短編集







 こぞって降りる人の波に身を任せながら共に降り、そのまま階段を上る。さすが世界一利用客の多い新宿駅ということで、帰宅ラッシュの波が押し寄せ人々が犇めき合っていた。世界一利用客が多いと言うのは駅関係者からすれば誇らしいことなのかもしれないけれど、正直音駒から西武池袋線と山手線を利用してこちらへ向かう私としては、もう少し人がバラけてもいいのではないかと思う。
 それか今度からはどうせ山手線に乗るのだからそのまま梟谷駅へと向かった方が良い気がして、今日提案してみようと思う。閑話休題。

 改札口を出て左、指定された集合場所である電光の広告に体を預けて流れる人を見据える。金曜日の19時半ということでスーツが僅かに草臥れたサラリーマンや、これから繁華街にでも行くのだろうか小洒落たジャケットを粧し込むOLさんたちが楽しそうに歩いていく。皆それぞれの表情を浮かべているのだが、きっと私はこの世界一の利用客を誇る新宿駅内で1番浮かれているはずだ。
 無意識に上がる口元は今日一日中指摘され苦々しく笑われてしまうほど。今だって正直隠せる気がしない。だからこそ満員に近い車内だって我慢できたのだ。
まるで遠足の日を待つ小学生のように、まるで夏休みまでを数える中学生のように、まるでバイトの給料日までを数える高校生のように。この数日間この日を待ち望んでいた。指折りで数えたほどだ。
 指摘してきた友人だって「まぁ今日は仕方ないね」と呆れていたほど。1分1秒がすごく長く感じるのだけれど、その待ち時間でさえ愛おしく感じてしまうのだから今の私は最強だ。
 いつもより重い鞄が愛おしい。10分も悩んで選んだ下着が頼もしい。緩む口元だって隠す気がない。ただ訝しげに見てくるOLさんと目が合ってなんとなく気まずくなって、寒い顔を隠すようにマフラーに埋めたのだけれど。

『新宿駅着いたよ』

 ポケットの中で振動したバイブ音に体を弾ませ、表示された通知を急いでスライドしてアプリを覗けば私の心臓は破裂しそうなほど高鳴った。

『改札前にいらよ』

 何だかぶっきらぼうになってしまった気がしたのは緊張からか。誤字は間違いなく緊張からだ。落ち着け、と心の中で唱えて、お詫びにスタンプをひとつ。ガラケーにはなかった重宝してやまないインカメにして前髪を整える。歯紅とパンダ目もチェックして、「名前」顔を上げる。

 お待たせ、と僅かに荒ぶった呼吸に紛れた愛おしい声。走ってきてくれたのか1度だけ肩を上下へと揺らすとそのまま大きな手で頭を撫でてくれた。温もりが今日も愛おしいのだ。

「待たせてごめんね」
「ううん、お疲れ様」
「ありがとう、じゃあ行こうか」

 慣れた動作でそのまま私の手を取った京治くんに釣られるように1歩足を踏み出す。「あ、待って」

「ん?」

 先に言わせて、と拝めば京治くんは優しい双眸で私を待ってくれた。

「京治くん、お誕生日おめでとう」
「ありがとう。誕生日に名前とお泊まりができて嬉しい」

 そして目尻をくしゃりと細めて笑ってくれる京治くんが今日も大好きだ。明日は私も京治くんも朝から学校で部活だけれど、だからこそ、1分1秒を愛すのだ。


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