赤葦くんと幼馴染ちゃん
「今日は大丈夫?」
「うん! 心配かけてごめんね?」

 目尻を皺ばめてにっこりと笑う名前の顔色は、昨日よりも随分と良くなったと思う。頭を撫でれば本当に幸せそうに笑ってくれるのが好きでたまらない。
 正直劇で王子役をやるのは億劫だったけれど、こうして2日目は名前と一緒にいられるので、そういう面ではやってよかったのかもしれない。まあ小人とか村人Bとかもっとあったと思うけど。

 俺のクラスは、演劇部副部長の脚本もあって見事に優勝した。2位は木葉さんのクラスの展示で、3位は3年のどこかのクラスの劇だったはずだ。
 表彰式では、王子役をやったという理由だけでステージの上に立たされ、さすがに勘弁してくれなんて思ったけれど、ステージの上から見た名前がにこにこと笑っていたから、億劫も全て吹き飛んだ。やっぱり名前パワーはすごい。
 クラスの奴全員が当たった学食1週間分と全国展開する焼き肉屋のクーポンは魅力的だったので、学食券は名前に分けてあげようと思う。焼肉も名前と行きたかったが、これはクラスの打ち上げで使うらしい。

 練習時あまりの棒読み具合に、クラスメイトから『もっと感情をこめて!』と指摘されて、仕方がないので本番では名前を頭に描いて演技をした。名前が毒林檎で死ぬのはたとえ設定でもいただけないので、寝起きの名前を想像して。それが良かったのか、本番が終わった後はクラスメイト達に絶賛された。何故か木兎さんたちにも絶賛された。
 なので、俺の実力というよりも名前の力があってのこと。相手が名前じゃなかったら、たとえ役でもあんな『あいしています』なんて言いたくないのだから。

「名前、どこ行きたい?」
「えー、自分のクラスと京治のクラスは行きたいかなあ……あとは木兎さんのクラスとか?」
「……まじ?」

 昨日は少ししか一緒にいられなかったので、今日は可愛い可愛い俺の名前を満喫しようと思う。一応部活でも屋台を出しているので、その顔出しとシフトに貢献しなければいけないのは面倒だけれど。









▲▽



「へいへいへーい! あかーしと幼馴染ちゃん来たか!」
「はあ。あまり行きたくなかったんですけど。名前の提案なので仕方なく」
「なんで来たくないんだよ!!」

 俺のクラスも名前のクラスもそこそこ混んでいたので、まずは3年生のクラスから回ることにした。今日も明日も木兎さんとは会うので、別に俺としてはわざわざ出向く必要もないと思うんだけれど、名前が結構楽しみにしていたから仕方なくだ。名前に感謝してください。
 木兎さんのクラスも混んではいたのだけれど、木兎さんの力が働いたのかすぐに席に通された。
 執事とメイド喫茶と称されたカフェでは、女子は男装――いわゆる燕尾服を着て、男子は女装――メイド服を着ている。要は、木兎さんもメイド服。しかもミニスカート。需要とは?

 名前はというと、そんな木兎さんを見て楽しそうに笑みを浮かべている。今日はいつもよりもにこにこしていることが多い。学祭が楽しくて仕方ないのだろうか。可愛いなあ。
 席に腰を下ろした俺たちは、木兎さんからメニュー表を受け取ると、2人で覗きこんだ。高くも安すぎることもない値段設定と、美味しそうな写真が本当の喫茶店を思い出させる。「どれも美味しそう……目移りしちゃうね」と、あちらこちらと視線を動かす名前に、木兎さんはわくわくとご飯を待つ犬の様な顔をしている。

「おすすめはなんですか?」
「おすすめかー? んーと、あれ、おすすめってなんだっけ……赤葦! 俺のクラスのおすすめってなに!?」
「知らないっすよ」

 分からないことがあるからってなんでもかんでも俺の名前を出すのはやめてほしい。特にクラスのおすすめなんて俺が知るわけもない、ということをまずは知ってください。

「あかーしのケチ! バカ!」

 木兎さんが、遭難者救助のごとくゆらゆらと俺を揺する後ろで、騒ぎに気付いたのだろう木兎さんのクラスメイトがかつかつと革靴を鳴らして、こちらへと来てくれた。そして、そのまま木兎さんの背中を叩いた。

「ちょっと木兎なにやってんの、バカ! 赤葦くん困らせるのやめな! おすすめはこのパンケーキとラテアートって言ったでしょ!」
「あー! そっか! サンキュー! おすすめはパンケーキとラテアート!」
「ふふ、ありがとうございます。ではそれで」

