赤葦くんと幼馴染ちゃん
『毒林檎を食べてしまった白雪姫を囲いながら、7人の小人は夜が明けるまで泣き続けました。動物たちも集まり、肩を寄せ合いながら涙を零します。ふと、西側の方からがさりと物音が聴こえ、またあの魔女が来たのかと小人は警戒しました。しかし、姿を現したのは白馬に乗った隣国の王子様だったのです』

 ナレーターの声に合わせてステージの袖から現れた赤葦の姿に、ほうっと周りが熱い息を吐く。音量こそ潜められていたものの、黄色い声も四方から飛び交った。名前の後ろにいた彼の先輩たちはぎょっとしてステージを凝視している。感極まって大声を出そうとした木兎の口は咄嗟に木葉が塞いだ。

「どうかなさいましたか?」
「私たちが愛してやまない白雪姫が、魔女に毒林檎を……」
『1人の小人の嘆きに、王子は眠るように目を瞑る白雪姫の顔を覗きました』
「なんと美しい人なのでしょう……」

 王子に扮した赤葦は、手袋を外して白雪姫役の女子生徒の頬を撫でている。片膝をついたときの姿勢の良さ、真綿に触れるような手つき、慈しむ視線、綺麗な横顔。赤葦に想いを抱いているものならば全員がされたいと願った仕草が、今ステージの上で繰り広げられていた。

「この方を私のフィアンセにしてもよろしいでしょうか」
「で、でも白雪姫はもう……」
「それでもいい。私はこの方がほしい」
「王子様。彼女はずっと継母に追われていた身です。どうか愛してあげてください。あなた様ならきっと、白雪姫もさぞかし幸せなことでしょう」
「ありがとう」

 名前はぎゅうっと下唇を噛んだ。これは白雪姫で、これは学園祭の出し物で、あれは王子様と小人の交渉。そんなことよく分かっている。しかし、名前にとっては――

「白雪姫。あなたをお守りできなかったことをお許しください」

――眠る白雪姫にゆっくりと近づいた赤葦の横顔。ステージ上も次第に暗転していき、照らすのは左右から当てられているスポットライトのみという情景で、王子と白雪姫の距離が僅かなものとなる。いよいよステージ上のすべてのライトが消えた。

「愛しています」

 儚げに囁かれるように、けれども体育館内に響いた愛の言葉に名前は俯き、手で顔を覆った。がたがたと体が揺れるのをグッとを堪える。
 もうやめてほしい、耳を塞ぎたい、京治の顔を見るのが怖い――。

「……王子様?」

 白雪姫の声が響き、ステージには明かりが戻る。見事な演出に、まだ劇は終わってないのに、観客が小さな拍手を贈るほどだ。

「すげえな……」

 ぽつりと言った木兎の感嘆で、名前は耐えきれず弾けるように立ち上がると、入り口の方へと走っていった。

「ちょ、名前!?」
「幼馴染ちゃん!?」

 木兎達や親友の声に申し訳なくなりながらも、後ろを振り向く勇気はなかった。

――そうだ、私は所詮幼馴染だ。










▲▽



 体育館から一番近いトイレへと駆けこみ、便器の蓋を閉じて体育座りをする。汚いとか冷たいとかそういう感情さえも全て吹き飛ぶほど、とにかく1人でいたかった。

「京治……けい、じ……っ、けいじッ……」

 ぼろぼろと零れる涙と比例するように、嗚咽とともに溢れる大好きな人の名前。あれは6組の劇で、赤葦は推薦で選ばれただけで、きちんと演じていただけ。赤葦京治であって赤葦京治ではない。それは分かっている。しかし、キスをしているように見せかける見事な演出も、体育館内に浸潤した愛の言葉も、頭から離れない。

「見なきゃよかった……京治のこと、見なきゃ、よかったッ……」

 手の甲や母指球で何度も何度も目元を擦るのに、涙は一向に引かない。
 物語が終わったのだろう。遠くからブザー音が聴こえ、同時に沸きあがる拍手喝采。午前中に見た3年生や2年生の他のクラスではこんなにも盛り上がっていなかったし、きっと優勝は6組が掻っ攫っていくのだろう。勿論それが悔しくてこんなにも泣いているわけじゃない。

 優勝なんていくらでも持っていけばいい。ただ、赤葦だけは。

(京治だけは……私、京治がいないと……)

「京治だけは取らないで……っ」

 幼馴染として隣にいられたら幸せだった。それだけだった。なのに、いつから欲深くなったのだろう。いつから付き合いたいって思ってしまったのだろう。きっと赤葦にこんな感情を抱いてしまったから、たとえ劇だとしても嫉妬してしまう。幼馴染として隣にいるだけで満足していれば、きっとこんなことには――。

「もうわがまま言わないから、京治と付き合いたいとかわがまま言わないから、だから、」

――もう、京治のこと好きになるのはやめる。




「罰が当たっちゃったんだなあ……」

 制服のポケットに入っていた(というか先程配られた)トイレにも流せるポケットティッシュから数枚取り出して念入りに目元と鼻を拭く。化粧も全て流れ落ちたこんな顔を見せるわけにもいかないので、バレないようにクラスに戻らなければいけない。

 スマートフォンをインカメラモードにして映した顔は、案の定ぐちゃぐちゃで、名前は苦く笑った。
 すると、突然画面が切り替わった。同時に、長く震える振動は着信を表している。びくりと体を揺らしながら画面をを見詰めれば、着信の相手は大好きな人である。少しだけ迷って、そして、通話ボタンを押した。

『名前、今どこ? 劇の最中飛び出していったのって名前だよね?』
「あ、うん、そう。お腹痛くなってトイレに駆け込んだの。でももう大丈夫、治ったから」
『本当に? つーか鼻声だよね……。もしかして泣いてた? そんなに痛かった?』
「そーそー、かなりね。でも本当にもう大丈夫だよ!」
『よかった。今から会える?』
「っ、うん! あ、でも、お化粧直してからでいい?」
『うん。俺も着替えあるし、終わってから5組に迎えに行く』
「ありがと!……じゃあね」
『うん、またあとで』
「うん。ばいばい」

 通話を終え、一息つくと、名前は漸く立ち上がった。蓋がへこんでいないかを確認して、そして開ける。聊か黒くなったティッシュをそのまま捨てて、ハンドルを捻った。流水音と忽ち無くなったティッシュが今の自分の感情を物語っているようだった。

 さようなら。私は、京治の幼馴染。




幼馴染ちゃんとバイバイ、

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