短編集







 部室の掃除をしたい、と闇路監督に申し出た時、私はきっと闘志を抱いていた。

 自分たちが使っている部室くらい自分たちで掃除してほしい、というのはマネージャーたちの総意ではあるものの、実はこれは私たちのためでもある。部員全員が集まるミーティングならば部員の多さから視聴覚室やコンピューター室、どこかの空き教室などと場所は沢山あるのだけれど、レギュラーのみが集まるとなると部室で行うことが多い。とくにこの、雨の多い季節では、外で行っている部活動も中でミーティングをするので、となると自分たちの部室こそが都合が良かった。
 そのミーティングには、大抵マネージャーたちも参加する。毎回3人揃ってという訳ではないけれど、なるべく揃うようにと心がけている。
 私としては別にミーティングに参加することを苦痛とは思わないし、かおりや雪絵もきっとそう思っていると思う。ただ、なにが嫌だって言ったら、あの部室を使用することである。

 一言で云えばとにかく汚い。汗臭いとか、逆に色々な制汗剤の香りが混ざって臭いとか、いかがわしいポスターとかは百歩譲ってまだ耐えられるけれど、汚いのは勘弁願いたいのだ。誰が飲んだのか分からない微妙に中身が残ったペットボトルとか、誰の私物か分からないエロ本とか、脱いだのか未使用なのかも分からない靴下とか、そんなのまだ可愛いほうで、封の開いている湿気っていそうなスナック菓子とかコンビニ弁当のゴミだって落ちているのだから、腹立つことこの上ない。
 そんな場所で座ってミーティングしろだなんて、地獄のようかと思う。男子運動部の部室なんて、きっとどこも似たようなものだろうし、サッカー部のマネージャーをしている友達も頭を抱えていたから、男子バレー部だけが酷いわけでもないだろうけれど。
 それに、きっとこの汚さは毎年受け継がれているもので、私たちの代だけではないことは勿論分かっている。
 去年は3年生もいたし、特になにも出来ずあの汚い部室に座っていたけれど、今年は最上学年になって、ある程度の権力を身に付けた今だからこそ、私たちはあの部室を掃除することが出来る。正直、あいつらに任せておくほど、衛生面に関して信用はしていない。
 あいつら全員が赤葦みたいな性格だったら、きっとこんな悩みはもたないのにと思っている時点で、多分私は相当あの部室に参っていた。

 手伝うよ、と申し出てくれたかおりと雪絵には体育館のことをお願いして、私はというとあいつらが部活に勤しんでいる間に掃除をしてしまおうという魂胆だ。残念ながら、我らが梟谷男子バレー部は休みが少なく、というかほとんど無く、だからこそ貴重な休みを掃除に費やしたくないというのが本音で、そのため部活中を選んだ。勿論監督の許可は得ている。

「やりますか……」

 中学時代に使用していたジャージをわざわざクローゼットから引っ張り出して、マスクをして、髪を縛り、腕を捲ってゴム手袋を装着。聊か、普段の部活よりも気合が入っている気がするが、別に掃除好きというわけではないので、気合を入れなければ終わる気がしなかったから。
 まるで、長年封印されていた開かずの部屋をこじ開ける様な気持ちになる。きっと冒険家もこんな感情を抱いていたはずだと、妙な親近感を抱いてしまったのは言わずもがな。

 幾分力を込めて部室のドアを開けると、案の定という光景が目に入ってきた。扉が開けっ放しのロッカーからはみ出たシャツと、今にも雪崩を起こしそうな私物。あれはきっと木兎のロッカーだ。そして、置かれた机の上にある積み重なったコンビニ弁当、ストローの潰れた紙パックのジュース、床に落ちているエロ本と近くに散乱する切り抜き。バレーボールに野球ボールにバスケットボール、縄跳び、よく分からないゴミと、封の開いていないコンドーム。最低だ。そして、想像以上。
 一応部室を掃除するというのは、昨日の内に部員には伝えているのだから少しは綺麗にしていてくれればいいのに。5000歩くらい譲ってボール(なんで他の球技もあるのか分からないけど)ならまだしも、避妊具って。最低だ。レギュラー漏れなく独り身のくせに。つーか拾っておけよ、そもそもこんなの落とすな。

 これを掃除するのかぁ、と白目を剥いてしまいそうだった。とにかくまずは、木兎。一番汚い木兎周辺なので、そこから取り組むことにする。





          **

 掃除を始めてから約30分が経った頃。事件が起きた。私が触っていないところからかさり、と嫌な音が鳴ったと思ったら、音に合わせてそこにあったプリントが揺れている。地震ではないし、換気のために窓を開けていても生憎の無風。風は吹いていない。