 一連の流れを見守っていた名前は、耐えきれなかったのか笑声を零すと木兎さんにオーダーを伝える。「あ、ブラックコーヒーもひとつお願いします」「おっけー!」と俺の分も付け足してくれた。さすが名前。俺の嗜好をよく分かっている。

「ブラックコーヒーで良かった?」
「うん、ありがとう、さすが俺の大事な幼馴染」
「っ、うん。どういたしまして。幼馴染だからね」

 分かっていながらも一応ブラックコーヒーかどうか確認するところも彼女らしい。こういう気遣いも含めて俺は名前が大好きだ。

 メイド服のスカートを揺らしながら奥へと踵を返す木兎さんを見送って(やはり需要とは……?)、未だにメニューを見詰めている名前を眺める。どれも美味しそうだね、と呟いた名前は、焦がれるような瞳をしていた。たしかにさすが3年生と言うべきか、メニューの種類もクオリティも群を抜いている。

「もっと食べても良いよ?」

 他のテーブルに置かれている品物を見ても、そこまでの大きさはない。これだけだと足りなくなるはずだ。
 しかし名前は、俺の提案にきょとんとしたあと、ほんの少しだけ困ったように苦く笑った。

「実はこのあと、木葉さんや小見さんのクラスも行く約束をしていて……」
「まじ……?」

 いつの間に絆されたのか。まあ、どうせあの人たちのことだから、名前とお話がしたいとかそういう下心あってのことだろうけど。
 だからお腹を空かせておかなきゃいけないんだ。と、困ったような楽しそうな顔をした名前をあの猛禽類共から守らなければ。

「そういえばバレー部はどんな出し物をするの?」
「俺達は射的だよ」
「射的!」

 シフトは悲しいことに木兎さんと組まされている。まあシフトを組んだのは俺でもあるんだけど。木兎さんと一緒にやらないと、なにかのトラブルが発生した時に呼び出されるのは目に見えているから、敢えてこういう形態にした。だって名前と回っている時に「赤葦!」と電話で泣きつかれるのはきつい。去年も似たようなことがあった。

「俺が働いてる時、名前もそこにいて」
「え? そこって……屋台の近くってこと?」
「うん。すぐ終わらせるから。それともなにか用事ある?」
「ないけど……うん、わかった。でも良いの?」
「勿論」

 シフトに貢献するとは言え、割り当て的には1時間ほど。こういう時、部員が多くてよかったと思う。

「お待たせしましたーっ!」
「わー! ありがとうございます!」

 注文通りラテアートとブラックコーヒーとパンケーキをお盆に載せてきた木兎さんは、意外にも丁寧にテーブルへと置いた。なんというかもっとガサツでテーブルを汚すんじゃないかとまで思っていたから、仕事っぷりに舌を巻いた。

「幼馴染ちゃん見ててな?」
「はい!」

 木兎さんは爪楊枝を取り出し、ぐるぐると円を描いている泡に先端を入れると、そのまま慣れた手つきでピッピと線を引く。

「うさぎだ!」
「おお! 正解!」

 たちまち完成したのは一匹のうさぎ。名前が目をキラキラとさせているのがなんとも可愛い。つーか木兎さんそんなことできたんですね。びっくりしました。

「いやー、すっげえ練習させられたからな? 延々とうさぎ描かされたの! ほかの奴は猫とか梟とかも覚えさせられたみたいだけど、俺はとりあえずうさぎだけで良いから極めてって」
「懸命だと思います。さすがです」
「そうか? 俺天才?」
「はあ」

 別に木兎さんを褒めたわけではないんだけど、まあいいか。
「ごゆっくり〜」とできるスタッフを演じる木兎さんは、俺達に手を振りながら、彼を呼んでいる他校の女子高生集団の元へと向かった。もしかして木兎さんって他校生からはかなりモテるのではないだろうか。これは次の試合前に使えるかもしれない。

「可愛いすぎて飲むの勿体ないね」
「写真撮っておけば?」
「うん!」

 崩れてしまわない程度に色々な角度からラテアートを覗く名前はどこか落ち着かない様子だった。そして、スマホを取り出すと3枚ほど写真を撮っている。

「待ち受けにしようかな……」

 よっぽど気に入ったのだろう。名前は撮り終わった画像フォルダから写真を選ぶと、そのままホーム画面を変えた。ロック画面は俺とのツーショットなのは知っているけれど、そういえばホーム画面はなんだったっけ。

