赤葦くんと幼馴染ちゃんの結婚式


12月5日07時40分
 耳元で軽やかな音楽を鳴らすスマートフォンを止めて、今一度ぎゅうっと目を瞑る。そしてゆっくりと開いた先、冬の朝特有の寒気が足の親指を掠った。今日は一段と寒い。足を温めるべく布団の先を足の親指で引いて、踵を何度か行き来させる。本当に寒い。さすが12月。
 暖を求めるべく、隣で未だにすやすやと眠る名前の背中を抱き寄せて、指先に触れた髪の毛を梳かした。
 それでもなお、名前が起きる気配はない。昨晩、「明日は7時に起きるからね」と息巻いていたのは誰だったか。とはいえ、この状態も赤葦にとっては想定内である。彼女は昔から良く寝る子だから。

 いつもならばこのまま寝かせてあげたいところだが、今日は名前と赤葦がずっと前から楽しみにしていた特別な日だ。挙式は午後からとはいえ、それまでにお支度やリハーサルなどやることが沢山ある。事前の打ち合わせや前撮り時に、介添人や担当の美容師から告げられていた準備の開始時間は午前9時30分であるため、起きて身支度をして結婚式会場としているホテルへと向かわなければいけない。

「名前、遅れるよ」
「んー、まだだいじょうぶ」
「本当に?」
「んー」

 夢うつつな名前は、赤葦が着ているスウェットに鼻先をくっつけて再度目を閉じた。これはよく名前が赤葦にする、起きたくないという訴えの仕草であり、大抵このまま2度寝をしてしまう。
 特に女性は男性よりも準備に時間がかかる。いくら、すっぴんで良いためいつもよりも準備に時間がかからない(名前曰く)とはいえ、遅刻はさすがにいただけない。時間を見誤って名前が慌てふためくところは容易に想像できる。すんなりと起きられるように、昨日は色々な欲を抑え込み2人で早寝をしたというのに。

「けーじ、もうちょっと……」
「遅れても知らないよ」
「京治ともう少し、一緒に寝てたい……」
「……あー、もう」

 しかし、こうも甘えらえてしまえば赤葦に成すすべはなかった。何歳になっても赤葦は名前に特別甘い。ぎゅうっと抱き着いてきた、赤葦よりもずっと小さな体に腕を回した。この家を出るのが8時30分だとして、名前のいつもの準備時間から化粧をし髪を整える時間を引いたとして、ならば、起きる時間は――。
 すっかりと二度寝をしてしまった名前に釣られるように、まどろみの中に引き込まれそうな頭をなんとか動かして、再度スマートフォンに手を伸ばす。設定した時間は本当に起きなければいけない時間だ。理想はこの時間よりも早く起きることだと思いながらも、ゆっくりと双眸を閉じる。

















          **

「京治! やばい! 時間ない!」

 わたわたと泡を食いながらクローゼットにかけていたワンピースを着ている名前を横目に、赤葦は朝食を作っていた。「だから時間ないよと言ったのに」という言葉は、フライパンの上で焼かれていく目玉焼きの音に消えていく。
 目玉焼きが良い色と固さになったことを確認し、IHのボタンを押した。あとは後ろのトースターで焼いているパンが焼けたら朝食の準備は終了。いつもよりも簡単な朝食ではあるが、時間がない2人には都合が良い。それに、ドレスのウエストを気にして最近ダイエットしていた名前が、小食気味になっていることも相俟ってこれくらいが丁度良かった。

 タイミングよくトースターから耳の部分を出したパンを皿に載せて、麦茶をコップに注ぐ。そのままテーブルへと運ぶとちょうどワンピースの背中のファスナーを上げ終わった名前が、洗面所へと駆け抜けていったので、その背中に声をかけてみる。

「歯磨きするならご飯のあとの方が良いと思うよ」
「たしかに!」

 案の定、歯ブラシを片手に持っていた(というかもう歯磨き粉をつけていた)名前は、歯磨き粉が落ちないように洗面所用のコップに丁寧に置くとテーブルへと踵を返した。美味しそうな香りが漂っていて頬が緩む。

「いつもよりも急いで食べてね」
「はーい」
「でもしっかり噛むこと」
「うん!」
「あ、でも喉に詰まったら大変だからやっぱりゆっくり食べて」

 名前の口から零れた笑声に、赤葦も釣られて笑みを零した。まだ歯も磨いていないし顔も洗っていない。言うまでもなく時間がない。けれど、朝はふたり揃ってしっかりと食べたいのだ。

 お気に入りのワンピースを着て、大好きな京治と一緒に京治が作ってくれたご飯を食べる朝。12月5日、午前7時40分。



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