赤葦くんと幼馴染ちゃん
「あ、お疲れ様です」

 そう、労いの言葉が聞こえて思わず振り向く。案の定そこにいた少女に顔が緩んだ。にこにこと愛らしい笑みを浮かべたこの子は勿論顔見知りだ。
 彼女は同じクラスの名字名前さん。クラスメイトなのにどうして敬語なのかと、本当に俺に声を掛けてくれたのかが分からなくて、人差し指で『俺?』と自身の顎をさせば、指通りの良さそうな髪の毛がふわりと揺れ、小さな顔がこくりと頷く。
 訊いておいてなんだが、周りには俺と名字さん以外いないし、だからこそ少し不思議そうにきょとんとした顔が申し訳なかった。そして、声を掛けてくれたのが俺でよかったと思う。
 けれど、彼女がこんな場所で待っている理由が俺じゃないことはよく分かっていたので「赤葦?」と訊けば、再度こくんっと頷いた。なんかこの感じデジャヴだ。

「赤葦は先輩に捕まってるよ」
「そっかぁ。あ、もしかしてぼくとさん?」
「そう、木兎さん」

 彼女の口からすぐに木兎さんの名前が出たこと、「じゃあもう少しかかるね」と言いながらもどこか楽しそうなところを見ると“木兎さんに捕まる赤葦”を待つのは彼女にとって日常なのかもしれない。

 続々とミーティング室と化していた部室から出て行く男子バレー部の波を横目で確認しながらも、しっかりと俺へと顔を向けてくれるところは好感しかない。

「隣座ってもいい?」
「もちろん! もしかして一緒に待ってくれるの?」
「うん。名字さんが良ければ」
「ありがとう!」

 ほんの少しだけ欲を持って隣に座れば、彼女はとびきりの笑顔をくれた。涼しい顔をして彼女に関することは嫉妬深い、割には幼馴染だと言い張る赤葦がすっ飛んで来るところを想像するのは容易い。
 そういえば、たしかあの日も彼女はこうして赤葦を待っていたはずだ。それこそ今日みたいなミーティングのみの日、渡り廊下のベンチで真新しい制服を着た名字さんと初めて話した日。








▲▽



 それは入学してから1ヶ月経った日の事だった。
 2週間ほど前に正式にバレー部に入部届けを提出した俺は、晴れて強豪梟谷バレー部の一員となり、中学よりも圧倒的に内容が濃いメニューをこなしていた。とはいえ、レギュラーの先輩方の練習メニュー量は、俺たちの倍だったので感服である。
 そんな新入生たちの中で、期待の新星と(主に木兎さんから)注目されていたのが隣のクラスの赤葦だった。あの杜中出身の赤葦は推薦入学らしく、自己紹介でセッターですと名乗ったその日から次期エースである木兎さんに捕まったらしい。次のインターハイ予選でも、ユニフォームを貰えるのではないかと密かに噂されているホープだ。
 既にレギュラーたちと同じ練習メニューをこなし、しかも木兎さんと居残り練習までするほど。けれど、天狗になるどころか1年が担う掃除では人一倍働いているし、人一倍練習をする努力家であり、先輩だけではなく同輩への礼儀も重んじている、中々のストイック具合。女子の言葉を借りればスパダリというやつだった。赤葦を妬む奴はいても嫌う人はいなかったと思う。
 実際俺も、赤葦のことはすげえ良い奴だと思っていたし。赤葦自身普通に仲良くしてくれたし。入学して早々行われるテスト前に勉強を教えてくれたし。

 そんな赤葦だからこそ、まあモテる。かなりモテる。整ったルックスだけではなく、落ち着いた性格に、勉強と運動のどちらもできるという、漫画の世界かよと思わず言いたくなるスペックを持った赤葦なので、女子たちがほっとく訳がなかった。入学してから1ヶ月、その間に何度告白をされていたのか分からない。

 しかし、赤葦はその告白を全て断っていた。どんなに可愛い子から告白をされても、決まって「幼馴染がいるから」と断るのだと言う。好きな人でもなく、彼女でもなく、幼馴染。幼馴染って……なに?
 疑問を持ったのは俺だけじゃなかった。告白を断られた子を筆頭に、1年の中では『赤葦京治には幼馴染がいる』という噂が密かに流れていた。
 そんな幼馴染を存在を知ったのが、その日だったのだ。



「あの……男バレの方ですか……?」

 練習がミーティングのみになり、あまり使用したことが無い部室を出て、渡り廊下を歩いていた時、なんだかたどたどしい声が辺りに浸潤した。声を辿って振り向けば、ベンチから立ち、制服のブレザーの裾を握って不安そうに俺を見上げる2組の名字さん。クラスは違うし話したことさえもなかったけれど、彼女は1年男子の中ではそこそこ有名だったので、彼女のことはすぐにわかった。可愛らしい顔は入学したてで浮き足立った男子たちがお近付きになりたいであろう女子の1人で、そんな名字さんが声を掛けてきたのだから、周りの1年は浮かれていたはずだ。
 もちろんそれは俺もで、高すぎることも低すぎることもない優しい声にざわりと心臓が粟立った。