「久しぶりに待ち受け変えたかも」

 そう言った名前の顔が、ほんの少し寂しそうに見えたのは何故だろう。飲んだブラックコーヒーはいつもよりも苦い。











▲▽

 京治にここで待っていてと言われたのは、男バレが使用している臨時控室の中である。皆が忙しなく動いている中、部外者である私がパイプ椅子とテーブルまで用意してもらっているのは如何なものかと落ち着かなかったが、部員の皆さんやマネージャーさんたちが笑顔で話しかけてくださるのでやっと落ち着くことができた。
 今は、出店から聴こえる楽しそうな声をBGMにしながら、木葉さんのクラスで貰ったお好み焼きと、小見さんと猿杙さんのクラスで貰ったたこ焼き(ホストクラブだったのにどうしてたこ焼きがあったのだろう……)、鷲尾さんのクラスで貰ったラムネなどを広げて、少し遅めの昼食を迎えていた。
 ここの控室に入れてもらうまでに見えた射的は、本当のお祭りのようなしっかりとした作りで、もう少し客入りが落ち着いたら私もやらせてもらおうと心に決める。ちなみに壁に貼ってあった、『菜の花の辛し和えあります』には三度見してしまった。副主将の権力というものだろうか。

「ラテアート可愛いな……」

 新しく待ち受けとして君臨した、木兎さんが描いてくれたうさぎはとても可愛らしかった。それこそ飲むのが勿体なくてこのまま保存しておきたいと思ったほど。
 ガラケーよりも容量が増え、画質が綺麗になったスマホに収めてもなお、飲んでしまうのがうさぎに申し訳なくて躊躇してしまう。「冷めるよ」と笑う京治に背中を押されてやっと飲めたわけだ。

「でもやっぱりちょっと寂しいかも」

 先程まで、待ち受け画面は京治の寝顔だった。待ち受けを変えたところで関係や心情が変わるわけではないことはよく分かっているが、こういうところから少しずつ京治離れをしなければいけないと思ったのだ。現時点ではまだ効果はないけれど、いつかきっと、この選択肢で正解だったと思えればいい。

「お疲れ〜!」
「っ! 木兎さん! お疲れ様です!」

 にゅっと顔を出した木兎さんに驚いて体を揺らせば、きっと気付いたのだろう木兎さんは、くすぐったくなるほど心配してくれた。その優しさが酷く身に染みる。
 京治とはまた違った優しさを持っている人で、私にとって京治が光ならば木兎さんは太陽の様な存在だ。ただただ言われた通りにバレーをしていた京治に影響を与えた人で、京治にバレーの楽しさを教えてくれた人。入学してすぐ、バレー部の男の子から、京治が先輩と練習をしていると教えてもらった時はとても安心したし、嬉しかった。すべてこの人のおかげなのだ。
 
 木兎さんはあらゆる食べ物や景品が広げられたテーブルを凝視すると「これ食べても良い!?」と、たこ焼きを指差した。勿論頷く。「あかーしには内緒な? 怒ると怖えんだよ!」とどこか怯えているようなでも悪戯が成功したような顔をして、少しだけ冷えてしまったたこ焼きを頬張っていた。

「なあ、幼馴染ちゃん」

 口の周りにソースやらマヨネーズやらをつけた木兎さんは、一旦嚥下するとまっすぐと大きな瞳で、私を射貫いた。

「赤葦と仲直りできたんだな」

 ああ、そうだ。この人にはお見苦しいものを見せてしまったんだった。木兎さんだけではない。木葉さんにも小見さんにも猿杙さんにも鷲尾さんにも。各クラスで受けてきた、くすぐったくなるほどのおもてなしは、私を慰めるためなのかもしれない。結局みんなに気を遣わせてしまっている。

「京治と喧嘩してないですよ。あの時はお腹壊しちゃっただけなんです」
「……そっか。俺はてっきり幼馴染ちゃんは赤葦のことが好きでそれが辛くて出て行っちゃったのかと思った」
「っ!」

 核心をつく物言いに、私の心臓は大きく高鳴った。きっともうバレてしまっているけれど、それでもなるべく顔に出さないよう顔の筋肉に力を入れる。

「……もう大丈夫です。だって私、京治の幼馴染ですから」

 眉を寄せた木兎さんの視線から逃れるように、私は顔を伏せるしかなかった。




幼馴染ちゃんとラテアート。

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