赤葦くんと幼馴染ちゃん
 こんなにも厚くて温かいおもてなしを受けて良いのだろうか。
 体育館のギャラリー席にて、赤葦のジャージを膝にかけている名前は、落ち着かない様子で体育館を眺めていた。喉が乾いたらこれを飲んでね、と差し出されたスポーツドリンク入りのスクイズボトルを横に置いてはいるが、申し訳なくてそれに手を付ける余裕はない。
 まだいっぱいあるから大丈夫だよと言ったマネージャーの気遣いに嘘は無いようで、バレーに勤しんでいる部員たちに困っているような素振りはないのだが、それでもやはり烏滸がましいと感じてしまうのだ。
 実はこのスクイズボトルは、赤葦が自主練時に使っているものであり赤葦の私物だということを名前は知らない。


 先日のテストの出来が悪かったばかりに、補習を受けるべく呼び出された土曜日。真っ直ぐ帰って泊まりの準備をしようと思っていた名前は、幼馴染からの連絡で急遽バレー部見学に、予定を変更した。補習仲間の左東に手を振って別れを告げると、心を弾ませながら体育館へと足を踏み入れた。
 実は名前は、梟谷バレー部の練習をあまり見たことがない。だからこそ、どんな練習をするのだろうと期待に胸を膨らませていたところでこの優遇である。
 赤葦に誘導され体育館上のギャラリー席に行き、あれよこれよと防寒グッズやら飲食物が与えられた。最初は申し訳なさから身を縮ませていたけれど、時間が経つにつれて、やっと肩甲骨が解れて体育館全体を見渡すことが出来た。
 どうやら今日は、他校と練習試合をしているらしい。












▲▽




「小見やん!」
「あいよ……赤葦!」

 赤いジャージに紺色のビブスを着た6番――福永がクロス側にスパイクしたボールを、着地点にて滑り込んだ小見がレシーブする。パアンと響いたボールは、緩い回転を描きながらネット際へと高く上がった。

「ナイスレシーブ!」

 まさしくAパスで飛んできたボールに反応するように、赤葦は深く膝を折ると高く跳んで、スパイクモーションに入った。体がネット側を向いている。

「ツーか!?」

 いち早く反応したのは音駒の灰羽リエーフだ。
 経験が浅い故に技術への課題が多いが、センスと反応の良さとジャンプの到達点に関しては期待値が高い。しかし、その反応の良さが、今仇となっている。
 ブロックをしようと腕をグッと前のめりにさせたところで、「リエーフ! リードブロック!」先に気付いた、控えていた黒尾の声が響いた。しかれども、その時にはもう遅い。
 赤葦の体が宙で左側を向いて、「木兎さん!」と、ツーだと思われたボールは見事にトスに変わる。その前に笛が鳴った。オーバーネットだ。リエーフの指先がボールに触れていたらしい。
 最終セット、25点を先取したのは梟谷だった。

「だー! すんません!」
「見事に誘導されたな。オーバーネットか、まあリエーフが触らなくても木兎側の壁を減らすことが出来ただろうしって考えだろ。どんまい」
「赤葦、バレー中は性格悪いからね」
「赤葦クンも研磨には言われたくねえだろうよ……」

 黒尾と孤爪からの指摘に項垂れた灰羽を引きずって、闇路監督から総評を受け取り、次は自校の監督とコーチを囲んでミーティングを行い、練習試合は終わりとなる。
 今日はこの場で解散だと聞いたから、鞄などを置かせてもらっているステージへと足を向けようとしたところで、「黒尾ー!」と騒々しい声が体育館内に響いた。黒尾の隣にいた孤爪が顔を顰めている。煩い奴が来た。
 しかし、無視をしたところで木兎が諦めるような男ではないことを黒尾は知っていたので、顔に億劫を貼り付け乍ら振り向いた。そして固まった。

「黒尾見ろ! これが俺たちの幼馴染ちゃんだ!」

 えっへんと屈強なる胸筋を膨らませて、困ったようにおどおどとしている女の子を黒尾の前に差し出した木兎に、黒尾は唖然とするしかなかった。たしかに梟谷男子バレー部のジャージを羽織っており、スクイズボトルを持っているが、中は制服姿で見たことのない顔である。

「その子は誰だよ……」
「だから俺たちの幼馴染ちゃんだって!」
「お前の幼馴染?」

 木兎にこんなにも可愛らしい幼馴染がいたなんて知らなかった。梟谷の女子のレベルが高いのは大会などで良く分かっているし、マネージャー2人だって、梟谷グループのマネちゃんズが美人揃いと言われる筆頭だ。やはり梟谷女子のレベルは高い。山本が見たら発狂してしまいそうな光景である。

「お前見たことあんだろ。幼馴染ちゃんのこと」
「はぁ? 見たことあるって……あ、もしかして」

 木兎が訝し気に見てくるので、頭をフル回転させて記憶を探る。たしかあれは夏の合宿の時、幼馴染という関係を拗らせている男がいたような気が――。

「なにやってんすか。つーか、俺の幼馴染です」

 ――黒尾の頭にぼんやりと浮かんだ記憶が、窘める一言と、木兎が肩を抱いていた女子の掌を掻っ攫うようにして抱きしめた男の登場により鮮明となる。そうそう、あれは赤葦だ。ならばこの子が例の可哀想な幼馴染ちゃん。

「あ、京治お疲れ様」
「お疲れ。寒くなかった?」
「京治がジャージを貸してくれたし、暖房が効いてたから寒くなかったよ!」
「それは良かった。木兎さんと黒尾さんに嫌がらせされてない?」
「まさか! 全くだよ! ボトル洗いたいんだけどどこに持っていけば良いのか分からなくて木兎さんに助けてもらってたの」
「俺が洗っておくから大丈夫だよ」

 赤葦は、腕の中に閉じ込めた少女の、少しだけ冷えている頬をゆっくりと撫でた。その度に少女が目を細めて幸せそうに笑うので、赤葦も釣られて笑みを浮かべた。最後に頬から額に指を滑らせて、額に唇を落とす。やっぱりちょっと冷たい。

「おでこも冷えてるね。帰ったら温かくしないと」
「じゃあ荷物にマフラー追加した方が良いかな……」
「そうだね」

 俺達は何を見せられているのだろう。すっかりと2人の世界に入ってしまったこの子たちにどのような顔をしたらいいのだろう。困惑した黒尾が、ちらりと梟谷メンバーを横目で見れば、皆微笑ましげに2人を見守っていた。その中でも木兎は満面の笑みを浮かべている。

「な? 普通にちゅーするだろ?」
「そっすね……つーか幼馴染って嘘だろ!? 絶対付き合ってんだろ!」

 たしかあの合宿の時も同じことを思ったはずだ。幼馴染と呼ぶにはあまりにも距離が近い。恋人同士だと言われた方がしっくりくる。むしろ恋人を超えて熟年夫婦である。
 木兎の肩を掴み捲し立てる黒尾に、やっと少女――名前は、赤葦の腕から抜け出して黒尾にぺこりと頭を下げた。

「今は幼馴染期間なんです」

 照れくさそうに、けれども幸せそうに黒尾と木兎に向かって言った名前に、2人は一瞬唖然とするがすぐに同じように笑みを浮かべた。

「なるほどな。あの子が赤葦クンの幼馴染ちゃんか」
「そーそー。これから2人で赤葦の誕生日パーティーするんだと」

 赤葦と名前が手を繋いで水道へと向かったその後ろ姿を見守りながら、主将2人の会話は続く。






赤葦くんの幼馴染ちゃん。(END)

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