「勘弁して……」

 あいつだ。絶対に、あいつだ。いつからいたのかは知らないけれど、あいつは神出鬼没であり、どこでも湧いて出てくる。とくに今日みたいなジメっとした日こそ。
 自慢ではないけれど、私はあいつと相容れる気がしない。あいつと共存しなければ地球が滅亡すると言われても、地球滅亡を選ぶ自信があるほど。この部室にいないわけがないとは思っていたけれど、よりにもよって今、この1人でいるときに限って。

 こういうのは目を逸らしてはいけない。いや、見たくないけれども! 見たくないけど、場所を把握しておかなければいけない。姿を見失ったら最後だ。そしてあいつは仲間を呼ぶ。増殖する。そんなの、勘弁願いたい。
 この部室を掃除し、快適な部室ライフを送るためにはこの部屋からあいつを駆逐しなければいけないので、逃げるわけにもいかなかった。でも、待って。本当に待って。
 見るのも嫌、潰すのも無理、触るのなんて以ての外。がさがさと相変わらず嫌な音を鳴らすあいつにぞわりと背中の産毛が粟立った時だった。ガチャリと開いたドア。突然の物音にひぃっと肩を揺らした傍らで、開いた扉からは木葉と赤葦が顔を覗かせた。

「お、さっきよりも綺麗になってる」
「ありがとうございます。長めの休憩に入ったので手伝いに来ました」
「私初めて木葉の存在意義を感じたよ」
「あれ? 今俺ディスられた?」

 我らが頼られる赤葦は勿論、木葉だって今の私からすればありがとうと言いたい重要人物だ。この空間に私とあいつ以外の物音がするということに、これ以上ない安心感が芽生えた。とりあえず、私は赤葦の背中に隠れることにする。

「どうしました?」

 ゴム手袋を脱いで赤葦のTシャツを掴んだ私を、首を斜め後ろに向けて見つめる姿は可愛い後輩のそれなのだが、今の私にはその姿に悶えている余裕はなかった。多分まだそこにいるであろう1点を指さして、指同様震えた声で答え合わせをする。

「あのね、あそこに、あいつがいる……」
「……木葉さん、俺たちここから出るんであとは頼みましたよ」
「おい!」

 さすが賢い赤葦。再度背中に隠れた私を匿うように引き寄せると、そのまま扉へと逃げようとしてくれる。赤葦があいつに苦手意識を持つところに意外性を感じたけれど、私としても早くこの部室から出て行きたいので、大人しく赤葦に身を任せた。なんてできた後輩なのだろう。
 しかし、それを良しとしないのが木葉である。赤葦の腕をがしりと掴むと、細い双眸を幾分瞠目させ、首を横に振った。ちょっと、木葉。
 
「お前がやれよ!」
「絶対に嫌ですよ」
「お前のキャラ的に真顔で掴みそうな感じじゃん! 一丁前に苦手意識を持ってるんじゃねぇ!」
「騒がしいのも飛び掛かってくるのもすばしっこいのも木兎さんだけで十分です。離してください」
「そもそも名字が掃除していたんだから頑張れよ」
「はぁ? 木葉サイテー!」
「木葉さん最低ですね」
「お前まで言うな! たしかに今のは俺も言った後に最低だなって自分で思ったけど!」

 ダメだ。ここにいる3人もれなく皆あいつが無理な人たちだ。しかも絶対触りたくないという硬い意思を感じる。

「別に私は良いんだよ? ここの部室使うのはミーティングだけだし、日はまだあるし。でも今日の部活終わりに使うのは木葉たちなんだからね!」
「それなんだよ……」

 頭を抱えた木葉がぐぅっと喉を鳴らす。赤葦も、私を抱き寄せたまま動こうとはしない。私たち別にそういう関係ではないけれど、可愛い後輩なので許してしまう。顔が良い、性格が良い、そして可愛いって得をしているなぁってつくづく思うよ。

「名字さんも木葉さんも、一旦ここは部室から出ませんか。まだ休憩中ですし、あいつに強い人を連れてきた方が良いかと」
「たしかに……」
 
 さすが賢い赤葦。とりあえず今は救済を。ということで、ドアノブを捻ろうとした時。

「俺が来たー!」

 勢いよく開いた扉。そこには屈強なる胸筋を膨らませて、えっへんと肩を張る主将、木兎の姿があった。俺が来たーって別に呼んではないけれど、来たってことはあいつに呼ばれたのかな。あいつと通信ができる主将とか嫌なので、縁を切りたいレベルだけれど。今は頼りがいがありすぎて、ありがとうと拝んだ。

