赤葦くんと幼馴染ちゃん
 重なった掌は、サッカー部の人間にしては豆だらけで、指の腹が固くなっていて、少しだけ汗ばんでいた。
 重なった掌にグッと引き寄せられて、気づけば服の繊維が額に触れている。耳を打った心拍はまるで全速力で走った後のように、ばくばくと暴れていた。鼻を擽る嗅ぎなれた香りに心が落ち着いて、名前はぎゅうっと彼の服の裾を握った。

「ごめん」

 耳のそばで聴こえた吐息交じりの謝罪は、ゆっくりと辺りに溶け込んだ。ごめん。二度目の謝罪は、一度目と同じくらい重たいけれど、先程よりも大きな声で、抱き寄せた名前の更に向こう側に向けられていた。

「名前だけは誰にも譲れない。俺も昔から名前が好きだったから」

 ――だからごめん。左東にも渡せない。

 三度目の謝罪は、一度目の声よりも二度目の声よりもまっすぐな芯があって、けれども少しだけ震えていた。内省と申し訳なさと僅かな敵意が、声から滲み出ている。自身の感情をあまり表に出さない彼にしては珍しい感情の変化である。

 ジャージをべしょべしょにするほど静かに涙を流している名前の髪を、赤葦はひたすらに撫でながら左東を見据えた。しかし、

「おーおー、そうか。良かった良かった!」

 ぴりりとした張り詰めた空気を壊したのは、意外にも、左東の朗らかな声だった。すべてわかっていましたと、面倒見が良く察しの良い兄の様な顔をした左東は、名前へと差し出していた掌を引っ込めて、人差し指で頬を掻く。

「ほらお前ら焦れったいからさ、起爆剤になってやろうと思っただけ。安心しろよ。俺実は名字以外に好きな奴いるし」
「……」
「左東くん……」
「だますような真似してごめんな。でもやっとくっついてくれて安心したわ」

 ごめんな。響いた一度目の謝罪は少しだけ上ずっていた。左東は、ほんの一瞬だけ奥歯を噛み締めるように苦い顔をしたけれど、その真相を探る権利は、名前と赤葦にはない。必要もなかったし、詮索したいとも思わなった。

「名字、幸せになれよ。あ、一発くらい赤葦のこと殴っとけ」
「……ありがとうっ、」

 佐藤くん、ごめんね。最後に響いた謝罪は鼻声だった。「がんばれよ」名前に向けられたエールも、鼻声だった。

 前を向いた赤葦と名前が歩き出した時、ステージ上の新しいカップルが、祝福と歓声を受けながら照れくさそうに礼をしていた。










▲▽





 教室の扉を閉めたことにより訪れた静寂のおかげで、フィナーレを迎えている学園祭とは、別の世界に飛ばされた気分になる。先程まで内外関係なく疎らにいた生徒も、打ち上げ花火を見るべく校庭や自分の教室に集まっているらしい。そのため、学園祭のためだけに解放されたあまり人が寄り付かないこの空き教室は、2人でゆっくりと話すには絶好の場でもあった。

 さてどこから言い訳をしよう。どこから答え合わせをしよう。赤葦と目を合わせず俯きながら、これ以上泣かないようにと必死に我慢している名前へ誤解を解くためには、どこから遡ればいい。高校に入学してからか、中学の時からか。
 いや、運動会のあの日からだ。俺達はあの日から始まっている。

「名前、先にこれだけは確認させて。名前は左東が好き?」

 随分とズルい訊き方だと思う。卑怯だと思う。それでも確認しておきたかった。重なりかけた掌を掻っ攫うように引き寄せて、傾いた体を抱きしめて、最後は左東にまで気を遣わせたこの方法が間違っていたとしても、名前に赦してもらえるものなのか。
 卑怯な訊き方をした赤葦の問に、びくりと体を弾けさせた名前は大きく瞠目する。そして、ゆっくりと深呼吸をした。二度ほど、繰り返して、ぎゅっと手を握ってから――

「私はあの日からずっと京治が好きだよ。今も、これからも」
「……うん、ありがとう」

 ――褒められたやり方じゃなくても良い。周りから嫌な奴だと嫌われても良い。それでも名前が俺を好きだと言ってくれる限り、俺はどんな手を使ってでもこの子と一緒にいたい。

 先程からぎゅっと手を握り耐えている名前の指を解した。そして自分の右手の指と絡める。大丈夫だよ、そんな思いを込めて手の甲を撫でて、左手で頭を撫でた。君が一番頑張っていたから、俺の中で一番だから。泣かないで、そう願いながら。

「俺も名前のことが運動会のあの日からずっと好きだった。将来結婚するんだって決めていた」
「え……」
「その前に沢山の関係を築きたいって思ったんだ。名前は俺のことを好きでいてくれるって過信していたから」

 ぽつぽつと落とされた真相は、名前にとってあまりにも衝撃的なものだった。面食らった顔とはまさしくこのことで、ぱくぱくと酸素を求める金魚のように震えている。ついでに目までも見開いている。
 私の想いはバレていたんだという羞恥と、赤葦から告げられる計画への驚愕。キャパシティーオーバーです、纏める時間をください――と、名前は内心唸った。
 打ち明けられた告白に対してわたわたを泡を食っている名前に、赤葦は小さく笑みを零した。追い打ちをかける行為だとは分かっているけれど、今は早く伝えたい。赤葦が考えた人生設計を。

「俺の中で、今は幼馴染期間。高校卒業まで幼馴染を満喫して、大学卒業まで恋人期間を満喫して……そうだなあ、入社2年目くらいまでは婚約者期間を満喫して、最後に結婚したい。それが俺が思い描いているプランなんだけど、どう思う?」
「プラン……」

 幼馴染を満喫して、恋人期間を満喫して、婚約者期間を満喫して、夫婦となる。計画性があるようで大雑把な計画ゆえにもしかしたら上手くいかないかもしれない。それでも、それでも。

「京治がずっと隣にいてくれるなら、私も京治と共に満喫したい」
「ありがとう」

 赤葦は、先程の左東から掻っ攫った時よりもゆっくりと引き寄せて、名前を腕の中に閉じ込めた。抱きしめるなんて、何度だってしてきた行為だけれど、今日はいつもよりも掌が汗ばんでいて、心拍数が上がっていた。

「京治」
「うん?」
「今日からまた、幼馴染な私をよろしくお願いします!」
「こちらこそ、幼馴染な俺をお願いします」

 赤葦は抱きしめていた名前の体を離し、両手で頬を包む。ゆっくりと閉じられた双眸と、絡んだ上下のまつ毛に幸せをかみ締めながら、顔を近づけた。


 空き教室にて想いを伝えあった幼馴染たちは、窓の外から響いた花火を見、幸せそうに笑いあった。





幼馴染ちゃんと始めました。

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