前が「今日? いいよー。まあ元から泊っていく予定だったしね」なんて素っ頓狂な返答をしながら隣に移動してきたので、今度は指輪を用意しようとほくそ笑んだ。

「おれマスターもまだまだだね」
「え!? 本当!? なんか悔しいなあ……」
「そのままでいいよ」
「えー……。あ、そうそう。研磨くん。お誕生日おめでとう」

 うん、隣が温かい。






title:3秒後に死ぬ 様
res:雪見様へ



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