「いやぁ、監督にな? お前が一番汚している原因なんだから名字のこと手伝いに行けって駆り出されてさぁ」
「全くその通りですね」
「あいつが出た原因のほとんどがお前だろ」

 2人から責められてご自慢の髪がしょぼーんと垂れているが、2人の意見には概ね同意なので、頷くことしかできない。

「でな? 俺実は昔からゴキ……あ、Gだけはマジで無理で、やべぇってなって来た!」
「は、」

 しょぼくれていたかと思えば、唐突に胸を張るという感情のジェットコースターは一旦置いといて、私と木葉と赤葦の顔がメデューサの魔法にかかった人間の如くがちんと固まった。だって、そんな、聞いてない……。

「いや! お前のキャラ的に大丈夫なやつだろ! 森へお帰りとか言って素手で掴めるくらいのわんぱく加減は何処へ行った!」
「いや、マジで無理。昔カブトムシかと思って飼ったらGで、なんか知らねぇうちに増えててそこからトラウマになった! あいつと数学は無理! あ、英語も無理!」
「役立たねぇ!」
「木葉も人のこと言えないじゃん!」
「え? もしかしてあいついんの!? 赤葦助けて!」

 まさかあの木兎まで苦手だと思わないじゃんか。しかもあいつの存在に気づいてしまったわけで、あの巨体を丸めて赤葦の後ろに隠れてしまった。ぶるぶると震える姿に、木葉が需要がないと頭を抱える。

「そもそも木兎さんが食べ残したものとか、散らかしてるものとかが原因なんですよ。責任もって木兎さんがどうにかしてください」
「やだー!!」

 駄々を捏ねる木兎ほど使えないものはない。こういう時の頑固さは人一倍なので、絶対動こうとはしないはずだ。しかし、ここは赤葦が言う通り、木兎が主な戦犯なので頑張ってもらうしかない。

「木兎は私たちの大エースだから、あいつにだって勝てちゃうよね。だって最強だし、私たちをいつも勝利に導いてくれるし、だから頼むよ木兎」
「えっ、」
「そうですね。木兎さんは最強です」
「よ! エース!」
「そう? そうなの? 俺あいつに勝てちゃうの?」

 背中を押された木兎は瞳を煌々とさせ、赤葦の背中から顔を上げた。本当に単細胞で良かった。試合中は困るけれど、こういう時は助かるって思うが木兎マジック。

「お願いします。俺たちの木兎さん」

 赤葦の一言が決め手となったようで、鼻息を荒くした木兎があいつに歩み寄る。移動していなければ、あいつはまだあそこにいるはずだ。ティッシュも雑誌も持たないことに一言投じたいけれど、今木兎に水を差すのは控えたい。あ、でも潰すのはやめてね。見たくないから。

「うわっ! 紙がガサってなった!」
「そこ! そこにいる!」

 期待を裏切らないあいつに喜んでいいのか発狂して良いのか分からないけれど、木兎がどうにかしてくれるのならば、それに期待するまで。赤葦のTシャツをぎゅうっと握りながら見送る。

 そして、木兎がその紙を捲ろうとした時だった。

「うわぁ! 飛んだぁ!」
「ぎゃぁっ!」

 あいつが黒光りな姿を曝け出したと思えば、そのまま羽を広げこちらへと飛んできた。そう、あいつは飛ぶから嫌なのだ。いや、止まっていても無理だけど。
 木葉と木兎が仲良く抱き合いながら(というよりも逃げてきた木兎が木葉にしがみついて)こちらへと押し寄せてきて、私を庇おうとてくれた赤葦に2人がぶつかり、パワーゴリラプラス木葉に押された赤葦がさすがに耐えられず崩れ落ちて、結果的に4人仲良くもみくちゃになったところで、再度開く扉。

「休憩終わるよ〜」
 
 顔を覗かせたのは猿杙と小見。「お前らなにやってんの」「もしかしてお取込み中? 掃除しているフリして4ぴ」「ちょっと小見黙って」よからぬ誤解を生みそうなのを制して、事情を説明すれば、小見は顔を青くしてさっさと部室から出て行ってしまった。お前もか。

 ただそこで、思いもよらない事が発生するなんて。残った猿杙は部室内を一瞥し、あぁあそこねと壁にいるあいつをなんと手掴みにし、そのまま窓から外へと投げた。勿論私たちは唖然とすることしかできず、後日部員全員で大根おろしを献上することになるなんて。




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