あなたが好きです

05. Old Fashioned






 あれからと言うと、名前さんは警察に行き、そのまま会社に全て話した。『私は社員だし、あちらは大事なお得意様だからきっと私が辞めさせられちゃいますね』と柳眉を垂らしていた名前さんの懸念は杞憂に過ぎなく、先に警察に行ったことが良かったのか、名前さんには特に何も無く、その代わり相手の社長がすっ飛んで来ては土下座をしたのだと言う。
 あの男はクビにしたし今後名前さんとも接触させないから、と条件を元にお取引は続くんだとか。正直名前さんの会社も相手との取引が無くなると困るので、これが結果的に一番良かったのだと名前さんが話してくれた。
 全てが落ち着き、お礼も兼ねてと名前さんが食事に誘ってくれて、そこで改めてきちんと告白をした。それから晴れて名前さんと恋人同士になったわけで。付き合ってから早くも2週間、順調すぎるほどだ。順調すぎて、ちょっとヤバい。

「なーに浮かない顔してんだよ」
「……生まれつきです」

 順調だし幸せだが、黒尾さんに指摘されるほどには実はとある問題を抱えている。この人はあまりにも勘が鋭いくせに、孤爪のように放っておいてくれるという優しさがないから厄介だ。ある種、それはお節介であり黒尾さんなりの優しさでもあるし、黒尾さんの言うことは正しいことが多くて無下にはできないものの、今は詮索はされたくない。

「ここ最近ずっとそんな顔してんだろ。仕事中はいつも通り完璧だけど。そのギャップがお好きなお姫サマからしたら堪らないだろうねぇ」
「……」
「睨むな睨むな」

 この職業柄、仕事中に私情を挟むことはしないので……否、しないからこそ休憩中や終わったあとの脳内に襲ってくる疲労感が凄い。今脳内を占領している事柄に、俺は酷く脅えている。
 名前さんと付き合って2週間、俺はホストだということを彼女に言えていなかった。彼女の中で俺はとある会社の営業マンで通っていて、夜に仕事が多いのは夜勤があると適当に口をついてしまったわけで。彼女が『大変ですね』と信じてくれる純粋さを持ち合わせているおかげで、今まで特に詮索もされなかった。そして特に学歴も気にされず、出身高校や大学の話にもならなかったので、今のところバレてもいない。ただ、このまま嘘をつき続けるのはさすがに厳しいものがある。

 ただ、この嘘を事実にしてしまうことは可能だ。俺がホストを辞めればいい。彼女のためにホストをやめるのは容易い。実際、名前さんがやめて欲しいと願ったらいつだって辞められる。
 しかし、辞めたあと就職活動をしなければいけない。ではなんて言って仕事をやめたと報告するか、就職活動中に名前さんにバレないなんて保証はなく、むしろバレる気がしてならないのだ。
 何より、事業主ということで明日辞めます1ヶ月後やめますは許されない。最低でも半年後、となると半年間彼女を騙すことになる。
 嘘をついていたことを謝って、本当のことを話すのが一番の安全策であることは重々承知だが、男に対して傷ついたばかりの名前さんを裏切ることはしたくなかった。

 はぁ……と吐いた息は酷く重たい。

「おいおい、まじで悩んでるのかよ」

 ニマニマと口許を緩ませてタバコを吸っていた黒尾さんが、ニヤけた口を戻すくらいには、俺は今酷い顔をしているのだろう。

「……俺、ホストやめようと思います」
「は? まじ? 本命の女でもできた?」
「……」
「図星かよ!」

 何だこの人、鋭すぎる。
 たしかにホストが辞める理由の一番は女関係だ。他のホストのお客サマに手を出したとか、他の店のホストの彼女に手を出したとか、お客サマを孕ませたとか、そういう。俺のように本命ができたとか本命にバレたとかもよくある話。稀に、実家の母親が倒れて〜なんて言う奴もいるけれど、本当かどうかは分からない。
 だからと言って普通当てるか? 話さなければよかったと思ってももう遅い。目敏さ一級品の黒尾さんには勝てない。

「違いますよ」
「ふうん」

 あとから取ってつけたようなお粗末な否定も、この人には通用せず、黒尾さんはまた口元を緩めた。このままではボロが出ると、なんとか話を逸らそうと辺りを見渡すが、犠牲になってくれそうなものは特になさそうだ。というかなんでこの人いるんだろう。何かと忙しい人なので、この時間にバックルームにいるのが珍しい。