 どこか様子を伺う名字さんに、「そ、そうだけど……」と尻すぼみななんとも情けない返事しか出来なかった俺たちだが、名字さんはそれでも嬉しそうにぱぁっと顔色を明るくさせた。花が咲いたような笑顔だった。
 再三言うが、1年男子の中でちょっとしたマドンナと化している名字さんに話しかけられて、俺たちはかなり浮かれていたと思う。告白か? え? 俺に? 俺だろ、なんて目配せで会話をしてしまうほど。しかし現実はそう甘くない。

「けい……あ、えっと、赤葦くん、も終わりました?」
「へ? 赤葦?」

 あ、これ目的は赤葦だ。いつもの告白パターンだ。きっと1年の俺たちが歩いていたから赤葦も来るだろうと踏んだのだろう。
 赤葦が練習終わりに告白されるなんてよくある話で、俺を含めた周りの1年は彼女の小ぶりの唇から発せられた名詞に落胆するが、同時に彼女に対して同情が芽生えてしまった。
 こんなに可愛い子もきっと赤葦にフラれてしまうのだ。幼馴染がいる、が口癖の赤葦に。

「赤葦ね、先輩に捕まってるからまだ来ないよ」
「先輩……? そっか……先輩と練習してるんだ……」

 落ち込むかな、今日は告白やめといた方がいいんじゃない? なんて野暮なことが頭をよぎった時。彼女は落ち込むどころかなんだか嬉しそうに俺たちに頭を下げると、スカートの裾を丁寧に伸ばして、ベンチに座った。意外とメンタルが強いのか、それとももう既に赤葦を呼び出していたのか。
 にこにこ、と効果音のつきそうな表情。そして「……良かったぁ……」と安堵した声。いきなりどうしたんだろうか。「名字さん?」俺と似たような表情をしていた友人が、彼女の名前を呼んだ時。

「名前」

 響いたテノールに、思わず俺たちまで振り向いた。声を発したのはこちらへと歩いてくる赤葦で間違いなさそうだ。つーか、え? 名前って……。

「あ、京治」

 顔を綻ばせて座っていた彼女が立ち上がると、鞄や携帯をそのままにして、勢いよく赤葦へと駆け寄り、まるで保育園に迎えに来た親に抱きつく子供のように、或いは、今生の別れから再会した恋人のように、名字さんは赤葦に飛び込むようにして抱きついた。赤葦もなんてことないように名字さんを支えて抱きしめる。
 俺たちはと言うとパニック状態。え、赤葦彼女いたの?

「お疲れ様!」
「ありがとう」

 俺達が混乱する間も、名字さんの小さな手が赤葦の頬を包み、赤葦は名字さんの頭を撫でている。すっかりと自分たちの世界に入ってしまった2人に俺たちは唖然とするしかなかった。

「あ、あかあし? えっと、名字さんとは……付き合っちゃってたり、」
「……あー、いや、幼馴染」
「お、幼馴染ぃ!?!?」

 幼馴染にしては距離感がおかしくないかとか、幼馴染は抱き合ってキスはしないだろとか、言いたいことは沢山あったが、まさか噂に名高い赤葦の幼馴染ちゃんが名字さんだったことが衝撃すぎて、俺たちはやはり唖然とするしかなかった。








▲▽



「今回のテスト勉強も赤葦に教えてもらったんだ?」
「そうなの。京治教えるの上手だから」
「俺も1年のとき教えてもらったよ。この前は木兎さんにも教えてたみたいだしね」
「あ、なんかそれ聞いたかも」

 2年に上がって、名字さんと同じクラスになってからはそこそこ話すようになったが、相変わらずニコニコしている。特に赤葦の部活の話は楽しそうで、楽しそうにバレーをしていることや木兎さんとのやり取りを聞きながら、彼女は嬉しそうに噛み締めていた。『赤葦のバレーが好きなのか』と、前に訊いたことがあるが、少し照れながら大きく頷いていたので、これは赤葦に勝てそうにないなと改めて思った。
 まあそもそも、入学してから誰彼構わず彼女に対して牽制している赤葦に、勝負をふっかける者はいないだろうけれど。

「あ、赤葦来たよ」

 遠くに見えた特有の癖毛を彼女に伝えると、名字さんはあの時と変わらず、花が咲いたような笑顔で顔を上げた。

幼馴染ちゃんと発覚。

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