赤葦くんと幼馴染ちゃんの結婚式


8月19日23時30分
 木葉秋紀は、スマートフォンを片手にボールペンを走らせていた。いつまでも触っていたいと感じるほどの肌触りが良い封筒に入っていたハガキに、必要事項を記載していく。この紙に触れた回数こそ決して多くはないが、初めてというわけでもない。ただ、何も見ずに書けるかと訊かれたらはっきりと頷けないのも事実である。

――結婚式の招待状 返事の書き方

 表示された沢山の選択肢から、一番上の項目を選んでタップをする。画面上で伸び悩む棒は電波の悪さを現していた。いい加減我が家のネット環境を整えなければいけない。やるべきリストにそれも追加して、漸く表示された文章と画像を目で追った刹那、画面が突然切り替わった。ヴー、と掌で揺れるスマートフォンと『木兎光太郎』の文字に、木葉は顔を顰めた。
 ちらりと横目で見据えた時刻は深夜11時半である。こんな時間に、と白目を剥いてしまいそうなところをグッと堪えて、木葉はそのまま画面を放置した。ただいま電話に出ることが出来ません。なんて言ったってこの携帯の持ち主は寝ているのです――。と心の中でアナウンスをしてみる。
 30秒揺れたあと、ようやく切れたスマートフォンは、かけてきた相手の諦観を漂わせていた。そして、再度表示されたのは招待状の返事の書き方講座である。さて、とボールペンを再度握ったところで、今度は短い振動が掌を揺らした。


『起きてんの知ってんだからな!』

 文章からも滲み出る騒々しさ、五月雨式に送られてきたのは『俺だって書き方わかんねーよ! 助けて木葉!』という懇願と、木葉が先程呟いたSNSのスクリーンショットである。『結婚式の招待状の返事って書き方忘れるよな(笑)』投稿は3分前。はい、俺の完敗です。

 またもや長く揺れたスマートフォンに、白旗を揚げながら通話マークをタップする。












          **


 木兎光太郎は、スマートフォンを片手に唖然としていた。


 来年に延期されたオリンピックへの代表選手として出場権を得た木兎は、先々週より日本代表の監督から東京に収集されており、今しがた母親の手料理を腹いっぱいに食べたところである。実家を出て大阪に住むようになって幾年が経ってもなお、自身の部屋はそのままの状態で、有難みを感じながら部屋へと戻ろうとした矢先、姉の驚愕した声が木兎を引き留めた。

「ちょ、光太郎! 赤葦くん結婚するの!?」
「まじ!?」

 振り向いた先には、積み重なった手紙の山から肌触りの良さそうな封筒を抜いた姉が立っており「ほら!」と差し出してくる。真珠の如く真っ白い封筒と、たしかにしっかりと書かれた『赤葦京治 名字名前』という名前。

「うわー! まじだ!」
「ええ! おめでたい!!」

 はしゃぐ姉弟を微笑ましそうに眺めた母親は、洗い物をして濡れていた手を拭いて、エプロンを脱ぎながら2人の元へと歩み寄る。赤葦といえば、その名は木兎家の中で何度も飛び交い、優秀さと面倒見の良さから、姉と母親は勿論、この場にいないもう一人の姉と父親からも絶賛可愛がられている木兎の後輩である。その赤葦が結婚するというのだから、木兎家の本日のトップニュースを堂々と飾る。

 姉から手紙を受け取った木兎は、破いてしまわないように慎重に封を開けた。入っていた1枚目の紙は、拝啓から始まり、季節の挨拶と招待の言葉が綴られている。ちなみに木兎は、その様式美を読んでいない。大事なのは下に記載されている式場と日時だと思っている。
 スケジュールは頭にないけれど、1日くらいならばどうにかできるだろうと踏んで、返信をするべくスマートフォンを手に取った。返事は一択、台風が来たって槍が降ったって雪が降ったって絶対参加!

 ロック画面を解除し、慣れた手つきで画面をタップしたところで、ふと木兎の指が止まり、次第にうーんと眉間が寄った。5秒前まで鼻歌を奏でていた弟が突然唸りだす。怒涛の変化に、姉は首を傾げた。なにか用事でもあったの?

「返事って電話が良いかな? それともメール?」

 時刻は深夜の23時を回った頃だ。この時間に赤葦の携帯を鳴らしていいものなのか。

「はあ? 返事ってもしかしてその招待状の返事をしようとしてるの?」

 変わらず顔を顰めながらそんなことを訊いてきた弟に、姉は訝し気に見据えてため息を吐いた。結婚式に参加するのは初めてではないだろうに、そのような初歩的なことで躓いてどうするのだ。

「結婚式の招待状の返事には書き方があるの。なんのために返信用ハガキが入っていると思ってんの」
「まじ?」

 たしかに封筒にはもう1枚ハガキが入っている。片面に書かれた住所は、赤葦とあの元幼馴染が一緒に住んでいる住所とそれぞれの名前が書かれており、片面には参加の有無の選択肢が設けられていた。『御出席』に丸をつけるのは想像でき、ボールペンを探すべくきょろきょろと首を動かした。

「ちなみに、丸付けて終わりじゃないからね」
「え、どういうこと」
「ネット見て書きなよ〜。まあ赤葦くんなら許してくれそうだけど」
「え、ちょ、姉ちゃん待って! 書き方教えて!」
「私これから彼氏と電話するから無理」
「え〜! 母さんは!? って、いねえ!」

 無情にも階段を上る足音が響く中で、木兎はスマートフォンを片手に唖然とするしかなかった。返信ひとつにもマナーがあるというこの結婚式の招待状。分からないことがあるならば赤葦に頼りたいところではあるものの、この手紙の差出人が赤葦なのでむやみに訊くこともできない。こうなれば元チームメイトか現在のチームメイトか。

「あ、木葉起きてる!」




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