「黒尾さん指名入ってないんすか?」
「あー、俺これから妹来るから開けてんだよ」
「妹? いたんですね」
「おう。超可愛いぞ? 赤葦こそ指名入ってないの珍しいな」
「まぁ、月曜日なので」
「それもそうだな」

 週明けの月曜日は基本的に穏やかな時間が続く。しかも今日みたいな雨が降っている日は特に。他のホストも暇を持て余していて、それぞれの時間を過ごしている。「ゲッ」それは木兎さんも同じようで目が合った瞬間こちらへと駆け寄ってきた。今まで孤爪に絡んでいたくせに。まぁ、孤爪に返したところでやっと開放されたみたいな顔をしている孤爪に睨まれそうなので預かっておくけれど。

「お前らなんの話ししてんの!?」
「俺の妹が超可愛いって話」
「あー、たしかに黒尾の妹すっげぇ可愛いよな!」

 木兎さんも黒尾さんの妹さんを見たことがあるらしい。木兎さんが手放しで褒めているくらいなので、多分普通に可愛いんだと思う。本当に黒尾さんの妹なのか?

「え、なになに? クロちゃん妹いるのー?」
「そう! 黒尾に似てねえくらい良い子でさぁ。双子だっけ?」
「なんでお前が答えんだよ! 双子の妹な。その妹が今日ここに来るんだよ」
「来んの!?」
「見たい!」

 盛り上がる木兎さんと及川さんを筆頭に、皆ぞろぞろと集まってくる。本当に暇みたいだ。

 黒尾さんと木兎さんが可愛い可愛いという妹さんは気になるが、俺としては名前さん以上に可愛い人なんてこの世にいないと思っているのであまり興味はない。強いていえば、黒尾さんの双子の妹ということで、どんな顔なのかは気になる。黒尾さんと双子の……妹……本当に可愛いのか……?

「お、今お前なんか失礼なこと考えただろ? 主に俺に対して」
「考えてませんよ、別に」
「怪しいな……。よし分かった。今日、ヘルプ頼むわ。どうせお前、自分のお姫サマが来るまで暇だろ?」
「はあ?」

 だからなんでバレるんだろ。この人は心の中でも覗く能力でも持ってるのか? と馬鹿げたことを考えてしまう。こういう身内の客に対してのヘルプは育成も兼ねてホストになったばかりの灰羽や日向にさせた方がいいはずなのに、なんで俺なんだ。

「まあ、黒尾の双子の妹が可愛いって言われても信じられねえよな」
「おい」
「でも赤葦」

 黒尾の妹はまじで可愛いぞ?
 木兎さんが双眸を煌々とさせて言った。どうして俺にヘルプをさせたいのか分からないけれど、どうせそこまで深い意味はなくて妹可愛い自慢をしたいだけなのだろう。

「……分かりました」
「よし! まじで可愛いから! 世界一だから!」

 実際に暇なのは変わりないし、今は仕事をしていた方がネガティブな感情が無くなる気がして重たい腰を上げた。この人たちは頷くまで離さないこともわかっていた。ただ、世界一可愛いのは名前さんだからそこは否定したいところだけれど、詮索されるのはごめんなのでこれ以上は言わない。

「ちなみに妹さんのお名前はなんて言うんですか?」
「あ、そうだな。黒尾――」
「黒尾さん、ご指名入りました。黒尾ですって言ってたんですが、お姉さんか妹さんですか?」
「お、来たな。そうそう、俺の妹。可愛いだろ?」

 ボーイの西谷(ホストよりも男前というのが定評である)がひょこっと顔を出す。

「すっげえ可愛いっすね! あ、あと外めっちゃ降ってきました。雷も鳴ってるかも」

 西谷まで褒めるのかとも思ったけれど、西谷は元より女性のことはかなり褒める。
 店内へと行ってしまった黒尾さんは、通りすがりに西谷に「赤葦ヘルプに着くから」と伝えていた。結局妹さんの名前を聞きそびれてしまったが、まぁどうせ席に着いて自己紹介はするのだ。
 俺も立ち上がり黒尾さんの後を追うように店内へと出る。

 その時、近くで大きな雷が鳴った。雨が強くなる。











▽Old Fashioned(オールドファッション)
カクテル言葉:我が道をいく